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涙のメカニズム

小さい頃、注射とか外傷とか、歯医者の治療とかでは泣かない子供だった。予防接種に私を連れて行った祖母は、「他の子供たちはぎゃあぎゃあ泣いているのにこの子はまったく泣かなかった。強い子だね」と褒めてくれた。そんな話を覚えているくらい、記憶があるくらいの幼い時から、我を外に出さず、外界を静かに観察している子供だった。

4〜5歳くらいのころだろうか、親に連れられて近所を歩いていると、同じくらい歳の幼児が転んだ。その幼児の親は私たち親子を追い抜いて駅に向かって歩いていた。ぐずぐず歩く子供に手でも焼いていたのだろうか。早く来なさいと促され、私たちの後ろを歩いていた子供が小走りになり、次の瞬間転んだ。私はその様子を振り返りながら見ていたが、自力で立ち上がった子供は泣いていなかった。「たいしたことはなかったのか?」と思いつつ、親の方を見た。その子の親は立ち止まり振り向いた。子供が親の視線を確認した瞬間、私は「あ、この子泣くな!」と思った。次の瞬間、その子は顔を歪めて泣き出した。

1歳と8ヶ月、元旦の浅草寺で、
私はあまりの人混みに癇癪を起こして泣き出した。
背の低い私にとって後ろも前も見えない
人の壁がものすごいストレスで不安になったのは
うっすらと覚えている。
実はもう一枚、泣き出す直前の写真もある。
この時、父はどんな気持ちでシャッターを切ったんだろう。

自分はどうだったかというと、たとえ転んで親と目があっても泣きはしなかった。駅前の玩具屋で欲しいものを買ってもらえず泣いている同年代の幼児を「そんなことしても買ってもらえないのに」と眺める冷めた子だったし、もちろんそんな真似はしなかった。いや、正確には一回だけあった。近所の玩具屋でみつけたモデルガンがどうしても欲しく父にねだったが、買ってもらえず、家に帰ってからもごねていたら叱られて押し入れにとじこめられた。そこまでは泣いていなかったが、暗い押し入れの中で抗議して泣いた。だけど、途中で馬鹿馬鹿しくなって泣くのをやめた。こんな私だからか、感動的な映画を見ても素直に泣けないし、人生で正直あまり泣いた記憶がない。だが、父の葬儀で出棺前に参列者に挨拶をした時、想定していなかった感情に襲われ、嗚咽と涙が滲み出た。この涙に、理屈はなかった。

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