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長野県の発達障がい診療の現状と課題

「医は医無きを期す」という言葉があるそうです。発達障害診療においても地域に必要なものを一緒に作っていくのも医療の役割です。その際、サポーテッドピアサポートコプロダクションダイアローグはキーワードだと思います。しかしこれらの活動は診療報酬では評価されず、仕事としては報酬を得にくいのが悩みです。


対話があたりまえの社会に

 

社会の中で感じ方、考え方、表現方法などが少数派の人たちがいます。
その存在を当初から肯定され、対話を続ける中で、強みを活かし、弱みは支援を得ながら、社会に自分なりの居場所や役割をみつけることで、幸福を追求していくことが出来ます。人類社会にとって彼らの多様性はかけがえのない宝です。

しかし精神科医療に、うつ病や適応障害、触法や行動障害、自傷、社会的ひきこもりなどでボロボロになってからたどり着く人たちがいます。その背景には少数派の発達特性や疾患があり、それが尊重されず、周囲の人と対話も出来ずにきた過酷な人生史があります。

子どもには親は選べませんが、対話ができる教師や、支援者、医療者に当たることは運に左右されてはいけません。必要なのは「早期発見、早期治療」ではありません。子どもも親も明るい見通しと具体的な手立てをもち、苦痛なく、不安なく、混乱なく過ごせ、本人に合った育ちの環境を保証するための「早期発見、早期対話」です。そしてみんな違うことが前程の、対話が当たり前の社会の実現です。

信州大学に子どものこころの発達医学教室ができた

 

2005年に発達障害者支援法が施行され、啓発もすすみました。
しかし残念ながら診断が、少数派である彼らの体験を語ることを封じたまま、多数派に合わせることを強要し、それが出来ない場合に排除のために使われることすらいまだにあります。

医療、福祉、教育の専門家の教育過程でも、発達障害について学ぶ機会はまだ少なく、専門職の質も様々です。この課題の解消のために長野県の予算で2018年度から信州大学医学部に子どものこころの発達医学教室(本田秀夫教授)が開設されました。
県内各地で研修会や事例検討会、学生や発達障害を診療する医師むけの講義、陪席実習、様々な調査研究をおこなっています。

長野県内の発達障がい診療の現状について


長野県は山で隔てられた圏域ごとに医療供給体制や地域の資源も異なります。また、一人の人も年齢、時期、状態により医療のニーズは刻々と変化します。私は他の医師の診療に陪席させてもらったり、青年期の患者さんを引き継いだりしてきましたが診療のスタンス、スタイルは様々でした。

そこで現状と課題の把握のために、厚生労働省障害者総合福祉推進事業「発達障害児者の初診待機等の医療的な課題と対応」に関する調査の一環として、県内の医療ユーザーのニーズ調査をおこないました。

親の会や、医療機関等の協力をえて、長野県在住で現在30歳以下の発達障害で医療を利用したことのある子どもの親を対象として回答を募集、主にWebアンケートで222件の回答があつまりました。報告は「信州大学医学部子どものこころの発達医学教室のウェブサイト」にも掲載します。

医療だからこそ果たしやすい役割とは?


アンケートの自由記載では、「気軽に相談できる場がほしい」、「親のメンタルヘルスも含め関わってほしい」、「学校などと連携してほしい」、「危機的な時にすぐ対応してほしい」、「小児科から精神科などへの移行が大変だった」などの意見がありました。
 
発達障の支援には多くの要素、領域があり、医療が担うのはごく一部です。しかし医療は少し引いたポジションで、長いスパンで親子に伴走できる可能性があります。対話を促し二次障害を予防し、時に危機介入をおこないます。そして子どもの主体性の確立、親からの自立を支援します。そこに時間的、空間的に、親、行政、福祉、教育のだれもがカバーできず支援の穴ができると最終的に子どもが不利益を被ります。

親の会や当事者を専門職としてサポートする


私は、この穴に網をかけ、支援のバトンを繋ぐために、親の会や当事者会などのセルフヘルプグループが地域資源として有用なのではないかと考えています。

 わが子の特性に気づいた当初、家族も不安の中にいます。また支援者や学校、教師、医療者が理解が乏しく対話ができない時もまだあります。このような時、親や当事者が専門職とともに維持している対話の場があると、セーフティーネットにもなり、気付きと癒やし、そして仲間も得られ、エンパワメントされる場になります。そして診療の負担の軽減、診療待機問題の解消、診療の質の担保にもつながることが期待できます。

しかし、こういった会をボランティアで維持していくのも大変です。また最近の親は情報に関してはネットや支援者からも得やすくなったこともあり、こういった会に入らない人も多いようです。

既存の会をサポートするとともに、ゆるく匿名でも参加でき、無理なく運営も続けられるグループの形を模索しています。私も関わっている「発達障害あるあるラボ」では当事者、支援者がまじりつつ定期的なミーティング、啓発イベント、ウェブも使った展開などを手間とコストをなるべくかけずに行っています。

専門職が一参加者として、こういった場へ参加し、様々な声を聞いたり話すことも学びが多いかと思います。

理解と支援ではなく、ツールを用いて対話を継続する

特に強度行動障害の方と関わっていて実感することですが、自閉スペクトラム症の方に、対話のないまま出来ることを増やそうとスキル獲得を目指したアプローチを強要することは大体有害です。

そうではなくモチベーションを先行させ、そのために必要な最小限のスキルを身につけたくなる環境調整をスモールステップでおこなうことです。

しかし、この発想は今の教育の文化とはなじまないため、診療の場面で繰り返し親や社会に伝え、まずはコミュニケーションの動機づけをおこない本人との対話を継続できる状態にすること目指します。

そのためには本人の得意な情報入力(インプット)、出力(アウトプット)の手法を使うことが大前提です。これは視覚障害や聴覚障害では当たり前のことなのですが、自閉スペクトラム症の場合は音声言語によらず視覚的なやりとりをするということです。

そのツールとしてタブレットなどのICT機器などもありますが、おめめどう®の巻カレ®、コミュメモ®といったシンプルな市販の安価なアナログツールをつかった方法は情報環境を人が変わっても継続でき、対話がつづけられるという意味で優れています。

対話により、それぞれの主観や体験を言語化して共有できると、見えなかったところが見えるようになり必然的に双方に変化、成長がおこり、自分も相手も尊重できる人になるのです。こうして自分と世界の両方を知り、納得しながら自分の責任で動ける範囲(自由)を増やし、自分にあったスタイルで社会の中で生きていくことができます。

専門機関や専門医はやりすぎてはいけない


さて、愛知県医療療育総合センター中央病院に見学させていただいた際、吉川徹先生は、「公的専門医療機関の専門医はできることでもやりすぎてはいけない、患者さんを抱えてはいけない、ずっとみていたい欲求はあっても、それをいかに手放せるかということが大事だ」とおっしゃっていました。

診療は初診を特に大事にしており、科学的根拠(エビデンス)を基にして、費用対効果を考えた診療をおこない、薬は最小限で、具体的で細かな発達支援は地域にまかせ、必要な支援が得られているかのチェックをおこないつつ、大切なポイントのみ繰り返し伝え、小学校に進学したら多くのケースでは医療は引いていくのが標準だそうです。

一方で、児童相談所など行政機関からの紹介は別枠を設け、特に虐待ケース、親の精神疾患や外国籍の方などには時間を割いて丁寧に関わるということでした。
こういう診療は愛知県ではベースの地域資源が充実しているから出来ることもあるかもしれません。しかし、長野県でも専門医は後方支援に徹し、地域の支援者や、かかりつけの小児科医の先生方が、関わる子どもたち発達も含め見守ることができる体制にしていく必要があると感じました。

医療は文化なり、そして医は医無きを期す


発達障害の診療は、教育や行政、福祉との協業が大事です。
それぞれの医療者は対話をもとに自分たちが何ができ、何ができていないのかを知り、それを伝えることが必要です。そして地域においてどのような資源があり、活動をしているのかを知り、足りないものを地域の各セクターと協業してつくっていくことが必要です。私も診療をしつつ医は医無きを期すということを考えて、日々奮闘しています。

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