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むんぎゅ

特に小学五、六年の頃が一番アホだった気がする。

当駄文集の4話目にも記した謎の歌「セックスなんて〜わたしの興味〜♪」 を踊りながら歌っていたあの頃だ。

クラス中の女子に拝み倒してバレンタインデーにほぼ全員からチョコを貰い浮かれまくったは良いが、ホワイトデーにその全員からお返しを迫られ顔面蒼白になる。
警泥(警察と泥棒)という遊びで泥棒役として追われ、他人の家の屋根に上り「瓦爆弾!」 と言いながらその家の瓦を下にいる警察役にバンバン投げていたら家主に見つかって死ぬほどシバかれる。
自動販売機のコイン投入口にママレモンを流し込むと金が出てくるという都市伝説を信じて、3台並びの販売機にこれでもかとママレモンをぶち込みタバコ屋のオッさんに死ぬほどシバかれる。
神社でお札を燃やしている焚き火の上を「サーカス♪」 と言って自転車で走り渡っていたら、3回目に焚き火のてっぺんで転び右手に大やけどを負った上、神主や親から「この罰当たりが!」と死ぬほどシバかれる。

等々、エピソードを挙げればキリがないが、同級生達と共に繰り広げた数々の遊びの中でも指折りのくだらなさを誇るのは「むんぎゅ」 であろう。

≪むんぎゅ≫ mun-gyu
相手の股間に顔を突っ込み、ちんこに圧力をかけてグリグリする男子のみで行われる遊び。
「むんぎゅ」 をやられた人間は暴力で回避してはならない。
「むんぎゅ」 をやる人間はその際、大きな声で「むんぎゅー!」 と言わなければならない。
「むんぎゅ」 はやる人間が飽きるまで続けられる。
「むんぎゅ」 は隙があればいつ何時でも仕掛けることが出来る。
――広辞苑

今やれ、と言われたら金を貰っても断るようなこの悍ましい遊びが一時クラスの男子に蔓延した。男ならば一度は「電気アンマ(足で股間をグリグリ)」 を経験したことがあると思うが、むんぎゅは足よりも面積の大きい顔面を使用するためか電気アンマほど痛くない。くすぐったさの方が強く、そして屈辱感、恥辱感が強い。何よりやる側も勇気を要するために妙な連帯感が生まれて相乗効果で笑いが止まらなくなるのだ。
とはいえ、やはり自らやられたがるヤツはおらず、「むんぎゅ」 が流行している間の男子は絶えず警戒心を強めていた。少しでも気を抜くと、隣で談笑していた友人が両膝を押さえつけて股間に顔面ダイブをしてくるのだ。
皆、座る時は力を入れて足を閉じ1日を過ごした。俺の強靭な内転筋はあの時に鍛えられたと言ってもいいだろう。

そんなある日、である。

学校では給食を食べ終わったらうがいをする決まりがあった。食べ終わった者からそれぞれうがいをして自由時間に入る。その日も俺はヒジキに食パンに牛乳というセンスのかけらもない昼食を終え、うがいをし、口に含んだ水を勢いよく流しに吐き出すと、下に向けた顔をそのままに振り返った。

!!!

視界に入ったのは、無防備に足を広げて机に座るジーパン姿の下半身。
皆が一様に警戒してピリピリとした毎日を過ごしているというのにとんだ平和ボケである。人間、腹が膨れるとこうも緊張感が緩んでしまうものなのか。ピクニック気分でサファリに訪れた野ウサギを狩らないわけがない。

俺はだらしなく開いたそのジーパン目掛けて突進すると、両膝をガシッと押さえつけ、顔面を一気に股間に飛び込ませた。
「むんぎゅー!」
グリグリグリグリー!
「きゃっ!」
「!?」

……きゃ?
……耳馴れない声色
……むんぎゅっとしない顔面。
……瞬間的に締め付けられた太腿の感触が妙に心地よい。
……これはまさかの。
そっと顔を上げるとそこには、両手を口にやり驚愕の表情で俺を見下ろして固まっているクラスでも一二を争う美少女、あやちゃんの姿があった。

「ジーパンだったから…ジーパンだったから…」 声にならない声で言い訳する俺がその後クラスの女子からどんな扱いを受けたかは語るまでもない。

その事件がきっかけなのかは分からないが、その日あたりからむんぎゅは急速に衰退していった気がする。少なくとも俺はやっていない。
戦意喪失。むんぎゅからの卒業。
ただ、アホであるため、一週間後には新たな遊び「こっちゃあこい」 に夢中になって学校中を走り回る日々を過ごすのだが、この遊びについてはまた別に記そう。

女にちんこが無いということは勿論分かっていたが、小学生にして「ある」 と「無い」 を顔面で体感した者は少ないだろう。
大人になり、女性の股間に顔を埋めて愛撫する行為を覚えた俺は、貴重な経験から心の中でその行為を「無んぎゅ」 と呼んでいる。


拙筆 2016年7月
BGM:面を洗って出直して来い GAUZE

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