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写真卓越者こそ人格破綻者

(写真は東京都写真美術館のHPから引用したものです)

メインビジュアルが悪い。
そんなこと言っちゃダメかなぁ

恥ずかしながら彼の名前を聞いたことはあったかもしれないけど、見た事がなかった。
展示のメインビジュアルでおどけたように踊るように写った女性の姿はどこか家族にしかない視点やそれに類似したものを彷彿させた。

これは残念ながらの私の認知の歪みなのだが、家族愛とかそういうものが苦手だ。
何だかぬるくて不気味で湿っぽい古い固執のような縄を感じるし、端的に不気味で恐ろしい。

若い母親が抱く子への感情も微かに怖い。
ああいうものって、決して自分が立ち入れないからこその畏敬なのか、子供への過剰なしがらみ、少しの擦れも衝突も一切許さない睨み、本能的な恐れか否か、ずっと敬遠してきた。
共同体、という言葉が1番似合うと思っていて 緩やかに蔓延した彼らだけの空気感、共同体。
共同体が怖かった。

生きていると22年間の経験と余計な垢が邪魔をして決めつけや排他的に成りやすくなり、
今回友人に誘わなければ私はそのポスターを見て深瀬昌久の展示に足を運ぶことは無かっただろう。

ん?と思った。
ぁあはいはい、家族の温かさね。家族にしか撮れない距離感ね
ん?8年間同棲した元恋人?
嫁を撮りながら、展示しながらの元恋人?
しかもヌード?!いや、いいけどさ…。どういう感情?

この小さな違和感。
どういう感情?は、直にむくむくと膨れ上がって言った。
ほう、恋人の次に嫁の写真。
へえ、ウエディングにタバコカッコイイな。こういう女性だからこそ、嫁でいられたんだろうな。(その後写真目的のために二人でいるように感じた為、離婚したらしいが)

「?????!!」
上裸で2人並んだ女性は、嫁とその母親らしく、どう交渉したんだ…?どんどんと混乱に陥る。
そしてこの写真、だいぶ喰らった。

引用【https://bijutsutecho.com/magazine/news/exhibition/20947

いや、そもそも嫁だけ脱いでるの気になるの私だけ?
どうやって交渉したんだよ…笑
ですし、これが成立してしまうあたりマジで常識って建前でしかないんだな…と同じ写真を目指すものとして反省、私の生温さ。
この写真、概要は詳しくは忘れたけどとにかくファインダーに写るものは全て死ぬと気付いた昌久が何年もかけて家族写真を撮るようになったもので。
非常に性と生なるものの肉迫を感じさせる。
父の萎みかけた裸体と、真っ盛りの隆々しい昌久の裸体が並んでる写真とかすげー良かった。

でも父が亡くなった時、みんなで額縁持って満面の笑みでいるのがあまりにも自然の姿すぎて喰らったよね…。
まじで、本来死は自然的なものなのに私たちが死ぬのは病院の磨かれた美しい白の幽閉の中だし、あまりにも不自然なものとしてカモフラージュされすぎている。
死が近いのだと、隣り合わせだということを気づいていた今は亡き彼は、立派に目覚めていた側なのでは?とも思った。

それと、サスケっていう猫の写真がめちゃくちゃに良かった。
何がいいって、可愛がっていた子猫のサスケが半年後に姿を眩ませてしまったから新しく似てる猫を飼って、そいつをサスケと名ずけて可愛がっていた狂気、そしてその猫が成猫して一切飛び跳ねなくなった途端に新しい子猫を飼い始める不純すぎてもはや純粋な動機。
本当にこの人が恐ろしくて面白過ぎる。本当に終わってる、破綻してる。

多分徹底して奥様のことも感情で好きだから一緒にいます!と言いつつ、底はオブジェとして動物としてしか見てないんじゃないかな。という撮り方
情とか愛とかそういうちょっとしつこいものが徹底的に排除された衝動的で性的な撮り方。
本当に写真が上手い、うますぎる。撮れないしカッコイイ
なのに破綻してる。明らかに人格が終わりすぎてる。
どうやって許可を取ったんだ、被写体に。
写る側も残されたからには生涯尾を引いて責任はまとわりつくのにその一方的な暴力性。
面白いのに最悪だ。今の時代だったら即バンだろう、だからこその時代生で面白い。

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