2022古文書講座実地研修①~瀬場・妹沢~
いでは文化記念館では現在6月から10月の第2・第4木曜日に、出羽三山山岳宗教研究所主幹である後藤赳司先生を講師にお招きし、古文書講座を開催しています。
計10回古文書講座がある中の1回は実地研修を行う予定で、今回は10月13日(木)に開催し、ルートは庄内町の瀬場~清川に決定しました。いでは文化記念館の学芸員が今回の参加者を案内します。
瀬場
北月山荘に近い庄内町立谷沢瀬場では、江戸時代に砂金採掘場としてにぎわいました。現在は採掘場が簡単には行くことができない場所にあり、通常では採掘はできません。南部山村広場では、砂金掘り体験ができるそうです。
「瀬場」がそのまま地名として残っているのは、江戸時代に庄内藩直轄の砂金採掘場として栄えたことが大きいようです。酒井家が庄内に入部する際に酒井忠勝が越後(現在の新潟県)から金掘業の者を連れてきたようで、その者が移り住み、故郷を忍んで名付けた「瀬場」が地名として残っています。
妹沢の大イチョウ
庄内町立谷沢流域の妹沢には樹齢約800年とされる大イチョウがあります。徳尼公(とくにこう)*が家臣を従えて酒田に移り住む前、徳尼公は立谷沢に身を潜めていました。このイチョウは酒田に移った徳尼公を偲んで、地元の人々が植えたとされています。
かつて沢を横断するような道があり、イチョウに近づくことができましたが、数年前の庄内地方の大雨災害により道が崩落し、現在は危険ですので近づくことはできなくなりました。そのため、普段は行くことができない道を通らないと見ることができず、このイチョウを拝見できたのはかなり貴重な機会となりました。
脚注
・徳尼公(とくにこう)
奥州藤原氏第3代藤原秀衡(ふじわらのひでひら)の親戚(妹・後妻・娘など様々な説がある)と伝えられる女性。「徳の前」とも呼ばれ、奥州藤原氏残党の末裔を出自とする伝承をもつ酒田三十六人衆のルーツに関わる。
源頼朝によって奥州藤原氏が滅ぼされた際、平泉(岩手県)を脱し、出羽国(山形県庄内地方)へと逃れた。出羽国へと逃れる最中剃髪し、出家。その際に奥州藤原氏の郎党で田川郡を治めていた田川を頼り、妹沢に隠れ住んだ。その後酒田へと移る。
徳尼公の木像は明治初期前までは羽黒山寂光寺(現在の出羽三山神社)に祀られていたが、以後は黄金堂に移動。また、羽黒山斎館には、位牌が安置されている。
参考文献
『日本歴史地名大系』 第6巻 (山形県の地名), 平凡社, 1990
『酒田市史 上』, 酒田市, 1954
『酒田市史 史料篇 第一集』, 酒田市, 1963
『酒田市史 史料篇 第二集』, 酒田市, 1964
参考サイト・URL
・山形県庄内町観光情報サイトー立谷沢川流域ー立谷沢川
・羽黒山荒澤寺正善院ー黄金堂の仏像
・山形県庄内町観光情報サイトー立谷沢川流域ー歴史