人間らしさと珈琲と矛盾に関するエッセイ②

ここからは、矛盾に関する話。

「喫茶店での待ち時間が暇だったので、その間にコンビニに行き、ペットボトルのコーヒーを購入した。これを飲みながら、席が空くのを待つ」

こんな内容のテキストと適当な写真をつけて、Instagramのストーリーに投稿をしてみた。

すると、一人のフォロアーからリアクションが来た。

そのリアクションはたった一言だけ。

「圧倒的矛盾!!」

ああ、なるほど。良い返信。

誰かの返信に対して、良いだの、悪いだの言うのは凄く偉そうだけど、でも、やはり良い返信、悪い返信はある。

良い返信は、短い言葉で、しかし的確に言いたい事を伝える。霜降り明星の粗品のツッコミみたいなイメージ。

つまり、彼の言いたい事はこうだ。

「コーヒーを飲みたいから、その列に並んでいるのに、その列に並ぶ為にコーヒーを買ってくるのは、矛盾ですよ」

なるほどね。確かにそうかも知れませんね。

しかし、自分はこの返信に少しイラっとした。彼は「これが矛盾でない可能性」を少しでも考慮したのだろうか?どうも、彼は自分の感性で「これは明らかに矛盾に違いない」と決めつけて返信してきたように思える。

でも、それは危険だ。我々はつい自分の価値観、感性こそが普遍的で絶対の正義だと錯覚してしまう。

しかし、自分の感性で矛盾しているように見える事も、当事者にしてみれば至極まっとうだという事も往々にしてあるから。

カフェイン中毒者が数日、カフェインを抜くと「カフェイン離脱頭痛」というものを起こす。カフェインには沈痛作用があるが、普段からカフェインを摂取している人は、カフェインがない状態に慣れていないので、結構強烈な頭痛に襲われる。

ある時、自分でもこの実験をしてみた。コーヒーが切れた時に、新しいコーヒーを買いに行く事はせず、水とお茶だけで数日過ごしてみたのだ

すると、一日が経過した辺りからものすごい頭痛。頭全体が揺れるように痛む。原因ははっきりしていたので、揺れる頭でエナジードリンクのモンスターを買いに向かった。

まあ、そのくらいのカフェイン中毒者にしてみれば、少しの待ち時間にコーヒーを飲む事くらい、当たり前の事なのだ。その待ち時間が、電車の待ち時間であるか、デートの待ち時間であるか、喫茶店の待ち時間であるかは大した違いではない。

彼はきっと「この人はカフェイン中毒者で、どんな待ち時間にもついコーヒーを飲みたくなってしまう事はこの人にとっての当たり前なのだ」という可能性を考慮していない。

だから、自分は彼にこう返信をした。

「君は服を着て、ユニクロに行く事を矛盾だと思うのかい?」

これからコーヒーを飲むのに、その前にコーヒーを飲むことが矛盾ならば、これから服を買うのに、服を着て店に行く事も矛盾でしょ?

ちなみに、自分は誰かに何かを主張する時、その主張にほころびがある事を必ず確認する。

ほころびがない主張は「絶対に正しい」

絶対に正しい事なんて誰にとっても正しいのだから、わざわざ口にする必要などない。

「不倫は良くない」とか「戦争は止めた方がいい」なんて、さも鬼の首をとったようにテレビで言っている芸能人を見ると、恥ずかしくないのかな?と思う。

だから、自分の主張には必ず反論の余地がある。

その場で消費するコーヒーと、今後、何回も着る服では本質的に異なる。

でもいいし、

できる事ならば、全裸でユニクロに行き買った服を着て帰って来たいが、それは法律違反になるのでできない。

でもいい。

さあ、なんて返事がくるかな?

返ってきた返事は

「ちょっと何言っているかわからないです」

だってさ。これは二つの意味で悪い返信だ。

まず、第一に自分は来るべきあらゆる反論に対して、さらに次の反論を用意していたのに、肩透かしを食らったような状態になったから。

そして、第二にこのフレーズを最近よく聞くけど、本来このフレーズはそういう使い方をするためのものではないから。

このフレーズは、元々サンドウィッチマンがコントの中で使っていたフレーズだと思う。ツッコミの伊達が誰でも分かるような事を言ったのに、ボケの富沢が「ちょっと何言っているか分からないです」と返す。それに対して伊達が「何で分からねえんだよ!」とツッコんで笑いになる。

だから、このフレーズは誰でも分かる事を言った人に使うべきなのだ。本当に分からない時に使うフレーズではない。

でも、自分は彼の「ちょっと何言っているか分からない」から、彼が何を言いたいか分かってしまった。

要するに彼は

「めんどくせえな…」

と言いたかったんでしょ。

はいはい。ごめんなさいね。普通、そんなごちゃごちゃ考えてチャットとかしませんよね。

彼が望まないなら、これ以上めんどくさい事は言うまい。彼とは今後も良好な関係を保っていたいのだ。

自分は、用意したありとあらゆる反論に対する反論を片付けて、彼の返信に「いいね」で答えた。(ご存じだと思うがInstagramのチャット機能にはメッセージに対して、ハートマークで「いいね」を示す事ができる)

しかし、彼がもし、こちらの主張を全て理解してこう反論したなら、自分は自らの矛盾を認めざるを得なかっただろう。

「これが、あなたにとって矛盾を含まない当たり前の行動だと思っているのであれば、なぜわざわざそれをストーリーに投稿したのですか?」

ん~、「圧倒的矛盾!!」




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