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自分の感受性くらい、守れないとどうなる?

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ

教科書に載ってた、茨木のり子の詩。

前に、お客さんに、
「山形と言ったら茨木のり子だよね」
と言われて、調べたことがあった。

全然知らなかったんだけど、茨木のり子のお墓は山形県鶴岡市にある。


で、↓のページを見つけた。
https://www.matatabi.net/Poetry/ibaraki_01.html 

詩を書いた背景を、本人が語っている。
子ども時代の、戦争に対する疑問が根っこにあるらしい。

今になっても、自分の抱いた疑問が不安になることがあるでしょ。そうしたときに、自分の感受性からまちがえたんだったらまちがったって言えるけれども、 人からそう思わされてまちがえたんだったら、取り返しのつかないいやな思いをするっていう、戦争時代からの思いがあって。

自分の頭で考える訓練をしないと、簡単に体制に利用される。自分の中に正しさの基準を持っていないと、誇りを持って生きられない。


もう一つ、ドキッとした文があった。

一億玉砕で、みんな死ね死ねという時でしたね。それに対して、おかしいんじゃないか、死ぬことが忠義だったら生まれてこないことが一番の忠義になるんじゃないかという疑問は子供心にあったんです。

子供がこういう風に思う世の中って、悲しすぎると思った。

でも、もしかしたら今も、そう思ってる子どもは、たくさんいるかもしれない。

社会のためにと我慢を強いられたり、
社会に適応できずに疎外されたり、
自分の意見を言えなかったり、

個性を殺して社会に奉仕しろと言うなら、自分じゃなくてもいいんじゃないのか?

だけど!

あなたにはあなたにしかない感性があって、それがいつか誰かの支えになる。絶対に。

私もそうやって他人の言葉に助けられてきた。

その為にも、水をやり続けるんだ。

自分の感受性ぐらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ

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