本題その⑤ 子供のものは親のもの
こんにちは。
いつもお読みくださりありがとうございます。
今日は、母から常に搾取されてきた私の青春時代 について書いていきたいと思います。
私の高校卒業後の進路は、大学に進学するでもなく、会社員として就職するのでもなく、エホバの証人(以下、JWとします)の組織が強く推奨する、
世俗の仕事は最小限に留め、神の王国のたよりを宣べ伝える業を第一にするという生き方。そしてそれは「神権家族」であるなら尚更当たり前の事でした。
奉仕(伝道•宣教活動)するのには車の免許は必要だからと母に言われ、高校3年の冬休みに自動車学校へ通い(校則違反であったが)、3月に卒業する1ヶ月前に無事取得。そして卒業式の次の日から早速、朝9時からの奉仕に参加。
そうして日中は宣教活動のために優先して時間を空け、夕方5時からのアルバイトをして収入を得ることになった。
もともと私はJWの教理を信じ、信仰があるわけではなく、2世としてそう教育され、ただ両親の言われるがまま嫌々ながらも親の敷いたレールに乗ってきた。
私がアルバイトをして収入を得るようになってからは、母は私に、
「あんたは光熱費がかかる」と言われ、食費も含め月の収入の半分を家に入れる事になった。
月収の半分といっても、当時(約30年前)は就職氷河期。しかも1日6時間、週5日の「安時給のアルバイト」なので、ひと月に10万もいかない収入の中での半分。そのため私はいつも金欠。
そんな中、高校時代の友人達は、大学進学で親元を離れ、一人暮らしをしながら大学生活をエンジョイしている。私はそんな友人達を羨ましく思い、「私も一人暮らしをしたい」という思いを、意外にも両親はあっさりと承諾してくれ協力的だった。
家に月の収入の半分を入れるくらいなら、その分を家賃に回せば一人暮らしも出来なくはないだろうと、まさに若気の至りで、貯金ゼロだったが、
そうして私は、両親と同じJWの会衆内の区域で、職場から近い所のアパートを借り、念願の一人暮らしをスタートした。
引っ越しの翌朝は、母のいつもの忙しない金切り声が聞こえることも無く、とっても静かな朝で気分が爽やかだったのを今でも鮮明に覚えている。
引っ越しして3日くらい経った頃だろうか…
母がアパートの玄関ドアをドンドンと叩き、開けると
「あんたは家に何の連絡もしてこないで!電話くらい早く繋ぎなさいよ!」
と怒っている。
当時は携帯電話など無く、電話と言えばNTTの固定電話が当たり前の時代。私は貯金ゼロだし、当時7万5千円の電話加入権を支払うのは絶対無理。
その足で母に連れられてNTTヘ向かい、当時私は19歳の未成年だったが、親元の近くに住み、親同伴で契約に行った事もあり、無事に電話番号を取得する事が出来た。
こうして私は、母の異常な干渉から逃れ、一人暮らしを満喫するのだが、二十歳で購入した車のローンや維持費、また遊興費も増え、やはりこれまでのアルバイトだけでは生活が苦しく、夜中や早朝のアルバイトを掛け持ちしながら、
日中はこれまで通り補助開拓者として、午前は家から家の奉仕、午後は母にくっついて再訪問や研究参加。ひと月に60時間を宣教活動に費やし、多忙な生活を送る事に。
今振り返れば、せっかく一人暮らしを始めて両親と別々の生活になったのに、その時に規則正しい日中の仕事に変えれば体の負担も軽くなるし、時間に追われる事も無くなるだろうに、何でそこでJWから離れなかったんだろう…と思うのだが、当時の若い私にはそんな勇気、選択肢は無かった。
その頃は、私と同年代の「2世」が一人二人と組織から離れ、会衆内は
「○○姉妹が不道徳で排斥」
「△△会衆の○○兄弟が喫煙で排斥」
などの噂が広まっていた。
そんな渦中で、私も離れるとなれば、
これまでJWのステータスの模範的な「神権家族」として称賛されて優越感に浸り、また世間体を異常に気にする母の顔に泥を塗ることになる。
そして、有無を言わせないあの威圧感と、眉間にしわを寄せた恐ろしい顔の母から、力ずくで頭を叩かれとんでもなく怒り狂うのがわかっていたから。
この両親(特に母)が、私の胸の内を理解しJWから離れる、なんて100%絶対に許すはずがない。
あの恐ろしい私の母に、反抗する勇気があるという方がいるのであれば、是非その術を教えてほしい(笑)
こうして私は、睡眠時間と食費を削った節約生活。そんな一人暮らしを始めて1年も経たない頃であっただろうか…。
奉仕活動の時に、母が
「お金を返して」
と言ってきた。
それは、
車の免許取得にかかった費用。
アパートを借りる時の敷金などの費用。
電話を引く時の権利取得にかかった費用。
私の考えが甘かった。
やはり出してくれるわけないよね…。
午前の奉仕活動が終わった後に寄ったスーパーで、私がカゴに入れた特売のシャンプー詰め替え198円もしっかり請求するくらいだし。
私は、翌日の奉仕活動の時に、節約して貯めたお金のほぼ全額33万円をかかった費用代として渡すと、母は無表情、無言でそのお金が入った封筒を奪うように取り上げ、すぐさま自分の鞄に入れた。
そして私は再び、貯金ゼロからのスタートになった…。
こうして私は、再び節約し切り詰めながら一人暮らしをしていたのだが、両親(主に母)のステータスであった「必要の大きな所(会衆)で奉仕する」という美名のもと、(詳しくは “引っ越し” と題する記事に書いております) 引っ越しを機に、26歳の私は再び両親や兄弟と同居することになった。
引っ越しの片付けが一段落し、再び私はこれまで通り「神権家族」としての2世の役割、また世間体を異常に気にする母の機嫌を損ねないよう、日中は宣教活動をする時間を空けるために、夕方からのアルバイトを探すが、なかなか見つからず…
1ヶ月は無収入のまま、日中は宣教活動に参加。
母はそんな私に怒りを向け、
「だいたい、あんたのために引っ越しして費用もかかっているんだから、今持っているお金全部よこしなさい!」
と、鬼の形相で怒鳴る。
「私のために引っ越し?」
「引っ越したいとか言った覚えも無いし、そもそもすべて母が勝手に決めたことなのに…」
「母がJWの皆から称賛されるためでしょ」
と、内心思ってもそんなことを恐い母に言えるわけがない。
そうして私は、少ないが節約して貯めた貯金全額を母に渡すことになった。
私の手元にあるのは、ATMで引き出せなかった小銭だけ。
これでもう再び、この新たな地ですぐに一人暮らしを始める事が不可能になった。
再び、貯金ゼロに。
夕方からの仕事も見つからず焦った私は、仕方なくたまたま募集していた日中のアルバイトに就くことにした。
この頃は、JWの若い兄弟姉妹たちも携帯電話やPHSを持っていたが、私はまだ持っていない。なのでチラシを見比べて安いのを探していると、母は
「あんたは携帯電話なんて必要ないでしょ!お金も無いくせに!」
と言い放ち、私が携帯電話を持つことに猛反対する。
確かに貯めたお金は、全部母に渡しているので無い。だけど、世俗の仕事を減らし、日中は宣教活動を優先するよう私に強要し、そしてその私の生き方を喜び、優越感に浸っていたのは母だ。お金が無いのは私からすれば当然に思うのだが…。
でも今の時代、携帯電話は必須。
母になんとか許しをもらい、仕事が決まると同時に携帯電話を契約し、翌月に振り込まれる給料から携帯電話料金を支払えるようにした。
そして私は、再び両親と同居を始めた26歳から、JWを離れる29歳まで、光熱費として毎月の収入の半分を家に入れることになり、そして以前のように母に干渉される日々を送ることになった…。
最後までお読みいただきありがとうございます。
次回は、母が私に言わない言葉 について書きたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?