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本題その③ KYな母の〆は怒り

こんにちは。

いつもお読みくださりありがとうございます。

今日は、HSP気質の私と、自己中で空気が読めない母との、ある日のやり取り を書いていこうと思います。



私は今から6年ほど前に、ある病気にかかり入院したことがあります。(今は完治し、元気です)
40代にして人生初の全身麻酔による手術。

自宅から病院までは距離がありましたが、名医を訪ねて、また環境の良い所と思い、この(K)病院に決めました。

私を診察し、手術してくださる先生は、
「通常は1週間程で退院だが、家が遠方なので万が一、体調に異変があった時にすぐに駆けつけるのは大変だから」と気遣ってくださり、術後の様子を診るため2週間の入院となりました。大変有り難くとても嬉しかったです。

手術が決まったことを母に報告すると、真っ先に、
「じゃ、輸血はしないように、前もってお医者さんに言っておかないと!」
と、エホバの証人(以下、JWとします)が非とする「輸血」を気にしています。

すでに担当の先生からは「輸血の必要は無い」と聞いていましたし、そもそも私はJWからはとっくに脱会しており、信者でもないのですが…

そんな母も病院に一緒に付き添うと言うので…
私は、当時70代になった母の体の負担の事も考え、一泊二食付きで、母の好きな温泉大浴場がある、病院から近くのホテル3泊分と往復特急券を準備しました。

私は、手術前日から入院し、術前の検査。不安と緊張で病院に行く前日、手術前日の2日間は夜もほぼ寝つけず…
一方、母はといえば、久しぶりのプチ旅行気分で何やらウキウキしていて楽しそう…

そして翌日、朝9時から手術。

手術室で、
「終わりましたよ。起きてくださ一い」と看護師さんに肩をたたかれて目が覚め、壁に掛かる時計を見ると11時30分でした。

4人の看護師さん達に、キャスター付きベッドに寝る私を4人部屋まで運ばれて、今日は1日安静とのこと。

そして5分後くらいに、母が部屋に入ってくる。私の顔を見るなり、
「さっき、先生から手術の話を聞いていたら電話が鳴って、慌てて切ろうとしたら何か変に操作しちゃった」
とスマホを触りながら一人焦っている。

私は、
「何で病院内にいるのに、電源を切るとかマナーモードにしておかないの?」と言うと、母は「········?」って感じ。常識がわからないのか…?
私は、
「それで、先生は何て?」と聞くと、母は
「何か色々言ってたけど、よく覚えていない」
と言う。
私:「··················」

そして母は、何か言う言葉を探しているのか、どうすればいいのか無言で考えている様子。

私は安静で体を起こせないのでとりあえず、私のケータイを充電器につないでもらうように頼む。

母は、そしてまた何か私の言葉を待っている様子。
私は冷蔵庫に飲料水が無いことに気づき、病院の敷地内の1階にあるローソンで適当に買ってきてもらうように頼む。

······っていうか普通、術後すぐの私がベッドで寝ている姿を見て、「大丈夫?」とか「傷口は痛まない?」とか、何か気遣いの言葉があってもよさそうだが、母にはそういうのが無い。ずっと昔から。
こんな状況でも相変わらずそうなんだ…変な母…と思っていると、母が小さいレジ袋(500mlのペットボトルの水4本)を提げて部屋に戻ってきた。

そして戻って来るなり、
「これ、1本100円だった」と言う。
私は「···········??」
母は一体何が言いたいのか、考える。
「立て替えた400円返して」と言っているのか、それともただ、1本100円だったという「報告」なのか。

私は術後早々、何か色々考えすぎて疲れてきたので、そんな母の言葉をスルーし、
「ありがとう。冷蔵庫に入れといて」と言う。
「他には?」と母は聞いてきたが、私は
「もういいよ。お昼の時間だから院内のどこかのお店でご飯食べてから、ホテルに戻ってゆっくり温泉にでも浸かったら?」と言うと
「じゃぁ、そうする」と言って部屋を後にする。


術後の翌朝には、点滴と尿道カテーテルが外され、体は楽になったが、昨晩は腕に装着している血圧計が、自動で動くのが気になってやはり寝れず。そしてひどい頭痛。吐き気が少々。体調はすぐれない。

午前11時頃、母が部屋に来た。そして相変わらず、何の気遣いの言葉も無いまま、私の顔を見るなり
「1階にお花屋さんがあるけど、ここに置くお花いる?」と聞いてくる。
それが母なりの気遣いなのだろうか…?

私は、手術前の3日間は、緊張と病院という慣れない環境で寝てないし、そして体調も良くないし、体力も一気に無くなっている。母の話の相手をするのもかなり疲れるので、
「お花はいらない。もうホテルに戻ってゆっくりしててよ」と言って母を促す。

午後は、同じ部屋に入院する人と少しお話をしたりして過ごし、今日こそは眠れるかも…とこのまま寝落ちしそうと思った時、私のケータイの着信ランプが光る。母だ。時間は19時過ぎ。

私はキツい体をゆっくり起こし、部屋を出て向かいの多目的ルームに入って母の電話に出る。すると母は、
「ここのホテルね、食事がすごく良いよ✩大浴場も広くて泉質も良い♡!」と言う。
ただそれだけ。

「·············」
ホテルの感想を今、電話でわざわざ言うこと?
「体はどう?」とか聞くところじゃないの?
などと、私の頭の中でいろんな思いが交錯している。
「こっちはもう寝るところだから…」と言ってすぐに電話を切る。


そして朝、9時過ぎに母が部屋に来る。今日、母は自宅に帰る日で、ホテルのチェックアウトを済ませてきたらしい。そして自分のスーツケースからゴソゴソと何か出している。
5冊くらいの「ものみの塔」と「パンフレット」だ。家から持ってきていたらしい。
そして母は、
「2週間ここに入院でたっぷり時間あるし、ヒマなんだからこれを読みなさい!」
と、私の寝るベッド横のテーブルにバサッと投げ置く。

毎度おなじみ…母のルーティン。
いつもそう。
実家から自宅に帰る時の手みやげも、いつもJW関連の冊子。

「·····読まないからいらない」と言うと、あのいつもの恐い顔で
「いいから!読みなさい!」と怒り、そのまま病院を後にし自宅に帰って行った……。




続いて…



また、時代がずっとさかのぼって私が27歳の時(まだ現役JW)の出来事になりますが。。。

赤信号で止まっていた私の車が、後ろから前方不注意のノーブレーキの車に追突され、その勢いで私も前に止まっている車に追突し、私の車が廃車になる事故を経験しました。交通事故も人生初です。

右腕に少し痺れた感じがしたので、一応病院で検査をしましたが、異常は無いとの事でしたのでそのまま帰宅しました。
(その後は、1ヶ月間の休職と4ヶ月間整形外科に通い、体は良くなりました)

しかし、その日の夜から体のあちこちが痛み出し、強い筋肉痛のような状態になり…


そして翌朝には、全身が強烈に痛くてベッドから一人で起き上がれなくなってしまい…。
その日は日曜日で、JWの集会の日。

それでも私は「起きて早く支度しないと」と思っている。もちろん集会に行きたいからではなく、これまで通り、模範的な「神権家族」という世間体を気にする両親(母)のため、また母が怒らないよう機嫌をとるため。

しかし、体が激痛でどうしても動くことが出来ない。そして何か具合も悪い。「どうしよう…」と気ばかり焦っている。

そうしていると、私の部屋のドアがノックも無しに勢いよく開き、すぐさま
「あんたいつまで寝てるの!もう集会に行く時間でしょ!」と母が怒鳴っている。

そんな状況に気づいた父も私の部屋の前に来た。そして父は母に
「体がキツいんじゃないのか?今日はもういいよ」と母の怒りをなだめ、両親は集会に行く。

やはりこんな時でも、母は私の体を気遣う言葉は無い。無論、今まで優しい言葉などかけられた事も無いのだけど。


何が何でも、どんな状況でも、母の信じるJWの宗教が絶対優先、絶対第一。

そして常に、母は私にJWとしての「完璧」を求める。

エホバ(神)の教理に従わないと、何か私が法律を守らない犯罪者かのように言い放ち、そして最後はいつも怒り狂う。

変人だ……。



長文になってしまいましたが、
最後までお読みいただきありがとうございます。

次回は、母の巧妙さについて書きたいと思います。





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