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母の不可解な言動から、私が学び知ったこと(続)

こんにちは。

いつもお読みくださりありがとうございます。



最近は、そんな機会はほぼ無いのですが
「お母さんはどんな感じの人?」
と聞かれた時は、私はまず
「いつも怒っていて怖い人」 そして、
「ちょっと変わってる人」
と答えます。

もうアラフィフにもなる私ですが、幼い頃から常に頭を叩かれ、何事にも厳しく育てられた環境だったせいか、「母=怖い」という感覚は、いまだ拭い切れないでいます。

そして、両親(おもに母)が熱心に信仰するエホバの証人(以下、JWとします)として強要された生き方からようやく離れ、あれからもう20年もの月日が経っているのだが、それでも母は執拗に

「いいかげんJWに戻りなさい!」
「ハルマゲドンから救われるために早く聖書研究しなさい!」
「将来、楽園で楽しめばいい」
などと私に言い続け、そのたびにこれまでは

「40歳になってからね」
「45歳になったらね」
「時間が取れたらね」
「そのうちにね」
などと、その場しのぎのうやむやな返答をしてきた。

今思えば、この私の返答が良くなかったのかもしれない。けれど、当時は怖い母に

「JWには二度と戻らない」
「聖書研究はしない」
などと私の意思を伝えれば、母は怒り狂い、私の頭を力尽くで叩くのが分かっていたので、それを避けるためにそう返答するしかなかった。

けれど、今から3,4年ほど前に一度、あまりにもしつこい母にイラッとし、

「将来、地上の楽園で永遠に生きるとか、そんなのどうでもいい!今を生きているだけで十分満足。」

と言い返した事がある。
その頃にはようやく、私の心の内を母に伝えられるようになっていたのかもしれない。
アラフィフの反抗期。 遅っ!(苦笑)

だが、私がそう言った時、その時の母はメラメラと怒りに満ちた顔で私に近づき、
「ナニィ~?」と言いながら拳を振り上げ叩かれそうになった時、私はサッと反射的によけたが、自分の顔がこわばっているのがわかった。
でも…やっぱり怖い… 70後半にもなる母が…。



そして、「変わってる」母。

両親と同居していた時は、特にそうは思わなかったが、私が一人暮らし、また結婚して物理的に離れ、母を客観的に見れるようになって気づいたように思う。

その「変わってる」が「毒親」の特徴だったのを、私は随分あとになって気づくことになるのだが、
母はおもに、

過干渉/世間体を気にする/親の理想を押しつける/子供を否定する/良い母を演じる/外づらが良い/完璧主義
などが当てはまるが、その「毒親」を作る精神医学的、心理学的事情として

・発達障害(ASD・ADHD)
・自己愛性パーソナリティ障害
・サイコパス

そして、
・認知症。

これらの特徴は、ほぼすべて母に当てはまる。

(※ 母に見られるこれらの事情、特徴は私の個人的見解、解釈で実際に病院で診断されたわけではありません。また、毒親を作るこれらの事情は、100人中100通りあると言われており、皆がすべて当てはまるものではないとありました。何の文書だったか忘れました…すみません)

その上、母の場合は宗教上(JW)の教理ゆえに、その毒親の特徴がさらに悪化したようにも思えて、なんだか複雑のような気がする。だからといって、母が私の言うことを聞いて病院に行くはずもないし、そもそも母(両親)とは現在、連絡も絶っているので原因究明は不可能。
う一ん… 何だかモヤモヤ…。
こんな白黒思考の私は、ASDか…?


だが、しかし…
ある日、実家で両親と昔話をしていた時、
母は、少しだけ笑みを浮かべた自分(母)の顔を指差し、

「あんたが子供のとき、お母さんのこと怖かった?」と私に聞いたことがある。

ん? 子供のとき? 
•••っていうか今も怖いんだけど…と思いつつも、そう聞くと言うことは………

母は、私が幼い頃から『意識的』に「恐怖心」を植えつけて私を育て、また成人してからも、JWとしての生き方から逸れないよう、あの威圧感と恐怖感を故意に出し、そしてJWの厳しい規律や教理に従うよう私を抑え込み、コントロールしてきたということなのか……?
ならば、単なる 生粋の毒親 ってこと?

母の正体は一体なに? なに?なに??

アラフィフの私に、似つかわしくない言葉をあえて使って言うならば、私の母は


ヤベェ奴。



最後までお読みいただきありがとうございます。




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