渇いている方がいいじゃないですか

5月は去り、6月になった。大学に一回も行けていないにも関わらず五月病になりかけていた、いや、なっていた。zoomでのオンライン授業は非常に辛い、パソコンを四六時中睨みつけているのは本当にしんどい、こんな調子では社会に出てデスクワークなんかできないんじゃないか。とにかく講義がしんどいのだが毎日真面目に受講している。

さてタイトルにもある通り今回は「渇き」について書いていこうと思う。

いきなりだが今年に入ってから女の子に2回振られた、振られる前はもちろん毎日が楽しかった。恋煩いに頭を支配されてそれ以外の事が考えられなくなる、しかしそれが何とも楽しい。19年生きてきているがこれ以上に楽しいことを僕は知らない、知っていたら是非とも教えてほしい。

楽しいからそのことについつい依存してしまう、そして振られると楽しい
日々はそこで終焉を迎える。依存していたものが急になくなるのだ。
恐ろしい程無気力になった、何に対しても楽しいという感情が湧かなかった。檸檬の冒頭みたいだな、でも冗談じゃなくこの世の終わりだと真剣に思っていた。

恋に狂っている僕は幸せを具現化して見ることが出来た。すぐそばに幸せがあった、心が潤ってしかたがなかった。

しかしこんなに幸せでよいのだろうかとも同時に思っていた、心がカラッカラに渇いている状態の自分の方が確実に頭が冴えていた、行動力もあった、渇きを癒すために策を弄したりもした。

幸せに浸ることは最高に楽しい、だが同時に脳が溶けていく感じがした。

渇いている方がいいのではないか、幸せになりたいとのたうちまわりながら来る日も来る日も自己錬磨に耽る自分の方がいいのではないか。

僕には恋が向いていないのかもしれない、しかし切実に恋がしたい。

大学よ!早く始まっておくれ!このままでは独りでクリスマスを過ごすはめになる、もちろん独りでいることが不幸せと言っているのではない。恋人と過ごさない幸せもあるだろうが、僕は恋人と幸せに過ごしたい。

まだ夏も来ていないのに何を言っているんだろうか、もっと言うと梅雨入りもしていない、僕は病気だ、重症だ。決して直らない病に罹患している。
うまいこと厄介なこの病と付き合っていかなければ、そして来たるべき恋人にガッカリされないように日々自己錬磨に励まねば、忙しい、恋人など意識する暇もない程僕は忙しいのだ。

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