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ジョン・ウィック:コンセクエンスを詠む

轟音の巻藁突きは天国と地獄の門に響く等しく
幸福は目に見えずガンパウダーで闇に浮かんで辿りつけない
弱さから驕る者には逃げ道のない栄光がほほえむように
階段を落ちて車に轢かれても全然平気殺人紳士
終わること断絶と手をむすぶこと報いであると目をつぶること

ジョン・ウィック:コンセクエンス5首

 

「ジョン・ウィック:コンセクエンス」を観てきた。大好きなシリーズの最新作なのでハードルかなり高めだったけど面白かった! 
 
 まず良い映画は冒頭がいい。キアヌ・リーヴス演じるジョン・ウィックがいきなり空手の伝統的稽古方法「巻き藁突き」を無心にがっつんがっつんやっている。その一方で、ローレンス・フィッシュバーン演じるキングが長々とクソデカい声でしゃべっている。これは2023年秋の時点で考えうる最もシンプルなカオスのひとつだとおもう。

 毎回のことだけど、今作もやけっぱちのように人間が現れてやけっぱちのように死んでいく。殺し屋稼業に足を突っ込めばみな平等に死亡率が高くて、図体がデカかろうが小さかろうが男だろうが女だろうがずどん、ばすんとあの手この手の殺人大喜利に飲み込まれていく。阪神優勝とハロウィンがが同時にやってきて渋谷に道頓堀が出現したくらいの騒がしさだ。ほんとに巻き込まれたくない。

 ジョン・ウィックとは「誰が、何を、どうやって」という構文の「どうやって」の部分が異常に肥大化した作品だ。そのせいか前回までジョン・ウィックって何をしようとしていたんだっけ……? と、動機に対する印象がやたら薄い。犬が殺されて、家が壊されて、それで……ともっと複雑なことがあった気もするし、実際あったかもしれないけど、細かい事情に煩わされている余裕もないほど過密な状況に押し流されて、ついに第四弾まで観に来てしまった。

 そんな観客の心情を逆手にとるかのように、メイン殺し屋のひとりとして「何ものでもない男(ミスター・ノーバディ)」が登場する。彼は作中に登場する有象無象のモブ殺し屋たちと同じく、単に儲かるからという理由だけでジョン・ウィックをつけ狙う。ちなみに犬を相棒にしている。今作は真田広之、ドニー・イェンというとんでも身体能力イケオジが友情(あるいは仁義)に関するサイドストーリーを張っているのだけれど、そこへノイズのように割り込んで、自己中心的に現場を混乱させるめんどくさいヤツだ。
 
 とはいえ僕らは「何ものでもない男」に文句をつけることはできない。僕たちだって彼と同じくテーマのない情の空転した世界でなんとなく、さりげなく、意地汚く生きている。無料期間にサブスクを契約して、有料になる直前で解約したりしている。港区の女性は奢れと言ったりするし、男性は奢らないと言ったりしている。映画料金の元がとれればいいからストーリーとかうっちゃってとにかくわかりやすく殺しまくってくれ。客席の僕たちは心のどこかでジョン・ウィックにそう願っていたのではないだろうか。もちろん、そんな期待にも応えてきた(というか常に期待を上回ってきた)からこそジョン・ウィックシリーズは名作なのだし、ストーリー性のある作品の方が優れているというわけでもない。だけど、続編の数が増えれば時に軽薄さが漂うのも事実ではある。

 そういう「ノリ」に対する反省も含めて今作のジョン・ウィックは戦っていた気がする。ラストバトルでジョン・ウィックがぶちかました一発は固形化した「情」そのものだったんじゃないか。そうさ、ジョン・ウィックはただの化け物じゃなくて情のあるババヤガだからついつい応援しちゃうんだよな。そうおもって自らも情を取り戻しながら家に帰ると早速、真田広之見たさからアマゾンプライムで「モータル・コンバット」を鑑賞したのだった。


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