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明治・大正時代の萩焼

萩藩の御用窯は明治維新により民営化され、経営面で苦境に立たされます。
窮地から復活するきっかけとなったのは、1977年(明治10年)に始まった内国勧業博覧会。
9代坂高麗左衛門が鳳紋賞碑を受賞し、店には豪商三井家の当主が連日足を運ぶなど注目が集まりました。
さらに1981年(明治14年)の第2回展では、坂家は有功賞碑、三輪家は一等賞を受けて、双方とも宮内省買い上げとなり萩焼の名声を高めました。
また、表千家の十一代碌々斎(ろくろくさい)が2度に渡って萩を訪れており、萩焼と表千家の結びつきのきっかけとなりました。
それでも不況は続いたため、茶陶のみならず日用雑器づくりや、置物、萩焼の帯留めをはじめネックレスなどの海外観光客に喜ばれる装身具にも手を広げて生産を続けました。

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