見出し画像

大きな樹の話7

最近樹を見た時の感動が初めの頃に比べて薄れてきたなと、ふと思った。
同時に、これはかなり良い変化なんじゃないかなぁとも思った。

というのもこの撮影を始めてもう5年目。
大体300本くらいを見てきたから、当然巨樹も見慣れてくるわけだ。
今までは自分の暮らしとは遠く離れた違う世界の存在だったのが、実はだいぶ身近にあることに気付き、少し生活に染み込んできた感がある。

3年前、佐賀県にある武雄の大楠に会いに行った時、驚いたことがある。
早朝に撮影していたところ、お参りに来た人がパッと手を合わせてすぐに去ってしまったのだ。多分10秒くらいしかいなかったのではないか。
武雄の大楠といえば巨樹界隈(?)で知らぬ人はいないほど著名なクスノキだ。こっちははるばる九州まで来て、念願のご対面の最中なのに、なんてアッサリした人なんだろうと。
でもおそらくあの人は何度も何度もここに通っていて、毎朝(かどうかは分からないけど)手を合わせ一礼するのが習慣になっているのだろう。

これって凄く素敵な「慣れ」なのではなかろうか。
一回あたりの向かい合う時間が減ったところで、それは相手に対する畏敬の念が無くなったわけではない。
むしろ、自らの生活の中に巨樹や神という存在がごく自然に溶け込んでいるということだとも捉えられる。

「感動が薄れてきた」なんていう言い方はしたが、決して巨樹に対する興味が無くなったとかそういう話ではない。
たくさんの樹を見てきて理解はずっと深まったし、5年前より間違いなく樹そのものを好きになっている。実際、とんでもない樹を見れば今でも全然興奮するし、「うわー?え?デカ。」とか一人で言いながらずっと樹の周りをうろうろしたりしている。
だからこれは飽きたりパターン化したのではなく、良い変化なんだと自信を持って思えた。

この制作を始めた頃

自分は生活と信仰が強く結びついた環境では生きていないから、当時の人と全く同じ気持ちで巨樹を見ることはできない。

と思っていた。ただ、現在こうして沢山の巨樹に会ってみて、ほんの少しだけ当時の人に寄り添う形を取れたのかななんて思う。

改めて5年目、ちょっとした節目を迎えて、続けていて良かったと思うし、これからもジイさんになるまで続けたいと思っている。
会いたい樹は日本中にまだまだあるし、気持ち燃え尽きるまでとことん会いたい🌳

画像1

大御堂のスダジイ(茨城県 つくば市)       保護指定無し

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?