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大きな樹の話8(前編)

記憶に残る巨樹とは

この制作を始めてから、今月で丸5年が経った。
大学3年次に訪れた1本のタブノキを皮切りに、私の巨樹探訪は今日まで続いている。
これまでに出会った樹は325本。今も5年前も制作の軸は変わらないけど、これだけ見てきて感じたこと、分かるようになったことがいくつかある。
今回は無数にある巨樹の中でも強く記憶に残る個について。
その他はそのうち記事にしま〜す

本題の前にひとつだけ。訪れた巨樹のどれもが素晴らしい名木であること。これは間違いない。ここに挙げてないからと言って、何かに対して劣っているとかそういう意味ではないので、それだけは分かってほしい。 そして今回は伝承や地域との繋がりは考慮せず、あくまでも私個人の出会った際の直感的なイメージでの話になることをご承知おきください。

さて、一口に記憶に残ると言っても2つパターンがあることに気付いた。

ひとつは「生命感に溢れ、その並外れた外観的特徴が顕著に現れているもの」 
もうひとつは「生物としての樹とは違う、何か別の域に達しているような印象のもの」 

それなりに長くなるので、今回は①の方を少しまとめます。
こちらに関してはおおよそ巨樹が持ち得る特徴(幹が太い、枝が広がっている、不思議な形をしているとか)の、一つの到達点と考えて良いと思う。今の制作の軸になっている感覚はここから来るもので、埼玉県にある上谷の大クスを初めて見た時にこの印象を受けた。ただただ純粋に大きいものを見ると、人は言葉が出なくなるものだ。
「ここにこれだけの大きさのものが生えている」と事実を思い知らされる根元の太さ。
首が痛くなるほど見上げないと分からない樹上。
そんな高さで水平に伸びてゆく、枝と呼んで良いものか分からない太さの枝。
程度の差こそあれ、理解が追いつかないような規模や形の樹がいる。いつも語彙力を失って、まわりをウロウロするしかできなくなってしまう。
そのあまりの存在感とエネルギーに畏敬の念を覚えたのは過去の人々も同じだっただろうか。
このパターン①に当てはまったのは、
上谷の大クス(埼玉県)
湯島の大スギ(山梨県)
来宮神社の大クス(静岡県)
岩屋の大杉(福井県)
湯蓋の森(福岡県)
菩提寺の大イチョウ(岡山県)
志々島の大楠(香川県)
蒲生のクス(鹿児島県)
の8本。大きな樹の絵を描いてくださいと言われたら、間違いなくこれら8本の影響を受けた想像上の1本が生まれると思う。
巨樹らしい(これも個人的な感覚に基づく曖昧な意味であるが)という点において、これらは非常に象徴的な個体であると思う。
後編に続く🌳

志々島の大楠



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