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大きな樹の話10

しばらく巨樹から離れて

昨年の10月半ばに鹿児島へ撮影に行って以来、巨樹巡りを中断していた。
鹿児島での3日間があまりに良い時間で、何も達成などしていないのに謎の達成感に満たされてしまったのだ。
あえてその理由をあげるとしたら、1番見たかった蒲生のクスが本当に素晴らしかったからかもしれない。アクセスもさほど不便な場所ではなかっため、3日間ともルートに組み込むことができた。しかも天気はそれぞれ雨・曇り・晴れ。完璧だった。
最終日、空港に戻る前に訪れたときは夕日に照らされていた。それは見事な立ち姿で、飛行機の時間のためそこを後にしなくてはいけないのが悔やまれた。
もちろん、樹齢や幹の太さ、高さなどの数字に全く心が躍らないとは言わない。当然それだけの数値を持っているからこその勇姿であることは間違いないだろう。
しかし、あの言葉に表せない何かは、今思い出しても身震いするようなものだった。

「これが日本人にとっての巨樹か」

全ての巨樹に会ったとて、その答えが出るとは思わない。それでも蒲生のクスはそう思わざるを得ないほどの存在であった。

そんな経験をしてしまったからか、次の目的地が浮かばなくなった。
いや、行けるのなら行きたいところは沢山あるのだが、いつものようにスッと出てこない。
以前から、撮影ばかりでなく制作について考え直す時間を取らなければとは思っていた。でもやっぱり直接自分の目で見る経験が堪らなく好きで、ずっとタイミングを逃してきた。
今しかないなと思った。
この文章を書いている時点で8ヶ月が経っている。途中でたまたま出会ったり、必ず会いに行っている神代桜を挟みはしたものの、制作をスタートしてからここまでの空白期間は初めてだ。

今まで撮り貯めてきた写真を整理する。卒業制作と個展の2度しかカタチに起こしていないので、調整すら加えたことのないデータすらある。すみません…という感じ。
ずっと前に撮った樹も前回の撮影した樹も同様に懐かしく思う。
1人で訪れた樹、初めて友達を連れて行った樹、通った道、道中で起こったこと聴いていた曲、完璧ではないけれど、相当覚えているものだなぁと自分なりに感心してしまう。
制作を始めてからの人生は樹とクルマと共に有り。なんて言えそうだ。

卒業制作でセレクトした写真をもう一度まっさらから現像してみる。同じ気持ちでやっているつもりでも、当時と今ではデータやプリントに込めたい想いがちょっと変わっていた。
これが作家として、ブレなのか歩みを進めていると言えるのかは分からないが、まあ何年も経てばそうなるかと気楽に捉えることにする。
いつかリメイク?版の卒制とかも出してみたいなぁ。

あとは街中のちょっとした樹木も気になるようになった。最近引っ越した家から歩いてすぐの所に、二抱えはありそうな立派なケヤキの木がある。身近な場所にも素敵な樹はたくさん生きているものだ。
初めて歩く街でも、建物の隙間や上から大きな樹冠が見えると、つい足がそちらへと向かってしまう。地域の保護指定や名木を示す札を見つけると何だか嬉しくなる。
そこで暮らしている人にとって、樹の大きさや樹齢なんてものは大して重要ではないのかもしれない。
前に見かけた、樹齢3000年の御神木へのお詣りを一瞬で終わらせてしまうおじさん(未だに信じられない笑)と、近所に見つけたケヤキの根本まで行ってみる私の差はなんだろう。
身近に少し大きな樹があって、日課のように挨拶を交わすだけのことだ。私のように全国の大きな樹に挨拶回りをしている方が珍しいのだ。何十本、何百本も見れば当然したくもないはずの比較をしてしまう。無意識に。

写真を撮ってその一部を発表する、という流れには必然的に取捨選択が伴う。卒業制作のときも1番悩んだのがここだった。それぞれに優劣なんてないのに。たくさん見てきたが故にぶつかる壁だ。
とは言え、逆に全てを隠さずに発表すれば良いかと言われるとそうではないと思う。私なりに見つけ出したい答え、伝えたいことがあって制作の道を進んでいるのだから悩みながらでも続けるしかない。

空白期間を設けてものすごい収穫があったかと言われると、正直そこまでのものは無かった。
でも人生は常に2択だから、間隔を空けなかった選択よりも良い方向に進んだと思いたい。選んだ方が必ず最善だと思う。
そんな感じで、ほどほどに振り返って、気付きも得たので遠慮なく撮影再開します。
何でも我慢した後は欲が高まると言いますし。

行きたい場所も久しぶりにリストアップして、ワクワクです。
次回はきっとテンション高い更新になるね🌳

蒲生のクス

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