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大きな樹の話12

一本杉の存在感


樹には当然、その種が持つ生態的な特徴があり、なかでも巨樹はそれが顕著に現れると思う。
クスノキは地面を掴むといった表現がぴったりなほど、雄大に発達した根。
イチョウであれば幹とも根とも判断できぬほどの複雑な樹形。
トチやカツラなら湿潤な気候を好むことから、苔むした美しい樹皮であったり。

全国にはその姿形や生態が理由となって神社仏閣の神木とされている例が数多くある。
常緑の種は溢れる生命力の証として、清流や湧水の近くで育つ種は水の神として、内部に水分を多く蓄える種は火伏の神として祀られていることもある。
そして、全国の御神木として最も多く植えられているのはスギではなかろうか。
秋田・富山・三重・京都・奈良・高知の6府県が杉を県木に指定しており、その重要性が伺える。
ひたすらに真っ直ぐ伸び、並び立つその姿はある種の緊張感を生み出し、神聖な空気を作っている。

スギの語源は「直ぐ木(真っ直ぐな木)」からきているとされ、天と地を結び、神が降り立つ場所であると考えられていた。
しかし、真っ直ぐ伸びるというのはあくまでもスギが持つ特性のひとつに過ぎず、昔から今のような一本杉ばかりではなかったと言われている。
発芽した環境に合わせ樹形を変え、自在に枝を分岐させ、折損にも強く主幹を失っても支幹や他の枝がカバーするように発達する。これが本来スギが持つ力であった。
やがて積雪や岩場などの環境的要因に影響を受けない高さまで育つとグンと真上に伸びる。この特徴が強く出るよう品種改良が行われたものが今多く見られる一本杉である。ただし、綺麗な一本杉を育てるには人の手入れが重要で、枝打ちなどが不十分だった個体は枯れ枝の目立つ荒々しい姿となる。
元々は良質な材を切り出すための品種改良であったと思うが、全国各地に残っている樹齢数百年〜千年と言われる大スギは伐採されることなくその地のシンボルとして、また重要な神木として今も生き続けている。

一本杉、その名の通り根元よりほぼ垂直に立ち上がる幹が特徴で、全国の巨樹と呼ばれる樹木の中でも至極シンプルな樹形をしていると言える。
悪い言い方をしてしまえば面白味のない見た目であるが、何かが私の心に響いてそこから動けなくなってしまう。
特徴のない形だからこそ、その太さ、高さに目が行く。
ただ自らより大きいものに「何か」を見て、畏敬の念に近い気持ちを抱くのは、純粋な日本の古き信仰の姿ではないか。
その葉に何らかの成分が含まれているとか、その実が人にとって有用であるとか、そういった二次的なものではない。
混じり気のない、得体の知れない何かが私たちの心の深い部分を打つのだ。
100年前、500年前、1000年前の人々は一体何を感じとったのだろう。
知る由もないが、もし私と同じことを思った人がいたのならば、それほど興味深いことはない。

各地の巨樹を訪れながら、そんなことを考えている。植生が違うから、きっと地方ごとに差異もあるのかもしれない。まだまだ分からないことばかりで、ますますやめられない。


弥彦の婆々杉

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