吃音症が海外大学に入学するまで【高校】#7

「希望」とは、おそらく具体的なものではありません。
抽象的に、なんとなく、理性の外側で捉えているものだと思います。
「微かな希望」とは抽象度がかなり高く、「祈り」に近いものかもしれません。自分ではどうにもできないから、ワンちゃん誰かどうにかしてくれ、という無責任な考えなので。

抽象的なものを必死につかもうとすると、痛い目を見ます。
「希望ってあるんだな」程度の考えでいれば、抽象的なものを抽象的に捉えているに過ぎないので、痛い目を見ずに一旦は済みます。

ということで、高校生活は大変充実します。

正確に言えば、忙しさの中で吃音を忘れる時間が多かった、になるでしょう。

前回述べた通り、高校入学直後は苦労が再来しました。
「吃音がばれる」というのはメンタル的に結構しんどいイベントなのです。
そんなイベントが毎日頻繁に訪れる時期は辛いです。
ただ、気が付いたら毎日サッカーと勉学漬けになっていて。
中学より遅い帰宅時間、増える学習時間。
いじられたり馬鹿にされたり、授業でいつも通りしくじったり、辛い時間もありましたが。
あまり記憶に無いんですよね。中学・小学校時代の方が覚えていることが多くて。
周りも高校生という事で、大人になっていたっていう事もあるのでしょう。
初対面の壁を乗り越えて仲良くなった部活の奴らとたくさん馬鹿なことして。
先輩や後輩ともギリギリなんとかやって。
学祭実行委員とかやっちゃって。進学の為のボランティアという言い訳で。
良いですね。楽しんじゃって。

誰しも、高校生になったらこういう学生生活送りたいな、とか考えるじゃないですか。
そのようにして描いた未来を否定された幼少期でしたから、昔の自分からしたら、相当羨ましい高校生活を送れたと思います。

別の言い方をしますが。
今俯瞰的に考えると、私が送ったこの高校生活は、幼少期に夢描いた「未来」であり、それを送れる事に対し「希望」を見出していたのだと。
ただ、幼くして見たその希望は、吃音に苦しめられた今までの過去によって、とてつもなく微かなものにされてしまいます。
なので自分は諦めていたのです。「普通の生活」を。
ただどこかで、その「希望」は微かに存在していて。
自分を諦めたと自認しているため、その「希望」を掴もうともがく事もありません。
ただ、気が付いたら、忙しくも充実した生活を送っている自分がいて。
「希望」が「未来」「現在」とリンクしたという、なんとも中二病チックな表現が一丁入りましたが。

抽象的なものを抽象的にとらえ続けていた自分は、希望どおりの高校生活を送ることにまぁ成功したと言ってもよろしいでしょう。

微かな希望を持ち続けた結果、それがしっかり叶ってしまったのです。

人生なんとかなるじゃん!そう思います。

人生なんとかなるよね?と長年の自分の中の濃いモヤモヤが晴れ気になります。

ところで、このマガジンで度々出てくるフェーズではありますが。


吃音を忘れる、この時間が一番恐ろしいのです。


毎日の会話、授業や部活の中で、辛い思いはしてました。
ただそれらは全て一時的なメンタルショックの様なものでした。
そんなものは、忙しさの中で忙殺されます。
楽しさの中で、忘れ去られます。
人生なんとかなるという希望が明るく見えます。
吃音と共存していける未来が見えます。

吃音が自分の未来を思うようにさせない事を、忘れていたのです。

その事を思い出した時、今まですがってきた希望がまた微かなものになります。今までない以上に、うっすらにしか見えません。
話が違うじゃないかと。
どうになかなるんじゃなかったのかと。
自分は必死になります。必死にもがいて、もがきます。
この時が一番辛かったなぁ。

何が起きたかというと、まぁこれも再びなのですが。
現実が急に迫ってきたのです。

海外大学進学に必要な試験は、ペーパーテストだけではありません。
各教科で必ず行われる、プレゼンテーション発表。
英語力を証明する為に受験するTOEFL や Ielts 英語能力測定試験の、スピーキング試験。
プレゼン発表は、最終スコアの20-30%を占めます。
TOEFL等は、大学側にとっての一番最初の足切りです。

最終試験を11月に控え、模擬試験の様なものを6月に受けます。
TOEFLも、今の実力試しで受けてみます。


もちろん本番ではありません。
ただ、人生がかかっているという壮大なプレッシャーに、完膚なきまでに押し潰されました。

言葉が全く出てきません。
あんだけ昨日練習した台本が、まったく役に立ちません。
採点する先生の心配そうな顔。
下を向く同級生。

人前で話すときに限る、訳ではありません。
録画で行われるTOEFLスピーキング試験。
目の前にはデスクトップPC。ただの金属の塊。
なのに、いつも以上に言葉が詰まります。
画面の反射で映る、顔面蒼白の自分。
ヘッドホン越しに聞こえる隣の受験生の流暢な英語。
さらに吃る。



結果、海外大学進学を諦めるかどうかの所まで行きました。



世界は広いです。
選ばなければ、海外の大学に入学できます。
Fランというのも日本だけの話ではありません。
事実、滑り止めでオーストラリアのとある中堅大学を受験し、仮合格をもらっていました。

ただ、今まで膨大な投資を親がしてきて。
そしてこれからも膨大な授業料が待ち受けていて。
世界ランク500位くらいの、日本でいうMARCHの下ぐらいに行くくらいなら、国内受験に切り替えてMARCH入った方がいいのでは。

その方が将来も安泰なのでは。
というか今のコミュニケーション能力では、海外に住む事さえもできないのでは。

一個だけ補足しますが、吃音のせいだけで、試験の結果が付いてこなかったわけではありません。
ペーパーテストもありましたよ。
単純に勉強不足でした。

それでも吃音を憎みました。
吃音のせいだと。
確かに、この Oral Exam において、吃音は足をしっかり引っ張りました。
でも分かりきっていた事でもありました。
なので、自分に期待した自分を叱りました。
自分に失望することが、当たり前だと信じることにしました。


ここでちょうど高校最後の夏休みが始まる、というタイミングでした。
さて、この夏休みが、割と転機になります。

海外大学進学の夢が消えかけていた中、ある決断をします。
海外大学進学の勉強をしながら、AO入試で国内大学の受験を決めました。
いわゆる、「帰国子女枠」での受験です。
海外移住経験はないものの、今まで培ってきた英語力で勝負しようと。
理系志望で、AO入試で入れる国立大学の理学部がありました。
入学したら、1年間の交換留学もついてくると。

当時の自分の成績からすると、全くもって悪くない妥協案でした。
国立大学なら、親の負担も減るし。
国内大学なら、卒論のゼミぐらいしか人前で発表する機会はなさそうだし。


ということで、次回は短めの高3夏休み編です。
タイトルからも分かりますが、なんやかんやあり、結局、海外大学へ進学します。
自分の背中を大きく押した、ある事件が夏休みの最後に起きます。


では。

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