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社畜新学 #2 「負けるが勝ち」と言う社畜にかけられた呪いの祓い方

noteの定期更新をはじめたきっかけが有能極まりないアウトプットの鬼のドイさんなら、noteそのものをはじめたきっかけは猫山課長
このnoteを読んでいる方ならご存知の方も多いであろう。
サラリーマンの仕事で意識高くパフォーマンス高く、副業でも圧倒的な成果を出している、エクストリームサイドにいらっしゃるスーパーofスーパーサラリーマン。

今回は、そんな猫山課長とポンコツ寄り凡人である私とのやり取りから得た考察を書いていこう。

下のポストは、猫山課長の出版イベントを見ている途中で、X(Twitter)に書いたポストに対して、猫山課長からいただいた引用リポスト。

↑↑
こんな嬉しいコメントを猫山課長からいただけた。
時間が経ってしまったが、改めて振り返って掘り下げてみる。

以下、原文ママ・改行入れた
↓↓↓
#SUNABACO
なかまこさんと猫山課長の対談を聞いていて、この3年くらい抱えていた負け惜しみという一言では収まらない感覚を言語化してもらえた。
(まだ途中までしか聞いていないけれど・・・)

サラリーマン人生の中で40歳で肩書が一つ下がるという経験をしたことは、自分にとって決してマイナスだけではない。
自分で選択した結果だし諸々事情あり受け入れているつもりだったけど、それなりにショックだった。

真面目に社畜してきた自負もあったから尚更・・・

会社の中での役割の変化以上にショックだったのは、肩書が下がった私のことを「オワコン」扱いして、対応を変えてくる人が一定数いたこと。
そしてそうした人たちの振る舞いに過剰に反応してしまう自分のことも嫌気がさした。こんなものは呪いである。

だけど、そういう経験があったからこそ、本来は役職定年のタイミングで気づける呪いに目を向けさせられることになった。会社の与えてくれた肩書に僕らはこんなに盲信していることに気づけた。このことは40代に入ってからの自分の価値観に大きく影響を与えていると思う。
そして今では逆に、努力次第でこれまでの呪縛を手放すことができるから運がいい、とさえ思える。

そして、別の観点からの発見もあった。立場・年齢関わらず、肩書が下がった自分に対して変わらない対応をしてくれる人もいた。それは私にとって救いだった。特に会社の外の世界に目を向ける前は。

その人たちのおかげで色々と腹が括れるまで腐りきらずにいられた。この年齢で腐ってしまったら、もう後戻りは難しい。 恩返しなんて言ったら烏滸がましいが、そうした変わらない対応をしてくれている人は、私が会社員を続ける限りは何があってもサポートし続けたい。

恐らく、もう以前のように会社の中枢を担う人材であることは期待されていない。流石にいくら私がアホでもわかる。でも僕の人生は続いていく。
例え会社の出世コースからコースアウトして社内で「オワコン」だったとしても。会社の中でどういうポジショニングをするか、一人の人間としてどうあるか、面倒でも向き合わないといけない。

だけどそうやって変わっていく自分が楽しい。

今の会社の中で、肩書が下がっても対応を変えずに接してくれた人のことは変わらずに大好きだし、そんな人たちとこれからも仕事をしていきたい。本当に感謝しています。 それと並行して会社の肩書を取った自分がどうあるべきか、可処分時間を使ってしっかりと見出していきたい。

ちょっと眠る前に思っていることをつらつらと書いてみました。

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書くのが遅くなりましたが、まぁリマインドにはちょうどいいということで、お付き合いください。

なかまこさんと猫山課長の対談を見ていて、思い出した言葉がある。

負けるが勝ち

私はこの言葉が嫌いだった。

この言葉を認識したキッカケは、小学生・中学生の頃、母から「負けるが勝ち」だからケンカ売られても手を出すな、と言われたことだ。

母は手を出されてもやり返さない、という文脈でそれを言ったが、ケンカになってやり返さなかった僕を学校の先生も母も決して守ってくれることはなかった。こんなのただのやられ損だ。今になって思えば、母は僕がケンカすることによるトラブルがイヤでそう言っていたのだろう。

それ以後に母に言われた「負けるが勝ち」も残念ながら本来の意味の格言としては、私の心に響くことはなかった。

「負けるが勝ち」という言葉は嘘っぱち。

そう思っていたからこそ、殴り合いの喧嘩になるなら先手必勝。
負けることなんて考えられない。やられる前にやったもん勝ち。
そう考えて実践するように自分の思考は形成されていった。

こうした価値観でティーンエイジを過ごしたからこそ、物理的な喧嘩とかをするような年代を過ぎても、「負け」、特に「次に活かせる必要な負け」ということを正しく捉えることから逃げてきた。
負けを認めたくない思いのあまり、過去の失敗や負けと向き合うことを徹底的に避けてきた。そうやって小さい世界で大きなプライドを振りかざせる場所を安全な場所だと思い込んでいた。

一方で、、

「いい歳して今更だけど、そんな自分を変えたい。」

そんな気持ちも持ち始めていた。
うまく言語化できないが、そういう自分の弱いところを曝け出すことへの恐怖を克服、というか弱い部分を受容できるくらい自分が強くなれば、何かが変わると自分の直感が訴えかけてきている。

最近ちょっとずつそういうように考えるようになり始めてきた。

そんなとき、思い出したことが、自分の心の中で一度亡きものにした「負けるが勝ち」という言葉だった。

会社の中で出世競争に敗れる、期待されない存在になる。この社畜にとっての「大敗」である、降格した現実とどうやって克服したか、に向き合って、せめて何かプラスにしてやろうじゃないか。
どうせなら、自分の敗北とそれによって起こった感情や向き合い方を「みっともない中年の負け惜しみ」として葬り去ってしまうよりも、解像度を上げつつ何かしらの考察をしたら、似たような感情を持っているどこかの誰か一人にとって、少しは救いになれるかもしれない。
そう思って今回のnoteを書き始めた。

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ちょっとだけ自分のキャリアを振り返る。

私は今まで第一志望が叶って思い通りになったことは一度もない


(むしろ第一志望が叶う人の方がレアかもしれないが・・・・)

中学受験・大学受験・就職・転職

キャリアの一大イベントでは一度も第一志望に手は届かなかった。

もちろん自分の努力で勝ち取れそうな範囲で最善の結果を出そうとしてきたし、その場面での最善だと思う結果にリーチするための努力もしてきた。
だからこそ「それなり」の結果を得ることができた。
だけどそれを免罪符にして「負け」という現実に向き合おうとしてこなかった。

40代という中年になって、そのツケが回ってきたのだ。

上のX(Twitter)のポストに書いてある私の勤め先である現在の会社は、私にとって3社目。
転職が当たり前になり始めた世代の私たち就職氷河期後期の世代からしたら、2回は決して珍しい転職回数ではないだろう。
3社目では、おかげさまで10年以上続いている。
考えが合わない人やウマが合わない人が全くいないわけではないが、本質的にいい人が多いと思う。上司・部下・先輩・後輩にも恵まれている、と本気で思っている。
周りのサポートのおかげもあり、運よく、同世代・同年次入社(新卒・転職問わず)の中ではトップクラスに早い昇進をした。
もちろん努力もしたし、人並み以上に働いた自負はある。休み取らなすぎて血吐いたこともある(人生で3回・・)。

努力を出世という形で結果を出せたことは、シンプルに嬉しかった。この気持ちは今でも変わらない。
だからこそ、今の肩書が降格した状況を受け入れようとしても、どこかで劣等感は拭いきれなかった。
肩書は与えられたものだから、そんなとのに振り回されずに自分自身をしっかりと持とう、といったことが書いてある自己啓発本はたくさん読んだ。酒を飲みながら、、(酒カスレベルが今よりだいぶ高い)

だが、それらはしっくりこなかった。詭弁にしか聞こえなかった。著者の華麗な肩書を見ると、「あんたのような成功者が俺みたいな敗北者の気持ちがわかってたまるか」と勝手に心の中で毒付いていた。

そんな折、副業(パラレルワーク)に関する本に出会う。今や書店に行くと副業関連の本は所狭しと並んでいるが、当時はそれほど多くなかった。地元の蔦屋書店でめぼしい本をいくつか買い、残業しなくなって余った時間で読み耽った。酒を飲みながら、、、
「副業サラリーマンになろう。そして降格したときに態度を変えてきた人たちを見返したい。おれはオワコンじゃない、まだ生き続けている生身の人間なんだ。」
そういった気持ちが自分を突き動かした。

今思い返すとくだらない。
こんな幼稚な「承認欲求」が自分を副業に向かわせたのだ。

そこには誰かの困りごとを助けよう、というビジネスが成り立つうえでの根幹になければならないものがないから、当然すぐにうまくいかなくなる。
そこから多少なりともいい方向に走り出した経緯は、いつかまた別の機会に書きたい。

会社の中での肩書は幻影。
幻影に心を支配された中年は呪われた存在。
当時の私は、まさに特級呪物だ。

そんな呪いを祓えたのは、会社での出世競争は、私にとって負けてもいい場所である、と心からわかったからだ。
もしかしたら「負けたからそう言い聞かせている」、と逆順かもしれないが。

会社の全国方針を決めるような立場で働きたいわけではない。
単身赴任で東京に住み、全国を飛び回りたいわけではない。
妻と息子と暮らす家があり、母がいる北海道に居を構えたい。
そして会社員しながら自由になる時間で自分の時間・能力を困っている人の役に立つように使って複業したい。

そのように考えるようになった結果、私にとって
社内の出世競争は負けてもいい場所、
となった。
目の前の顧客への価値提供に真剣に向き合うことができるのならば。

同世代のトップ集団という早いペースで昇進した私は、皮肉にもいち早くそこが自分のいるべき場所・勝たなければならない場所ではない、と気づいた。

これが、私にとっての「負けるが勝ち」だ。

敗者には居心地のいい居場所がない、というのが世の常だが、こんな私に居場所をくれて、副業の許可もしてくれた会社には感謝しかない。

最近、会社の仕事をする時以外の自己紹介の場面で会社名を言うことは無くなった。
以前は会社名と肩書、どんな仕事をしているかを話していた。(サラリーマンだと多い自己紹介テンプレートだがほぼそれに則って)
だから、肩書が下がった自分を人前で自己紹介するという行為自体が、自分の価値が目減りした自分をP Rしているようで非常に辛かった。

今はサラリーマン以外の時間帯で自己紹介をするときには、パラレルワーカーとして複業の内容を紹介して、その中でサラリーマンの話をするときには、さらっと「サラリーマンの時間は法人営業の仕事をしています」というくらい。

「負けるが勝ち」


これが私の呪いの祓い方。
母親が仕込んだ解呪の言葉は、30年以上経ってから息子にかけられた呪いを祓ってくれたのだ。

中年のおっさんをしていると会社の中で思うような立ち位置に行けないこともあるし、納得できない処遇となることもある。
このnoteが誰か1人でもいい。そんな人のちょっとした心に届いてくれるといいな、と思っている。

P.S.
このnoteでは詳細は記載しませんでしたが、私のケースでは肩書が降格になったのは、私的な事情を会社のルールに当てはめたらそうなるよね、と言うある意味当然のことです。
それでも自分の中で折り合いをつけることができず、これだけ心に闇(病み)を抱えてしまいました。もちろん、これは私の人間的な未熟さ故です。ただ会社の仕事だけを中心にした生活をし続けると、キャリアにつまづきを感じた時に心に闇を抱えてしまう人も多くいるのでは、と思っています。

そんな人も会社以外に自分の価値を実感できる場所があれば、こんな私のような呪物にならなくて済みます。

私は会社以外のコミュニティや副業(複業)のおかげで再び自分を保つことができました。

ずっと仕事を真面目にやってきて人望が厚く、実績もあり、説得力がある人ほど、何かのきっかけで呪物になったとき、他の従業員も巻き込むことになります。

一生懸命仕事をしていることに自負がある社畜のあなたへ

どうかそうなる前に外の世界に飛び込んでください。




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