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読書感想文(途中だけど) 冒険の書 孫泰蔵氏

久しぶりにnoteを書く。note自体はいつどのタイミングで書くか、全く取り決めをしていなかった。なので、ちょっと週末でお酒が入ったタイミングで。。
だが最近、今まで読んだことがない本を読んだ。
いや、正確にいうと現在進行形で読んでいる。
もっと言えば、まだ第1章が読み終わったところだ。

その本はタイトルにも書いてある、孫泰蔵氏の「冒険の書」だ。

とても示唆深い、本だと思う。
「思う」と書いたのは、今この時点でそう思ってはいるが、まだ読了していないからだ。消化するのに時間がかかり、やっと1章を読み終えた所だ。

だが、第1章にして、私が今まで読んだことのない感覚を味わっている。
それは、今まで当たり前に正解であると考えたことに対して、ことごとく熟考していて、中途半端に大人になった私の心を殴り続けてくるからだ。
興味がある人はこちらから、、

第1章にて、学校教育のあり方・失敗を回避することの是非など、子供がいる方にとってはグサグサ刺さることばかりだ。
詳しくは読了してからにしたい。(おそらく消化するのに時間がかかるはずなので、遅くなってもご了承ください)

今回は、少し子育てについて感じていることを語ろうかと思う。

<子どもは親に関係なく育つ>
割と聞き分けもよく、最近トレンドになるITスキルが高く、学業ができないわけでもなく、外ではいい子に出来る我が息子は、育児のトークにおいて、楽に育てられるこども、という部類にみなされる場面が多かった。

おそらく本人も手がかからないであろうことを自覚していると思う。
親としてそう感じさせるエピソードが何回かあった。
例えば、、
幼稚園年長の時に保護者面談の始まる前に、息子は「どうせ、僕のことなんか先生そんなに見ていないから」と言った。
どうやら息子としては、割とヤンチャで手がかかる子ほど、先生は見てくれていて、自分のように外では聞き分けのいい子のことを見ていない、と思っていたらしい。
ところが違った。
幼稚園の先生は、息子のことをとてもよく見てくれていて、親も知らないような姿を話をしてくれた。そのことを息子に伝えると、それとなく誇らしげな顔をしていた。

少し話が逸れてしまった。
割と対外的には、いい面の多い自分にはできすぎた息子だと思う。
それでも、親というのは不思議で、客観視ができない。
やれ、あれができていない・これができていないなどと言い出す。私もその例外ではない。

挨拶に元気がない・運動がもっとできてほしい・・・

他人のお子様ならいいところから探すのに、自分の子供のとなると、直して欲しいところから探してしまう。なぜだろう。

だが、ここ数日、息子と一緒にいると、明らかに成長している。
今まで人見知りして挨拶ができなかった息子が元気よく挨拶するようになった、運動が苦手だと思った息子が、1時間の水泳のレッスンの中で、25mを10本・20本と泳いでいる。

これは親が言ったから、ではないだろう。
きっと、自分の中で、なんとかしたい、と思ったのか、取り組むべき課題だと思ったのか。
何か彼の中で、変革があったのだろう。

子供に自我が芽生えてからも、育児はどうしても親が主体になってしまう。

だが、子供が成長する場面は、親から言われたではなく、自分で行動した時。そしてもっと言えば、それが失敗して、次にどうすればいいか考えて行動できた時。

だと思う。

孫泰蔵氏も著書の中で、失敗することの意味について書いていた。(一章にして・・)失敗できてそこから学び改善できるということは子供にとって大きなこと。
私たち大人は、正解に効率よく辿り着くことばかり考えて、子供にもその価値観を植え付ける。まだ何が正しいか軸もできていないのに・・

この本を読むのが、楽しみになってきた。
そして、小学校低学年のうちに、いろいろチャレンジする息子の将来も。

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