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ありがとうとごめんについて

                          2021/01/04 ハガネ

ありがとうとごめん 感謝と謝罪を普段どれだけ使っているだろうか。
僕が観察するに偏っている人が多いと思う。ありがとうとごめんを均等に使ってる人は見たことがない。そしてほとんどの人がごめんを多用している。僕も多用していた。ごめんってよく使っちゃってるな~って考えてたら

一つ目の疑問が
「ごめんを多用することはいけないことなのかな?そもそも感謝と謝罪なんだから均等に使うもんじゃないんじゃない?」
その通りだと思う、感謝と謝罪が均等に起こる確率は低い。

二つ目の疑問
「謝罪しなきゃいけないほど自分だけが悪い状況ってそんなにあるか?」
ない。
相当ダメな人間(は自分が悪いか判断できない)以外一方的に謝らなきゃいけないことはそうそうないし、あっても年に数回あるかないかのこと。

三つ目の疑問
「ならなぜ"ごめん"ていうの?」
起こってしまった事は変わらないのに過去のことに対して自分の方が悪かったということで謝罪してる人は何をしているのか。理由は沢山思い浮かぶと思うが、そのほとんどが自分の為である。

・相手の為になる謝罪は存在するのか
相手だけの為になるものは存在しない、なぜならお互い関係を続ける価値がある人としか人間関係は続かないものだから。良い謝罪があるとすれば相手が納得して関係が続く謝罪になると思う。納得できなくても続けなきゃいけない関係もあるし。

・謝罪する意味はあるのか
基本的にはないと思う。例外として謝罪をすることで周りに利益を与えたり、不利益がでなくなる立場の人は謝罪する意味があると思う。

・ごめんをありがとうに置き換えてみる
物を取ってもらった人に
「わざわざ取らせてごめんなさい」
「取ってくれてありがとうございます」
どっちも成立してるようにみえる。けどシュチュエーション的に物を取ってもらうのは特にいけないことじゃないから謝る必要がない。感謝はしてもしなくてもどっちでもいい。なら謝罪より感謝の方が適した言葉の使い方だと思う。

・何が言いたいの?
今まで深く状況が見えてなくて言葉を間違って使ってたことがあるからこれからはちゃんと日本語使いますってことが言いたかった。
最後まで読んでくれてありがとうございます。

以上。

~観察記~
ごめんを無闇矢鱈に多用する人は自分を、頑張ってるけど可哀想な人、可愛い人として見せたい人に多い気がする。特に弟や妹、末っ子に多いきがする。確実にそいつのせいで状況が改善されない場合にごめんを多用されるとマジでイライラする。お互いに「ごめんね~」「いいよ~」って一生許しあってる奴らは何の儀式してんだ?

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