見出し画像

わが青春の対戦格闘ゲーム

【はじめに】

高校から大学にかけて、俺は対戦格闘ゲーム、いわゆる格ゲーに青春を懸けていた。
たくさんの店で数えきれないほど対戦し、格ゲーを通じて仲良くなった男、付き合った女もいる。
大会やイベントにも、数えきれないほど参加した。
中でも特に印象深い大会参加のエピソードを中心に、俺の格闘ゲーム遍歴をここに記す。

オンライン対戦など無い時代、二台の筐体に向かい合って座っての対戦では、負けた腹いせに台を叩いたり蹴ったりする者もいたし、喧嘩を売られることもあった。それだけみんな、熱かった。
当時はだいたいのゲーセンの筐体には灰皿が置いてあり、俺もよく煙草を吸いながらプレイしたものだ。
1ラウンド終わると、吸いさしを咥え、何回か煙を吐き出し、次のラウンド。
今では考えられないかもしれないが、ゲームに熱くなっている奴らの溜まり場のような当時のゲーセンの雰囲気が、俺は大好きだ。

この記事はいわば、俺の青春の墓標のようなものである。


【スーパーストリートファイターⅡチャンピオンシップ'94in国技館】

当時俺は浪人生で、津田沼の予備校に通っていた。
予備校の授業もそこそこに、俺は津田沼や千葉のゲーセンに通いまくった。
アーケードでは『スーパーストリートファイターⅡX』、略して「スパ2X」が稼働していて、俺は春麗を使っていた。
「スト2」シリーズではずっと春麗を使い続けた。
使いやすいし、太ももがたまらないから。

夏の初め頃だろうか、SFC版『スーパーストリートファイターⅡ』、略して「スパ2」の全国大会予選が始まり、店舗大会で優勝した俺は8月、両国国技館での全国大会に参加した。

結果から言うと、俺は一回戦で敗退した。投げハメを喰らいまくり、ほとんど何もできなかった。
他の出場者の試合を見る気にもならず、俺はアーケード筐体が並んでいるコーナーへ行った。そこでは稼働して間もない『ヴァンパイア The Night Warriors』が無料でプレイできた。
俺は「ヴァンパイア」の対戦プレイをして過ごした。使用キャラはモリガンだ。強いし、セクシーだから。

いつも間にか決勝戦が終わり、ステージではライヴが始まっていた。
まずはカプコンサウンドチームのアルフライラ。
そして劇場アニメ『ストリートファイターII MOVIE』の主題歌「恋しさとせつなさと心強さと」を歌う篠原涼子だ。
残念ながら小室哲哉はいなかった。

何はともあれ、国技館でスト2の全国大会に出場し、篠原涼子のライヴを観ることができた。
それで充分嬉しかったし、俺のゲームの思い出の中でも筆頭に挙げたいエピソードだ。


【バーチャファイターをやりこんだ大学時代】

八王子市の大学に進学した俺は、漫画研究会(漫研)に所属したが、創作活動よりもゲーセン通い、そして麻雀に明け暮れた。

夏休みに千葉へ帰省すると、友人のキヨシとともにゲーセンへ行った。
俺は当時、『 真SAMURAI SPIRITS 覇王丸地獄変 』、略して「真サム」をやりこんでいた。使用キャラは柳生十兵衛だ。真サムはキヨシもプレイしていたが、彼が最近ハマっているのは『バーチャファイター2』だという。
俺もプレイし、ポリゴンの3Dグラフィックや、これまでの2D格闘ゲームとは違う革新的な操作感にすぐ夢中になった。

画像1

俺が選んだキャラクターはジェフリー。以後、俺が格ゲーで投げキャラばかり選ぶきっかけとなった。キヨシはリオンを主に使っていた。
セガサターンとソフトを買い、自宅で練習した。キヨシと二人で、あるいは他の仲間たちと、とにかくいろんな店に行った。新宿や池袋、秋葉原。
たくさんの猛者と戦い、腕を磨いた。

「バーチャ2」には鉄人という称号を持つプレイヤーが数名いた。強者の中の強者である。
その鉄人の一人である新宿ジャッキー百人組手に参加し、俺は負けたが、キヨシは勝利した。確かその時の新宿ジャッキーの戦績は91勝9敗だったと思う。
他にも百人組手や大会などに参加した。俺はあまり振るわなかったが、キヨシは常にいい戦いをしていたな。

「バーチャ2」はその後、「2.1」というバージョンが稼働するが、ともかく『バーチャファイター2』は、俺が最もやりこんだ格闘ゲームだ。

1996年9月、大学2年の初秋に、『バーチャファイター3』が稼働開始した。
俺は当然やりこんだ。やはり使用キャラはジェフリーだ。そして稼働後しばらくして、多摩市の行きつけの店で「バーチャ3」の大会が開催された。
大会は惜しくも準優勝だった。優勝したのはウルフ使いだったと思う。

この大会で準優勝したのをきっかけに、俺はゲーセンでよく話しかけられるようになった。大学以外でもたくさんのゲーム仲間が増え、女の子の友達もでき、時にはトラブルもあったが、とにかく充実していた。

翌年の1997年9月、『バーチャファイター3tb』が稼働を開始した。
「tb」とは、チームバトルの略である。
それなりにやりこんだが、漫研のOGであるTさんに負けたことを機に、だんだんプレイしなくなった。
元々Tさんは格闘ゲームが得意で、「ヴァンパイア」シリーズは全く歯が立たなかったが、バーチャだけは俺の方が上だった。
卒業後彼氏ができて、その彼氏に教えられ上達したのだという。
別にTさんの事が好きだったわけではないが、彼氏の話を聞いて鼻白んでしまい、その後はいろんなゲームをかじった。
3Dロボット格闘の『電脳戦機バーチャロン』シリーズは結構やりこんだ。
新宿のSPOT21という店で雑誌『ゲーメスト』のライターに勝った時は嬉しかったな。


【最後の大会】

大学4年の俺は、就職活動も疎かに、たくさんの講義に出なくてはならない状況だった。
卒業見込みギリギリの単位で、もうこれ以上落とせなかった。
ある日、漫研OBのNさんに、『ストリートファイターZERO3』の大会に出ないかと誘われた。場所は行きつけの多摩市の店だ。
「ストZERO3」はそれなりにやっていた。使用キャラはザンギエフだ。
前作より性能が大幅に向上し、対空も強く、飛び道具にも対処しやすくなっていた。スーパーコンボが使えるZ-ISMを選んでいた。

画像2

大会当日、店舗で受付を済ませると、俺とNさんはそれぞれ「ストZERO3」の対戦台に乱入した。大会前の野試合というやつだ。
Nさんは正直そこまで強くはないが、事情通で面倒見が良かった。
何かにつけ自慢話をするのが玉に瑕だが、麻雀のカタにメガドライブ2とメガCD2とソフト数本をくれたいい先輩だ。

対戦台で順調に勝ちを重ねる俺の前に、Nさんが「山口君、助けてくれ~」と情けない顔をしてやってきた。全く歯が立たないプレイヤーがいるらしい。
Nさんじゃかなわなくても、俺なら勝てる。そう思い乱入した。そのプレイヤーはを使っていた。
この元使いが、ものすごく強かった。俺は完膚なきまでに負けた。
同時に、大会では緒戦でこいつと当たらなければ上位に行ける、という思いもあった。

店員のアナウンスが入り、トーナメントの組み合わせが発表された。
俺の一回戦の相手は、先程の元使いだった。
不運を嘆いていても仕方がない。勝てばいいのだ。
そう思い定めて、俺は席につき、ザンギエフを選んだ。

ルールは6ラウンド三本先取。
1ラウンドも2ラウンドも、俺はほとんど押されっぱなしで負けた。
3ラウンド目も俺は押されていた。残りの体力ゲージは大攻撃を1発耐えられるかどうか。元の体力は、6割も残っている。

それでも俺は諦めなかった。一瞬の隙を突き、俺はレバーを二回転させ、パンチボタンを3つ同時押しした。
レベル3ファイナルアトミックバスターが発動した。マイクを持つ店員が叫んだ。ギャラリーも叫んだ。俺も叫びながら、レバーをグルグルと回した。
元をKOすると、店員が叫び、歓声もさらに大きくなった。
俺は拳を突き上げ、歓声に応えた。

ここからだ。次のラウンドは俺が優勢に進め、二本目を取ることができた。
筐体の向こうで顔は見えないが、対戦相手は少し動揺したのかもしれない。ギャラリーの歓声も、俺に味方していた。
勝てる。そう思った。

お互いに二本を取っての、ファイナルラウンド。対戦相手も冷静さを取り戻し、的確に対処してきた。互角の展開。勝てる。
元がジャンプした。今だ。俺は対空技であるもう一つのスーパーコンボ、エリアルロシアンスラムを出した。
しかしザンギエフは虚しく宙を舞い、スカッたところに技を叩き込まれ、俺は一回戦敗退となった。

その後はNさんの試合をぼんやりと観ていた。Nさんは3位で、どうだ、と俺に自慢してきた。
クジ運で3位になったくせに、と内心思ったが、おめでとうございますと言っておいた。いちおう俺は後輩だ。
俺に勝った元は、準優勝だった。一回戦を勝っていれば、きっと決勝には俺が上がっていたと思うが、タラレバを言っても何にもならない。

確実に言えるのは、すべての試合の中で、俺が一番ギャラリーを沸かせたということだ。それでいい。俺のプレイで大会が盛り上がった。
俺は胸を張って帰途へ着いた。


【おわりに】

大学を何とか卒業した俺は一般陸曹候補学生として陸上自衛隊に入隊、昇任とアメリカでの訓練が決まっていたが、俺はボーナスでギブソンのレスポールクラシックを買い、依願退職した。

退職後は都内に住む友達の部屋に転がり込み、雀荘でバイトをしながら音楽活動をしていた。
ある日、バイト前にフラッとゲーセンに入った。
『バーチャファイター4』が稼働していた。俺はなんとなくコインを入れ、「バーチャ4」をやってみたが、基本操作の時点で全くついていけず、それ以来VFシリーズは一切プレイしなくなった。

その後もゲーセンでいくつかのゲームはやった。
『サムライスピリッツ零』はそこそこやり込んだし、対戦でも結構勝てた。
だがかつての仲間たちともだんだん疎遠になり、一緒に対戦する仲間がいなくなると、俺は格ゲーそのものをやらなくなった。

この頃にはオンライン対戦も少し浸透してきたが、俺にとっての格闘ゲームは、対戦相手と筐体を挟んで向かい合って闘うものなのだ。

そんなある日、『麻雀格闘俱楽部』というゲームを見つけた。
俺はさっそくカードを作ってプレイした。
第一弾は全国オンライン対戦ではなく、対戦と言えば店舗対戦しかなかった。雀荘でのメンバー経験があり、「東風荘」では平均より上という俺だったが、店舗対戦で負けることはほとんどなかった。
店舗の大会では優勝し、全国ランキングに載ったこともある。ただ金はかかる。
どうせ麻雀をするなら、雀荘へ行こう。
そう結論づけた俺は、ゲーセンそのものから足が遠のいたのだ。

麻雀と格闘ゲームは、対戦中の思考や読みなど、共通する部分があると思う。
プロゲーマーの代名詞的存在・ウメハラ氏は元は雀荘メンバーで、知人が言うには麻雀も相当強かったらしい。
高校時代の同級生・H君やAも、格ゲー強かったし、麻雀も強かった。

今は麻雀と格闘している俺だが、格闘ゲームでも麻雀でも、俺は変わらないスタンスを持ち続けている。






俺より強い奴に会いに行く。

画像3


『ストリートファイターⅡ』のキャッチコピーだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?