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ファイナルファンタジーⅡ二次創作小説 『野ばらの旗』 第六章 烈波の風


  

   一


 パルムに逗留して、二日になる。
 大戦艦の爆撃により、港町のパルムも、多くの犠牲者を出していた。それでも、民の表情は明るく、叛乱軍に対しても協力的だった。
 海に関する話も、いろいろと聞いた。船でディストへ行くには、南下して外洋へ出る必要があり、ひと月半はかかるという。
 長い航海に耐えられる、大型の船が必要だった。しかし、港も爆撃を受けていて、船も以前乗ったような大型のものは一隻もなく、残っていた船は、漁船ばかりだった。
 船の持ち主と一応の交渉はしてみたが、ディストが目的地と言うと、首を縦に振る者はいなかった。海にも魔物がいるようだし、帝国の軍艦に狙われたら、やはり漁船ではひとたまりもないだろう。
 ディスト王国は、海に浮かぶ小さな島国で、フィンやカシュオーンとは、友好な関係にあった。
 島国だけあって、海軍に力を入れ、軍艦の数では世界一を誇っていたという。
 さらにディストには、ほかの国にはない、竜騎士団があった。
 ディストの深山にしか棲まないという飛竜を、長い年月をかけ飼い馴らし、騎乗、戦闘を可能にした部隊だという。竜騎士は、飛竜と自由に意思を交わし、その戦闘力は、たった一騎で、一千の騎馬隊にも匹敵する、とゴードンから聞いていた。
 帝国の軍勢が真っ先にディストへ侵攻したのは、竜騎士団の力を恐れたからだ。激しい戦であったが、精強な竜騎士団や海軍をもってしても、魔物の大軍にはかなわなかった。
 現在、ディストは帝国軍が駐留、統治している、とミンウから聞いていた。当然港も掌握し、鹵獲ろかくした艦船で、戦力も整えているだろう。
 危険を冒してディストに行ったところで、竜騎士の生き残りがいるかはわからない。しかし、ロベールが最期に言い残したのだ。そしてフリオニールは、ロベールの言葉を、国王からの勅命としてではなく、ひとりの男の頼みとして聞いていた。
 海上で戦闘になることを考えても、やはり大型の船、できれば武装した船が欲しいところだ。
 ポフトへも連絡を送ったが、あまり期待はしていない。ポフトの港も破壊されていたし、仮に大型船があったとしても、叛乱軍へ協力してくれるとはかぎらないのだ。
 差し当たって、いまアルテアでやるべきことは、それほどない。しかし、いつまでもパルムに留まっているわけにもいかなかった。せいぜい、あと二日。それで船が見つからなければ、ミンウへ連絡し、一度帰還するつもりだった。
 パルムに来てからも、稽古は欠かさなかった。
 大戦艦の中で、期せずしてダークナイトと遭遇した。恐るべき遣い手だということは、すぐにわかった。あのままやり合っていたら、おそらく斬られていただろう。三人がかりで、勝てるかどうかというところだったのだ。正直、帝国軍にあれほどの手練れがいるとは、思ってもいなかった。
 もう一度、あの男と闘いたい。戦は好きではないが、それとは別に、強い相手と闘う時の、緊張感が好きだった。ダークナイトに対して、ジェイムズの仇という考えは、もう捨てていた。
 宿に戻ると、食事の仕度ができていた。
 マリアは気分がすぐれないようで、ほとんど一日、宿にいたようだった。おそらく、月のものだろう。
 女については、あまり考えないようにしていた。無論、欲求はある。しかし、女のことを考えていると、ほかのことが手につかなくなってしまうのだ。雑念をふり払うため、ひと晩じゅう木剣を振り続けたこともある。
 パルムには、妓館が建ち並ぶ通りがあるが、そちらへは近寄らないようにしていた。
 港町だけあって、パルムの海の幸は、相変わらずうまかった。大きな海老を蒸したものが、特にうまい。剥がした殻に溜まっている汁を啜ると、潮の香りと、濃厚な旨味が、口の中に拡がっていく。
 翌朝外へ出ると、港の方が、なにやら慌ただしかった。三人で、港へむかった。
 港へ着くと、これまでに見たこともない、異様な船が眼に飛びこんできた。
 船体が、赤く塗られた鉄でできている。後方には煙突があり、黒い煙を噴きあげていた。シドの飛空船と同様、蒸気機関で動くのだろうか。
 船首の両舷からは、まるで眼のように、二門の大砲が突き出ている。商船ではないことは、ひと目でわかった。かといって、軍艦というわけでもなさそうだ。
 船員たちはみな屈強そうで、刺青をした者が多かった。堅気ではない。多分、海賊というやつだろう。卑猥な唄をうたいながら、荷を船に積みこんでいる。
「あたいの船が、どうかしたかい?」
 声にふり返ると、ひとりの女がいた。
 歳は、二十五、六というところか。炎のように赤い髪が、長くうねっている。背は、フリオニールと同じくらいだ。小麦色に焼けた肌が、眩しかった。
「これは、あなたの船なのですか。こんな船は、はじめて見ました」
 言いながら、フリオニールは女に正対し、注意深く観察した。服は肌の露出が多い作りで、豊満な乳房が、こぼれ落ちそうだった。ちらちらと、へそも見えている。
 腰の革帯には、反りのある刀を吊っていた。舶刀と呼ばれるもので、船乗りたちが好んで遣う得物だ。躰の右側ということは、左利きなのだろうか。なかなかに、遣うようだ。眼が合うと、女は歯を見せて笑った。
「あたいはレイラ。見ての通り、海賊稼業さ。あんた、名前は?」
「フリオニールだ」
 思わず、語気が強くなっていた。女を相手に、気後れを感じている。そんな自分が、腹立たしかった。レイラと名乗った女は、口の端に微笑を浮かべたまま、悠然としている。
「ふうん、フリオニールね。見たところ、パルムの民ってわけじゃなさそうだけど」
「俺たちは、アルテアの叛乱軍だ。ディストまで行ける船を、探している。この船に、乗せては貰えないだろうか?」
 フリオニールが言うと、レイラは声をあげて笑った。
「聞いたかい、野郎ども。この坊やたちが、叛乱軍なんだと。おまけに、ディストときた」
 後ろから、どっと笑い声があがった。ふり返ると、船員たちはみな作業の手を休め、こちらの様子を見ていた。
「いまのディストがどういう状況か、わかってて言ってるんだろうね?」
「勿論だ」
 フリオニールが言うと、レイラは腕組みをした。服の裾が持ちあがり、くびれた腰と、臍が露わになった。
「度胸は買ってやるが、付き合えないね。無謀すぎる。第一、あたいらは海賊さ。見返りがなきゃ、やれないね」
「頼む。どうしても、俺たちはディストへ行きたいんだ。ほかに船はない。あなただけが頼りなんだ、レイラ殿」
「おい、野郎ども。どうしたもんかねえ」
 レイラが、船員たちにむかって、声を張りあげた。
「こいつらの武具は、ミスリルですぜ。売れば、いい金になる。身ぐるみ剥いじまうのも、悪かねえ」
 船員のひとりが、にやにやしながら言った。
「聞いたかい、フリオニール。まあ、今回はあんたの度胸に免じて、見逃してやるよ。気が変わらないうちに、とっとと消えちまいな」
「それが、あんたら海賊の流儀なのか。帝国に屈することなく、闘っている者たちがいる。民も、希望は捨てていない。それなのに、あんたら海賊は、力ずくで他人のものを奪い取っている。恥ずかしいとは、思わないのか」
「おい、小僧。生意気な口を叩くのも、いい加減にしろよ」
 ひとりが言うと、続いて、いくつもの怒声があがった。ただでは済まない、そういう状況になってしまった。切り抜けることは、難しくない。いっそのこと、力でわからせてやろうか。
「野郎ども、静かにしな」
 レイラが怒鳴ると、即座に全員が黙り、あたりは静まりかえった。どこかで、海鳥の啼く声が聞こえる。
「ひとつだけ、言っておく。あたいらが襲うのは、帝国の船だけさ。決して、民を襲ったりはしない」
 レイラから、意外な言葉が返ってきた。彼らは、無差別に略奪をしているわけではなく、帝国の船だけを狙って、襲っているのだという。それがほんとうなら、どこかわかり合える部分もあるはずだ。
「ならば、帝国と闘う俺たちに、協力してはくれないか?」
「だから言ってるだろう、無謀すぎるって。ディストの海岸は、切り立った断崖ばかりで、船を着けるには、ひとつしかない港に入るしかないのさ。その港には、帝国の軍艦がいる。むざむざそんなところに飛びこんでいくのは、馬鹿ってもんだよ」
「港でなくてもいい。俺たちを、ディストの近海まで運んでくれないか」
「どうやら、ほんとに馬鹿なようだね。でも、そういう男は、嫌いじゃないよ」
「やってくれるか、レイラ殿?」
「おっと、まだ乗せると決めたわけじゃないよ。そうだね、ひとつ腕試しといこうじゃないか。あたいの手下と、手合わせして貰う。死んでも、恨みっこなしだよ」
 望むところだった。船員たちはみな屈強そうであるが、訓練を受けた兵ではない。叩きのめして、力の違いをわからせてやる。
「なあ、フリオニール。俺に、行かせて貰えないか?」
 耳もとで、ガイが囁いた。ガイがこんなふうに主張することは、滅多にない。
「構わないが、急にどうしたんだ?」
「無駄な血は、流さない方がいい、と思ってな。いまのおまえは、少し熱くなっている」
 ガイの言う通り、フリオニールは熱くなっていた。心の底では、レイラの鼻を明かしてやろう、という思いがある。それを、見透かされていた。
「わかったよ、ガイ」
 ガイひとりを残して、フリオニールとマリアは、倉庫の壁際まで退がった。
「ふうん、そのでかい兄さんがやるってわけかい。あんた、名前は?」
「ガイ。何人が、俺の相手をするんだ?」
「気に入ったよ、ガイ。よし、五人だ。出てきな」
 レイラが言うと、船員たちの中から、五人の男が歩み出てきた。手には、それぞれ得物を持っている。舶刀が二人、もりがひとり、鎖分銅が二人だった。
 五人が連携して動くと、かなり厳しい。無駄な血は流さない、とガイは言ったが、下手に加減をすれば、逆にやられてしまうのではないか。五人全員を斬るというのなら、難しくはない。
「男に二言はないね、ガイ?」
「ああ。五人まとめて、かかってきてくれ」
 言って、ガイは二本の斧を地面に置いた。
「へえ、よっぽど自信があるのか、それとも、ただの馬鹿なのか。面白いじゃないか。野郎ども、手加減は無用だ。やっちまいな」
 レイラの合図で、五人がガイにむかって駈け出した。船員たちから、野次や声援があがる。
 予想通り、鎖分銅を持った二人は左右に分かれた。ガイを絡め取り、動きを封じる構えだ。舶刀を持った二人は中央、その後ろに、銛を持った男が続く。
 ガイも、低い姿勢で駈け出した。斧を遣えば、全員を殺すことになる。しかし、五人を相手に、素手で闘えるのか。ヨーゼフならば、やすやすとやってのけるような気もする。
 左右の二人が、同時に鎖分銅を投げつけた。ガイは転がって、鎖をかわした。起きあがりながら、舶刀を持った男の腹を、拳で打った。打たれた男が、前屈みに崩れ落ちる。左側から、もうひとりが斬りかかってきた。同時に、銛を持った男が、正面から突いてくる。躰をひねって銛をかわしながら、舶刀の男の鳩尾に、右肘を入れた。吐瀉物を撒き散らしながら、男は倒れていく。
 ガイの足が止まっている。再び鎖分銅が放たれ、右腕と、左足首に絡みついた。すぐさま、銛の男が突いてくる。銛はわずかに躰を掠めたが、同時に横蹴りを見舞っていた。
 残りは、鎖分銅の二人だ。二人が鎖を引っ張るが、ガイはびくともしなかった。右腕に絡みついた鎖を手繰り寄せ、両手で握ると、ガイはそれを振り回しはじめた。何度か振り回すうちに、男の躰が宙に浮き、船員たちの人垣の中へ吹っ飛んでいった。
 あとひとり。鎖を捨て、短剣を構えて突っこんでくる。腕を取り、投げ飛ばした。男は海に落ち、水飛沫しぶきがあがった。
 五人が倒されると、船員たちは、すっかり黙ってしまった。海に落ちた男に、仲間のひとりが縄を投げた。レイラは、苦笑しながら髪を掻きあげている。
「ここまでやるとはね。驚いたよ。あんたならどうだった、フリオニール?」
「五人を斬るのは、難しくない。ただ、ガイのようにはいかないと思う」「なるほどね」
 下をむいてひとつ息をつくと、レイラは顔をあげた。
「よく聞きな、野郎ども。これより、あたいらは叛乱軍に協力する。文句のあるやつは、いまのうちに去りな」
 言いながら、船員たちを見回す。誰ひとりとして、去ろうとはしなかった。
「よし、決まりだ。とっとと、荷を積んじまいな。出港するよ」
 港じゅうに響くような声で返事をすると、船員たちは、再び荷を積みはじめた。
「礼を言う、レイラ殿」
「レイラでいいよ。正面切って帝国とやり合うのも、面白そうじゃないか」
「よろしく頼む、レイラ」
「あいよ。ところで、そっちのお嬢ちゃんは、なんて名前だい?」
「マリアです。あの、魔法を遣いますよね、レイラさん?」
「へえ、お見通しってわけかい。どいつもこいつも、ただ者じゃないね」
 眼を丸くしながら、レイラが言った。剣はかなり遣うようだが、魔法まで遣えるとは、思ってもいなかった。もし立ち合っていたら、どうなっていたかわからない。
 宿を引き払い、戻ってくると、すでに出港準備はできていた。
 船に乗りこんだ。ガイに、船員たちがしきりに声をかけてくる。みんなが、その実力を認めていた。ただ打ち負かしただけでは、こうはいかなかったのかもしれない。
「野郎ども、お喋りはあとだ。機関始動。抜錨」
 レイラが言うと、船員たちは、それぞれの持ち場についた。汽笛が鳴り、煙突から大量の煙が噴きあがった。
 船尾に、旗が揚がった。髑髏と剣をあしらった、海賊旗だ。
「頼みがある、レイラ。あの旗の隣りに、野ばらの旗も一緒に掲げて貰えないか?」
「いいだろう。ただし、船長はあたいだ。船のことでは、あたいの指示に従って貰うよ」
「ああ、勿論だ」
 レイラの指示で、海賊旗の隣りに、野ばらの旗が掲げられた。
 出港した。徐々に、船脚が速まる。上空では、海鳥が飛び回っていた。
 レイラは腕を組み、海面を見ていた。赤い髪が、風に靡いている。すぐそばを、一羽の海鳥が飛んでいった。
 しばらくの間、フリオニールは全身で潮風を感じていた。 

   二


 ミンウは、騎馬四百の中ほどで指揮を執っていた。
 前方では、千六百の歩兵が陣を組んでいる。歩兵で騎馬に対処するための、調練だった。歩兵の指揮は、ゴードンが執っている。
 総勢で二千。アルテアにって再起したころと較べると、兵は驚くほど増えた。
 復興したアルテアはさらに発展し、各地から人も集まってきた。現在、兵も合わせると二千七百人ほどが暮らしている。
 ポール率いる蝙蝠たちによって、大戦艦撃破の報は、またたく間に世界各地へ広まった。民は希望を見出し、諸侯たちの間には、帝国と闘おうという気運も高まった。
 北には、総勢で五千ほどの兵がいて、バフスクからの進撃を食い止めていた。ヒルダ自ら、諸侯のもとへおもむいた成果もあるだろう。
 ヒルダが囚われてから、ふた月近く経っていた。パラメキア本国に移送されたということだが、詳しい情報は入ってきていない。
 ミンウは想念を切った。先頭が、歩兵に突っこんでいる。楔を打った恰好だ。進路を塞ぐ歩兵は、調練用の棒で打ち倒していく。
 右手を挙げた。四百の騎馬が、四つの隊に分かれ、歩兵を寸断していく。手応えがない。ゴードンは、あえて歩兵を散らせているようだ。その証拠に、寸断されたそばから、また陣を組みはじめている。
 少しずつ騎馬が囲まれ、棒で打ち落とされている。手の甲で、ミンウは顎の汗を拭った。調練の際は、顔を覆う布は付けていない。
 再びひとつにまとまった。残っているのは、三百五十といったところだ。打ち倒された兵は離脱し、装備の点検や傷の手当てをしている。
 歩兵が、前面に出てきた。壁は厚い。ぶつかる寸前で、ミンウは騎馬を二つに分け、左右に回りこんで突っこんだ。騎馬は、歩兵の壁を突き破っていく。
 中央に、ゴードンの麾下五百がいた。円陣を組んで、棒を前面に突き出している。その円陣が、車のように回りはじめた。
 不用意に突っこめば、騎馬は弾かれてしまう。突破できないわけではないが、下手をすれば死人が出る。調練で死人が出ることは、別にめずらしくはない。ただ、いまはそこまでする必要はなかった。
 後方では、歩兵がまとまりつつあった。徐々に、こちらを圧してくる。
 攻め手がなくなった以上、離脱するしかない。ミンウは騎馬をひとつにまとめ、歩兵の中から離脱した。ほとんど同時に、調練の終了を知らせる喇叭らっぱが鳴った。
 小高い丘の上で、各隊の報告を受けた。
 報告が終わった隊から、兵糧をとっていく。兵糧は、固く焼いた麺麭パンと、ひとつまみの塩だ。粗末ではあるが、塩を嘗めるだけでも、体力はかなり回復する。
 ゴードンは、ただ隊長たちの報告を受けるだけでなく、短くではあるが、ひとりひとりと言葉を交わしていた。こういったところが、人を惹きつけるのだろう。兵からも、民からも人気があった。それは、王の資質と言っていいのかもしれない。軍略に関しても、光るものがある。
「負傷者は十二名か。練度は悪くないと思うが、どうだろう、ミンウ?」
 指揮系統を明確にするため、総司令官となったゴードンは、言葉遣いを変えていた。そもそもが、王族である。むしろこれまでのゴードンが、王族らしからぬ気を遣いすぎていた。
「はい。新兵は体力もついてきましたし、集団での動きも、だいぶよくなってきました」
「しかし、兵が増えたのはいいが、指揮官が足りないな」
 麺麭を齧りながら、ゴードンが言った。ゴードンもミンウも、兵と同じものを食べている。麺麭は固いので、水と一緒に口に含み、ふやかしながら食べる。うまくはないが、保存は効く。
「フリオニールやガイは、実戦の経験も豊富ですが、軍という型に嵌めるべきではない、という気もしますね」
「武勇でいえば、いまの叛乱軍に、あの二人にかなう者はいないのだがな。そういえば、彼らがアルテアを発って、もう半月になるのか」
 フリオニールからは、十日前に、海賊の協力を得てディストへむかった、という報告が来ていた。兵であったら、こうはいかなかったかもしれない。そういった型破りなところが、いい方向へ作用している。ただ、経験として指揮官をやらせるというのも、悪くない考えではある。
「彼らは、ほんとうに成長しました。そして、ゴードン様も」
「そう言ってくれると嬉しいが、恥ずかしくもあるな。それに、ダークナイトの騎馬隊を相手に、私はまだ勝てる気がしない」
 大戦艦の艦内で、ゴードンは、ダークナイトを相手に打ち合ったのだという。命を落とさずに済んだのは僥倖だった、と言っていたが、フリオニールとの稽古の成果も、少なからずあるだろう。しばらくしてフリオニールとガイが助勢したが、それでも勝てる気はしなかったという。
 大きな爆発が起きたことで、互いに剣を引くかたちになったが、闘いが続いていれば、ほぼ間違いなく斬られていた、というのがフリオニールの見解だ。そして、ダークナイトの率いる黒い騎馬隊は、見るからに精強だった、とシドまでもが言っていた。
「帝国軍の中で、ダークナイトは最も注意すべき人物でしょう。しかし、皇帝マティウスも、表立った動きを見せないだけに、不気味です。先手を取られないためにも、そろそろ私はミシディアへむかいたいと思うのですが」
「アルテマか。究極の秘法というが、それがいったいなんなのか、まったくわからんな」
「私も、伝説として知っているだけです。ミシディアの古老たちに会って、詳しい話を聞かないことには」
「政務の引き継ぎが終わったばかりだというのに、調練に付き合わせてしまって、済まなかった」
「たまには、軍を指揮するのもいいものです。最近は、書類ばかり相手にしていましたから」
 ミンウが言うと、ゴードンは、指に付いた塩を嘗めながら笑った。こういうところは、十八歳の若者だった。
 夕方、アルテアに戻ると、ミンウは真っ直ぐ居室へむかった。
 躰の中から、こみあげてくるものがあった。口に布を当て、咳きこんだ。布には、血が染みている。はっとするほど、鮮やかな赤だった。
 昨年の暮れごろから、血をくようになった。肺の病だ。不治の病というわけではないが、養生している時などない。明日には、ミシディアにむけて出立するのだ。
 政務に関しては、若い文官たちに教えたので、滞ることはないはずだ。魔法は、マリアに教えた。今後、彼女はさらにその才能をのばしていくだろう。
 アルテマだけは、人に任せるわけにはいかなかった。なにか眼に見えない、大きな力に導かれているような気がする。ミシディアの地へ行くのは、運命なのかもしれない。
 扉を叩く音がした。口を拭い、布を隠して扉を開けた。
 スティーヴだった。手には酒瓶を持っている。
「明日出立すると聞いてな。どうじゃ、たまにはこの年寄りと、飲んでくれんかのう?」
「はい、喜んで。どうぞ、お入りください」
 酒を飲みたい気分ではなかった。ただ、スティーヴの胸には、いろいろな思いがつかえているはずだ。気晴らしに付き合うのも、悪くない。
 二つの杯に、葡萄酒がなみなみと注がれた。豊かな芳香がたちのぼり、ミンウの鼻孔をくすぐった。
「しばしの別れじゃな。再起したわが軍がここまで力をつけたのも、おぬしの功績が大きい」
「スティーヴ殿がいるから、兵を維持できているのです。それに、そんなもの言いは、スティーヴ殿らしくありませんよ。若い文官たちが育ってきていますが、どんどん叱り飛ばしていただかないと」
「言われなくとも、そのつもりじゃ」
 笑いながら、スティーヴはひと息に酒を飲み干し、口もとを拭った。
 ミンウも、酒杯に口をつけた。スティーヴと酒を飲むのは、多分これが最後だろう。
 心なしか、葡萄酒は少し苦味が強い気がした。

 外洋に出て、十日が過ぎた。
 甲板で、ガイは夜空を見あげていた。躰には、外套をまとっている。
 上弦の月が、くっきりと見える。星も輝きが強い。冬の夜空は、好きだった。
 手すりから身を乗り出し、船体に触れてみた。赤く塗られた鉄板は、ひんやりと冷たかった。
 船は、赤しゃちという名前だと、レイラから聞いた。鯱は獰猛な生き物で、自分よりも躰の大きい鯨や、魔物にも襲いかかるのだという。敵の血で躰が赤くなった鯱、というふうに見立てているのだろう。あるいは、レイラの髪が赤いから、船も同じ色に塗ったのかもしれない。
 立派な船だが、軍艦と較べると、ずっと小さいらしい。軍艦を見たことはないが、大戦艦と較べると、小舟のようだった。
 船首には、眼の部位にあたる二門の大砲があるが、外側から見えるのが二門というだけで、実際には左右三門ずつ、合計六門の砲がある。一発撃った大砲を脇にずらし、別の砲を前に出す。そうすれば、続けて発射できる上に、砲身も熱を持ちにくいようだ。ただ、大砲のことはよくわからないし、あまり興味もなかった。
 そもそも、闘いが好きではない。斧を得物に選んだのは、ふだんから、木を伐るのに斧を遣っていたから、というだけのことだ。剣は、フリオニールやレオンハルトの方がずっとよく遣う。
 二人の稽古を、遠くからよく眺めていた。何度か混じったこともあるが、力の加減がわからず、木剣を折ってばかりだった。剣の稽古よりも、森の中で木の実を採ったり、動物と遊んだりしている方が好きだった。
 大人しかったからか、苛められたりもした。殴られても、やり返さずにじっと耐えた。相手に、怪我をさせるのがこわかった。
 フリオニールは、そんな自分をいつも助け、一緒に遊んでもくれた。かけがえのない、友だちだった。フリオニールのためなら、なんでもできる。だから、叛乱軍にも加わった。
 いろんな男たちと出会い、ものの考え方も変わった。稽古も、愉しいと思うようになった。
 いまは、体術が面白い。ヨーゼフにはじめて投げ飛ばされた時は、なにが起きたかわからなかった。その後、基礎からいろいろと教わった。戦場での殺し合いと違って、ヨーゼフとの稽古は、清々しい気持ちになれた。
 ヨーゼフのような男になれたら、と思う。思っているだけで、誰にも言ってない。
 足音がして、ふりむいた。吐いた息が白くて、顔がよく見えない。
「どうした、ガイ。眠れないのか?」
 近づいてきて、ようやくわかった。パルムの港で、ガイと立ち合った船員のひとりだ。確か、鎖分銅を遣っていた。歳は、三十を少し過ぎたくらいだろうか。陽に焼けた顔に、黒い頬髯をたくわえている。
「空を、見ていた」
 歳の差はあるが、船員たちとはお互いくだけた口調で話していた。船長であるレイラと話す時も、同様である。なんとなく、そんな雰囲気になっていた。
「空か。俺はもう、見飽きちまったな。でも、星の位置を見て、船がいまどこにいるか、わかったりするんだぜ。あとは、潮の流れとか」
 手すりにもたれかかり、男は空を見あげながら言った。
「星を見ることが、できるのか?」
「いや、俺はさっぱりだ。ひとり、すごい男がいたよ。エリックっていう男だ。躰は貧弱だが、頭がよかった。優れた航海士だったし、この船を造ったのも、エリックだ。そして、お頭の恋人でもあった」
「そのエリックという男は、死んだのか?」
「ああ。帝国軍に、殺されちまった。兵器の開発に協力しろと言われて、断ったのさ。それまで、俺たちは悪どいやり方で儲けた商人を狙ってたんだが、その一件以来、帝国の輸送船に、標的を絞ることにしたのさ」
「闘う理由は、人それぞれなんだな」
「ちょうどいい時に、おまえたちと出会ったと思う。こそこそと輸送船を狙うのではなく、正面切って堂々と闘いたい、お頭はそう考えていたからな」
「レイラが、こわいか?」
「そりゃあ、もう。別嬪ではあるからな、エリックが死んだあと、いろんな男が言い寄ってきたよ。なかには、力ずくでどうにかしようとするやつもいたが、みんな魔法で黒焦げにされちまった」
 レイラの魔法は、きのう見た。魔物との闘いで、強烈な雷撃の魔法を放っていた。剣の腕も、相当なものだ。女と見くびると、あっさりと命を落とす羽目になるだろう。
「さて、小便でもして寝るか。おっと、いまの話は、お頭には内緒だぜ」
 隙間だらけの黄色い歯を見せて、男が笑った。
 男が去ったあとも、ガイはしばらく夜空を眺めていた。
 少し躰が冷えてきた。
 ヨーゼフだったら、この程度では寒いと感じないかもしれない。
 北の空にひと際輝く星を見ながら、なんとなく思った。    

   三


 陽が、中天に差しかかっていた。
 抜けるような青い空に、厚い雲が幾重にも連なって浮かんでいる。
 パルムからディストまで、ひと月の航海だった。通常の船ならば、さらに半月はかかるのだという。
 ディストの港を後ろに、軍艦が列を成していた。
「さすがに、数が多いね」
 遠眼鏡を覗きながら、レイラが言った。数日前から、こちらの動きは敵に捕捉されている。
 フリオニールは、レイラから手渡された遠眼鏡を覗いた。
 正面と左右に三隻の大型艦がいて、それらに付随するかたちで、八隻の小型艦が展開している。小型艦といっても、この赤鯱よりは大きい。
 およそ半数の軍艦が、煙をあげている。蒸気機関が発明されてから、まだそれほど年月は経っていない、とシドから聞いていた。残りの半分は、帆走式だった。艦隊はこちらに対し横向きで、すべての砲門がこちらにむけられている。
「あれだけの砲撃を食らったら、ひとたまりもないな。こちらの大砲は船首に付いているから、側面を見せない分、当たりづらくはあるか」
「まあね。ただ、あれだけの数を相手にするとは、考えたこともなかったよ。それに、火力も違いすぎる」
 大砲を入れ替えることによって連続で砲撃できるとはいえ、同時に撃てるのは、わずか二門である。軍艦は、一隻につき数十門の大砲を備えている。仮に一点を突破できたとしても、たちまち集中砲火を浴びることになるだろう。
「むこうの蒸気軍艦は、みんな外輪方式だ。船脚では、こちらが上さ。一撃離脱で、敵の戦力を少しずつ殺いでいく。あとは、出たとこ勝負だね」
「船長の指示に、従うさ」
「よく言うよ、フリオニール」
 レイラが、声をあげて笑った。船員たちは、みな戦闘配置についているが、それほど緊張している様子ではない。
「さて、そろそろ射程に入るよ」
 レイラが言うと同時に、何隻かが、大砲を撃ってきた。船の前方で、いくつもの水飛沫があがる。
「ふうん、数を恃みにしているわりには、腰が引けてるじゃないか。ようし、一撃入れるよ。全速前進」
 レイラの号令とともに、赤鯱が速度を上げた。艦隊の左右が動きはじめる。こちらを包囲する構えだ。正面からの砲撃も、激しさを増した。
 フリオニールは、レイラの隣りで状況を見ているしかなかった。船の上では、自分はなんの役にも立たない。歯痒い気持ちだが、同じようにしているガイの方は、落ち着いた様子だった。マリアは、船倉に降りている。
 轟音と同時に、船体が揺れた。砲弾が直撃したようだ。
「おたおたするんじゃないよ。これくらいの砲撃、この赤鯱には効きやしないよ。やり返す。正面の小型艦、三連発だ。撃てっ」
 船首の大砲が、轟音をあげた。二拍ずつおいて、三連発。火薬の匂いが、フリオニールの鼻を衝いた。
 火薬は、帝国の輸送船から奪ったものだ、と以前レイラから聞いた。原料のひとつである硝石は、パラメキア付近でしか産出されないが、人や家畜の糞尿からも、硝石の成分は作り出せるという。ただ、効率はあまりよくないらしい。
 砲弾は、右舷に六発とも命中した。
「離脱する。右に転進」
 操舵手が舵を切り、赤鯱は大きく右に曲がった。
 がら空きになった左舷に、敵の砲弾が続けて命中した。手すりに掴まり、フリオニールは衝撃に耐えた。掴まりながら、小型艦が沈みはじめているのを確認した。
 正面に、小型艦が二隻回りこんでいた。二発撃ちながら、さらに右へ舵を切る。砲弾は外輪に命中し、一隻の動きが止まった。
 包囲から抜け、距離をとった。後方からの砲撃には当たっていないが、何名か負傷者が出たようだ。船倉からあがってきたマリアが、負傷者の手当てをはじめた。
 いまの突撃で、二隻の敵艦を戦闘不能とした。こちらの損傷は軽微だが、まだ敵には九隻の軍艦があり、大型艦は三隻とも残っている。このまま闘いきれるとは、到底思えない。レイラの横顔にも、そう書いてある。
 態勢を整え、再び敵艦隊とむき合った時、異変が起きていることに気づいた。
 大型艦の一隻が、味方を砲撃している。同士討ちだ。またたく間に、二隻の小型艦が沈んだ。砲撃を続けながら、大型艦はこちらへむかってくる。
 艦首で手旗を振り、合図を送ってくる者がいた。
「どういうことだ、レイラ?」
「へえ。あの大型艦に乗りこんでいたディスト海軍の残党が、艦を制圧したってよ」
 口の端で笑いながら、レイラが言った。
「味方か。ありがたいな。しかし、なぜディストの兵たちが?」
「ディストの敗残兵を、乗組員に加えたんだろうね。帝国の連中は、軍艦の扱いに馴れてないし、海戦の経験だって、ほとんどないはずだ」
「なるほど。誰かがひそかに兵を束ね、機を窺っていたというわけか」
「そんなところだろうね。それにしても、面白くなってきたじゃないか。よし、前進だ。あの艦を援護する」
 敵艦隊に、正面から突っこんだ。こちらに寝返った大型艦は、ディスト海軍の兵が動かしているだけあり操艦も巧みだが、すでに敵も混乱から立ち直り、砲撃に晒されている。
「大型艦はやり過ごせ。掻き回しながら、有利な状況を作るんだよ」
 この船で、大型艦とやり合うのは危険だ。攪乱して、味方の大型艦が闘いやすい状況を作り出したいところだ。
 乱戦になり、被弾数も増えてきた。船の動きには、さほど影響は見られない。船員たちの働きがあるからだろう。
 一隻の小型艦を沈め、艦隊を突き破った。港の方まで食いこんだ恰好だ。敵は、陸地からも大砲で攻撃してくる。転進しながら、防波堤の敵にむかって砲撃を加えた。
 小型艦が、右前方から猛然と突っこんできた。こちらの砲撃にも、怯まずむかってくる。
「止まらないぞ、レイラ」
「わかってるって。野郎ども、渡り板の用意だ。接舷するよ。パラメキアの山猿どもに、海の闘い方を教えてやりな」
 船員たちから喊声があがり、何枚かの板が用意されてきた。あの板を敵艦に渡し、斬りこもうというのか。
 船首がぶつかるすれすれのところで、小型艦に板が渡された。船員たちがその上を駈け、敵艦に斬りこんでいく。鉤縄を敵艦の柱にひっかけ、飛び移っていく者もいた。
「俺も行こう」
 双斧を構え、ガイが板の上を駈けていった。敵艦に躍りこむと、たちまち敵兵の首を三つ、四つと飛ばしていった。斬りこんだ船員は三十人ほどで、敵に較べ数は少ないが、士気ではこちらがずっと上だろう。勢いで、押しこんでいる。
「さすがはガイだね。よし、ここはもういいだろう。離脱するよ」
「どうするつもりだ、レイラ?」
「さっきから、陸からの砲撃がうるさいからね。敵艦隊はディストの連中に任せて、あたいらは港を制圧しちまおうじゃないか」
「なるほど。面白いな」
 やや無茶ではあるが、自分には船よりもそちらの方がむいている。ちょうど、味方の大型艦が、敵の大型艦を一隻沈めたところだった。
 小型艦から離れようとした時、右舷に砲撃を受けた。すぐに浸水の報告が上がってきた。船脚は少し鈍くなったが、まだ問題なく動けるようだ。
 砲撃を加えながら、船を防波堤に近づけた。フリオニールが飛び降り、マリアとレイラが続いた。三人を降ろすと、すぐに船は離れ、大形艦の援護へむかった。
 数十人の敵兵が殺到してきた。こちらはたった三人で、自分以外の二人は女である。しかし、二人はただの女ではない。剣や弓、さらには魔法までも遣う。むしろ、百人の兵よりも心強いほどだ。
「あたいの魔法、とくと味わいな」
 レイラが雷撃の魔法を放った。五人ほどが黒焦げになり、密集していた陣形が二つに割れるかたちになった。防波堤の幅はそれほど広くない。敵が寄っている方に、マリアが火炎の魔法を放つ。炎に包まれた敵兵の脇をすり抜け、フリオニールは斬りこんだ。敵は、完全に浮き足立っている。
 舶刀を抜き、レイラも斬りこんできた。炎のように赤い髪を靡かせ、しなやかな動きで次々と敵を斬り倒していく。
 魔法を遣うにも、体力は消耗する。したがって、いつまでも撃ち続けることはできない。そこが魔法の欠点といえば欠点だが、それを補って余りある威力ではある。魔法をまともに食らって、立っていられる人間などいないだろう。
 敵に囲まれることもないこの状況では、剣だけでも充分に闘える。二人が討ち洩らした敵は、マリアの弓が確実に仕留めていった。
「見なよ、フリオニール。海の上は、ほとんど片がついちまったよ」
 ふりむくと、沖の方で、敵の大型艦が火を噴いていた。敵艦の残りは、小型艦が数隻といったところだ。
「こっちは、もう少し時間がかかるな」
 言いながら、フリオニールはひとりを斬り下げ、撥ねあげた剣でひとりの右腕を飛ばした。
「なあに、こっちももうすぐさ。やはりあんたの剣はすさまじいよ、フリオニール」
「その言葉、そっくり返すぜ」
 航海の途中、レイラとは何度か木剣で手合わせをしたことがあるが、変則的な動きで、見切りづらいものがあった。これほどの遣い手は、男でもなかなかいない。
 さらに数十人がむかってきた。レイラが駈け出し、再び雷撃の魔法を放つと、そのまま敵の中へ斬りこんでいった。
「レイラさん、疲れないのかしら」
 額の汗を拭いながら、マリアが呟いた。
「このところ、船の上でじっとしてばかりだったからな。俺も、躰が鈍っていたところだ」
 言って、フリオニールも斬りこんだ。魔法は遣えないが、剣では誰にも負けたくない。
 後方では、砲声が散発的に鳴るだけになっていた。     

   四


 指揮官の首を持って、帝国兵が投降してきた。
 帝国軍の地上兵力は、とてもフリオニールたちだけで相手できる数ではなかったが、ディストの兵や民を中心とした義勇兵が決起し、それに呼応するかたちとなった。義勇兵の数は一千に満たなかったが、果敢な闘いぶりだった。
 降兵の数は、およそ三千といったところだ。武装を解き、ディストの兵の指示に従っている。
 海上で闘った帝国の艦隊は、小型艦が二隻残るのみとなっていた。
 ディスト海軍の兵は、総勢で百名といったところだ。フランシスという男が、その百名をまとめていた。ディスト海軍の提督だが、もともとは名の知れた海賊だったという。
 夜、ディスト海軍の兵舎に集まった。入口には、ディストの国旗である、飛竜の紋章の旗が掲げられている。
 フランシスが会議を仕切り、今後のディスト軍の方針や、投降してきた帝国兵の処遇などについて話し合った。
 ディスト軍は、帝国軍と闘う意思はあるものの、兵力が乏しかった。当面は、国内で防備を固めるしかない。
 帝国兵は、労役に充てることになった。
 ディストの国内は、帝国の攻撃によってかなり荒れている。魔物の軍団がディストを破壊し尽くしたあと、本隊がやってきて統治するようになったのだという。
 帝国軍の統治は過酷だったが、意外なことに略奪は働かず、無抵抗の民を手にかけることもなかったらしい。そのあたりは、フィンに攻めこんできた帝国軍とは違う。司令官の方針なのだろうか。あるいは、最後まで抵抗したフィンに対する、見せしめだったのかもしれない。
 帝国兵のほとんどは、皇帝マティウスの命令で、無理やり徴兵されたのだという。占領地から上がる税でなんとか軍を維持しているものの、パラメキアの国土は荒れ、民は貧困に喘いでいるらしい。そのあたりは、ポールの情報とも符合する。
 ほんとうに倒すべきは、マティウスひとりでいいのかもしれない。しかし、なんのために、マティウスは戦をはじめたのだろうか。なにか、理想のようなものがあるのだろうか。強大な魔力を背景に、国の頂点に君臨し、魔物まで使役する男。考えただけで、得体の知れない恐ろしさがこみあげてくる。
 会議のあとは、酒宴になった。
「それにしても、赤鯱はいい船だ。速力では、間違いなく世界一だろう」
 酔って顔を赤くしたフランシスが、口髭に手をやりながら言った。四十をいくつか過ぎたくらいだろうか。陽焼けした顔に深い皺を刻み、いかにも海の男といった顔つきだ。腕まわりは、フリオニールの倍はある。
「光栄だね。かつて海の悪魔と恐れられた、フランシスの旦那にほめられるなんて」
「噂はかねてから聞いていたよ、赤鯱のレイラ。しかし、まさか叛乱軍に協力し、しかも一隻だけで、ディストの艦隊に挑んでくるとはな」
「どうも、こいつらに乗せられちまってね」
 こちらを指すと、レイラは酒杯の中身を呷って、口もとを拭った。砂糖黍から作られたという蒸留酒は、香りは甘いがかなり強く、ひと口飲んだだけで、フリオニールののどは焼けるように熱くなった。船乗りたちは、この砂糖黍の酒を好んで飲むのだという。
「こんな若造どもが叛乱軍か、なんて最初は思ったけどな。しかし、おまえらと立ち合って勝てるやつは、いまのディストにゃいないだろうな」
「ディストには、竜騎士がいると聞いています」
「ほう、竜騎士を知っているのか、フリオニール。そうさ、あいつらの強さときたら、尋常じゃなかったぜ。一騎で、騎馬一千に匹敵するってくらいだからな。みんな槍の達人でよ、飛竜から降りても強かった。魔物の大群相手に全滅はしたが、帝国は、このディストに戦力のほとんどを注ぎこんでいた。それだけ、竜騎士は恐れられてたってことさ」
「生き残りは、いないんですか?」
「やけにこだわるじゃねえか。竜騎士を探し出すのも、おまえらの任務ってわけか?」
「そんなところです」
「竜騎士か。あいつら、王国の伝統がどうとか抜かしやがってよ、海賊あがりの俺は、ずいぶん煙たがられたもんさ。ただ、あいつらが飛竜で空を駈けるさまは、美しかった。あいつらも、俺の艦隊だけは、認めていた」
 言い終えると、フランシスは親指ほどの太さの葉巻に火をつけた。煙を吸い、ゆっくりと吐き出す。口の端に笑みを浮かべながら、たちのぼる紫煙を見つめている。
「やはり、竜騎士はひとりも残っていないのでしょうか?」
「何度も言わせるなよ、フリオニール。竜騎士は、もういないんだ」
 フランシスの言葉を遮るように、奥の方で喚声があがった。奥の卓では、酒の余興と称して、赤鯱の乗組員とディスト海軍の兵が、腕相撲で賭けをしていた。乗組員の代表として、ガイが連勝を重ねている。ガイに勝てる者など、そうはいないはずだ。
「まあ、竜騎士にも、家族はいるだろうからな。話くらいなら、聞けるだろうよ」
 横眼で奥の方を見ながら、フランシスは杯に酒を注いだ。
「竜騎士の家族ですか。教えてください、フランシス殿。明日にでも、訪ねようと思います」
「おう。あとで教えるぜ。しかし、若いってのはいいな。真っ直ぐでよ」
 なんて答えたらいいかわからず、フリオニールは曖昧に頷いた。
 勢いよく酒を飲み干すと、フランシスは席を立ち、奥の卓へむかっていった。
「愉しそうじゃねえか。俺も、混ぜてくれよ」
 葉巻をくわえたフランシスを見て、ディストの兵たちが一斉に声をあげた。

 翌朝、フリオニールはマリアとガイを連れ、ディストの中心街へむかった。フランシスから聞いた、竜騎士団長の家族を訪ねるところだ。
 ガイとフランシスの勝負は、まったくの互角だった。
 膠着したまま卓が毀れてしまい、それで引き分けということになった。その時すでに、ガイは二十人近くと勝負していた。もっと早い段階でやっていればガイが勝っていたとは思うが、それを言うのは、野暮というものだ。
 その後、酒宴はさらに盛りあがった。無理やり酒を飲まされたりもしたが、海の男は、気持ちのいい連中ばかりだった。
 見えてきた。竜騎士団長の家族が住んでいるにしては、平凡な家だ。多分、戦火を逃れるため移ってきたのだろう。
 家の前に、七、八歳くらいの男の子がいた。眼が合うと、きっと睨んできた。
「お兄ちゃんたち、ディストの軍じゃないね」
「俺たちは、帝国と闘う叛乱軍だ。わかるかい?」
「知ってるよ。叛乱軍とディスト軍が協力して、帝国の連中をやっつけたんでしょう?」
「まあ、そんなとこかな」
「どうしたの、チャールズ?」
 声とともに、ひとりの女が家から出てきた。三十を少し過ぎたくらいだろうか。こちらに気づき頭を下げると、束ねられた金色の髪が、首の後ろからこぼれ落ちた。いかにもやさしそうな母親といった印象だが、同時にどこか儚げでもある。
「はじめまして。私はフリオニール。後ろにいるのは、ガイとマリア。アルテアから来た、叛乱軍の者です」
 フリオニールが名乗ると、女は身を強張らせた。
「あの、主人のことでしょうか?」
「ええ。竜騎士団長フィリップ殿の、ご家族ですよね?」
「はい。わたしはフィリップの妻エリナ。この子は、チャールズです」
「ぼくのお父さんは、世界最強の竜騎士団を率いて帝国と闘った、ディストの英雄なんだよ」
「君の父さんや、竜騎士の話を、詳しく聞きたいんだ」
「どうぞ、中へお入りください」
 請じ入れられて、フリオニールたちは家の中へ入った。
 茶を淹れるつもりだろう、エリナが湯を沸かしはじめた。
 家の中を見回した。質素な暮らしぶりだが、卓の上には花が活けられている。
 部屋の壁には、飛竜の旗が張られていた。槍が組み合わさっていて、これまでに見たものとは意匠が異なる。おそらく、竜騎士団の旗だろう。
「大したおもてなしもできませんが」
 言いながら、エリナが茶を淹れた。紅茶だ。豊かな香りが、部屋中に漂っていく。
「フィリップ殿は、竜騎士団長として、最後まで勇敢に闘ったそうですね」
 紅茶をひと口飲むと、フリオニールはエリナに訊いた。紅茶の香りは、なんとなく心を落ち着かせてくれる気がする。
「はい。竜騎士たちは次々と斃れ、最後は主人ひとりで、数千の魔物を相手に闘った、と聞いています」
「やはり、竜騎士は全滅したのでしょうか?」
「ええ。ただ、この子はそうは思っていないようで」
 ほつれた毛を直しながら、困惑したような表情でエリナが言った。
「君の話を聞かせてくれないか、チャールズ。俺たちは、竜騎士の手がかりが欲しいんだ」
「うん。リチャードさんっていう、すごく強い竜騎士がいるんだ。槍でリチャードさんにかなう者はいないって、いつもお父さんが言ってたよ」
「その、リチャードさんが、生きているのかい?」
「リチャードさんも、その飛竜も、まだ見つかってないんだよ。きっと、いまはどこかに隠れて、帝国の隙を窺ってるんだ。いつかリチャードさんが帰ってきたら、ぼくも飛竜に乗って、一緒に闘うんだ」
「この子はずっと、こんなことを言っているんです。帝国兵に聞かれやしないかと、わたしはいつも心配で」
「もう帝国兵はいないよ、お母さん。このお兄ちゃんたちが、やっつけたんだもん」
 言って、チャールズが無邪気に笑った。フリオニールは、紅茶をまたひと口飲むと、笑顔を返した。
「リチャードという人について、詳しく教えていただけないでしょうか?」
「はい。主人のフィリップとわたし、そしてリチャードは、同い年の幼馴染みでした。フィリップとリチャードは武術を競い合う仲で、成長すると二人は竜騎士団に入りました。やがてフィリップが団長、そしてリチャードが副長となり、竜騎士団を指揮するようになったのです」
「お父さんは、リチャードさんのことを孤高の竜騎士って言ってたよ。意味は、よくわからないけど」
「孤高の竜騎士か。会ってみたいな」
「きっと会えるよ。リチャードさんが戻ってくれば、帝国軍なんかすぐやっつけるよ」
「そのへんにしなさい、チャールズ。でも、なんとなくわたしも、リチャードが生きているような気がするのです。ただの願望かもしれませんけど」
 収穫はあった。竜騎士の生き残りは、いるかもしれない。竜騎士団副長リチャード。味方につけば、戦局は大きく変わるはずだ。
「リチャードさんを探してよ、フリオニールのお兄ちゃん。お願いだよ」
「ああ。必ず、探し出すさ」
 言って、フリオニールは少しぬるくなった紅茶をひと息に飲み干した。
 杯を置くと、エリナがさりげなく紅茶を注いでくれた。杯から、新たな湯気と香りがたちのぼってくる。礼を言うと、エリナはやさしく微笑んだ。
 照れ臭くなって、フリオニールは壁に張られた飛竜の旗の方へ眼をやった。

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