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ファイナルファンタジーⅡ二次創作小説 『野ばらの旗』 第三章 燎原の風

 

   一


 汗が眼にしみた。
 土埃にまみれながら、ゴードンは駈けていた。
 調練を終えて、アルテアに帰る途中だった。歩兵三百を、六隊に分けている。ゴードンは、その最後尾にいた。
 槍の重さで腕がふるえ、柄の先からも汗が滴り落ちていく。隊形を維持しながら駈けるだけでも、かなり体力を要するものだ。
 調練では、体力のなさを痛感した。いずれは自分も、軍を率いて戦場に出る。カシュオーン王家の血を引く自分が戦場に立つことによって、将兵の士気もあがるのだ。そのためには、もっと自分自身を鍛える必要があった。名ばかりの王族であってはならない。兄スコットのように、自らが先頭に立って闘いたい。
 剣や槍の稽古では、兵たちに後れを取ることはなかった。幼いころから、父や兄から稽古を受けてきたのだ。稽古はつらく、何度も泣き出し、途中で放り出したこともあった。もう少し身を入れて稽古していれば、といまになって思っても、父と兄は、もうこの世にいない。
 フリオニールなら、いい稽古相手になってくれるはずだ。ジェイムズからは、なかなかに遣うと聞いている。セミテの帝国軍を破り、ミスリル鉱山を奪取した、という知らせも入っていた。
 なによりも、フリオニールは自分にはない、はげしさを持っている。そしてその烈しさで、心の中に潜む、怯懦きょうだをふり払ってくれたのだ。
 酒に溺れたこともあるが、フリオニールに殴られて以来、断っている。
 いつか一軍の将となった時、フリオニールとともに飲もう、と心に決めていた。酒を飲みながら、国や、自分自身の未来について語り合いたい。
 フィンの法律では、飲酒は十八歳からと定められているが、祭や式典の際は、十五歳以上であれば特別に飲酒を認められていた。フィンやガテアでは、葡萄酒の生産も盛んだった。
 人には言えない悩みがあった。
 若い女の肌を見ると、狂おしいほどの情欲に駆られるのだ。
 女を抱きたい。やわらかな肌に触れ、乳を吸いたい。局所を貫き、思うさま精を放ちたい。女を見るたび、そんな情欲に悩まされてしまう自分が、ひどく情けない存在に思えた。日々が、苦悩のくり返しでもある。兵の中には娼妓を買う者もいるが、王族である自分がそうするわけにもいかない。そんなことにうつつを抜かしている場合ではない、という思いもある。
 王宮での十八年間、女を知る機会はなかった。女を意識するあまり、侍女も寄せつけなかったのだ。
 近ごろは、ヒルダのことが、頭から離れなくなっていた。
 透き通るような白い肌。亜麻色の美しい髪。それらを見るたびに、やはり情欲が湧きあがり、惨めな気持ちになる。本来ならば、兄と結ばれ、義姉となる女だった。そんな女に、自分は欲情しているのだ。
 しかし、ただ抱きたいというだけではない、なにか別の気持ちがあるのも感じていた。
 それが愛なのかはわからない。仮にそうであったとしても、ヒルダは、兄スコットにこそふさわしい女なのだ。いまは、ただ強くなることを考えればいい。強くなって、兄やフリオニールに追いつく。そう思い定めた。
 アルテアの町が見えてきた。兵を叱咤する、指揮官の声が聞こえる。気の緩みから隊列を乱す兵が、馬上から鞭で打たれていた。
 ゴードンは、槍を持つ両腕と、大地を蹴る両脚に力を籠めた。
 駈けながら、空を見あげた。秋の空は、よく晴れている。

 夕方、ゴードンは居室でくつろいでいた。
 兵たちとともに、幕舎で起居するわけにはいかない。自分のような者といると、兵たちの息が詰まってしまうからだ。ただ、野営中は兵たちとともに食事をし、よく語りもした。兵の気持ちを理解するのも、将帥たる者のつとめだ。兄も、そうしていた。
 外が騒がしくなった。司令部の入口あたりだ。部屋を出て、広間の方へむかった。
 フリオニールたちが、帰ってきていた。灰色の外套をつけている。十月になり、アルテアもずいぶんと涼しくなった。サラマンドのあたりはもっと寒いだろう。
「帰ってきたか、フリオニール。セミテでは、相当活躍したそうじゃないか」
 階段を駈け降りて、近づいた。しばらく見ない間に、フリオニールは大きく成長したように感じる。
「久しぶりだな、ゴードン。おまえの方こそ、躰つきがだいぶたくましくなったな。セミテでの闘いは、ほとんど賭けのようなものだった。その賭けに踏み切り、勝機を掴んだのは、ヨーゼフ殿の力によるところが大きい。俺は、ただ剣を振り続けただけさ」
「ヨーゼフ殿か。数年前に会ったきりだが、元気なようだな」
「元気なんてものじゃない。俺もガイも、足腰立たなくなるまで稽古をつけられた。ところで、そろそろ、めしの時間だろう。四人で、一緒に食わないか?」
「いいな。しかし、ミンウ殿からの指示はないのか?」
「ミンウ殿はいま、別の仕事にかかっている。ひとまず、俺たちは待機だ」
 笑いながら、フリオニールたちが旅装を解いていった。
 食堂にむかった。四人で卓を囲むように座る。フリオニールは、ゴードンの正面に座った。
 夕食は、鶏肉を蒸したものと麺麭パン、野菜を煮こんだ汁物だった。
 食べながら、四人で話した。会話の内容は、ビリセント湖で魚を釣ったことや、パルムからの航海、ポフトで出会ったシドと飛空船の話など、アルテアを出てから、セミテの闘いまでのことだった。
 同年代の者たちと、こうやって語るのははじめてのことだった。
 これが、仲間というものなのだろうか。仲間たちと話すのは愉しい、とゴードンは思った。仲間たちといる時は、自分のつまらない悩みのことなども、どこかへ行ってしまう。それに、大勢で話をしながら食べる方が、食事もうまく感じるものだ。王宮での食事は作法にうるさく、堅苦しさがあった。
 鶏肉を食べながら、フリオニールの方を見た。
 少しずつ切り分けて食べるゴードンと違い、フリオニールはそのまま鶏肉にかぶりついていた。ガイも、あまり食器を使っていない。二人とも、口のまわりが脂でてらてらと光っている。
 ゴードンは、食器を置いて鶏肉を手に持ち、そのままかぶりついた。マリアが、少し呆気にとられたような表情でこちらを見ている。
「そうやって食べると、うまいだろう、ゴードン?」
 口を拭いながら、フリオニールが笑った。
「ああ、うまいな」
 口のまわりを脂まみれにしながら、ゴードンも笑った。

 夜中に、眼が醒めた。
 マリアは上体を起こし、額の汗を拭った。水差しから杯に水を注ぎ、一気に飲み干す。息をついて、部屋を見渡した。侍女たちの寝息が、かすかに聞こえる。
 アルテアでは、四人の侍女とともに起居していた。侍女たちの年齢はさまざまで、十二、三歳の者もいれば、三十歳近くの者もいる。彼女たちは、国王や王女の身のまわりを世話し、また司令部での雑用もしていた。
 彼女たちとは、あまり話をしていない。女だてらに闘うマリアと侍女とでは、会話が弾まないのだ。それに、どこか侍女たちは流れに身を任せてしまうところがあり、そこもマリアは好きになれなかった。武器を執り、自分の手で運命を切り拓く。そんな女がいてもよいのではないか、とマリアは考えていた。
 寝衣の胸もとをはだけた。胸の谷間に、汗の粒がいくつも浮いている。汗を拭いながら、胸の膨らみを見た。膨らみが、以前よりも大きくなっていることに気づいた。女である以上、仕方のないことではあるが、弓を遣うには邪魔だった。
 胸だけではなく、体型そのものが、以前と較べると丸みを帯びてきている。男にはない、月のものもある。女の肉体は、やはり闘いにはむいていないのだ、と思わざるを得ない。
 寝衣を直し、呼吸を整えた。ミンウから教わった呼吸法だ。
 下腹に意識を集中して、気力を高める。器に水を満たしていくような感覚だ。そして、気力が満ちた時に、魔法を遣うことができるようになる。
 魔法なら、女の躰でも闘える、とマリアは考えていた。傷の治療だけでなく、攻撃の魔法もある。魔法が遣えれば、戦場でも足手まといにならずに済む。その他の場面でも、役に立てるに違いない。
 ミンウに魔法を教わるようになってから、勘のようなものも冴えてきた。
 人の持つ、気のようなものを感じ取れようになっていた。人は、それぞれ異なる気を持っている。ヨーゼフからは、大地にしっかりと根を降ろした、大木のような気を感じた。フリオニールは、日々生長する若木のような気だ。
 兄、レオンハルトが生きているという、確信に近い思いがあった。
 気というのとは違う、もっと漠然としたものだが、遠くに兄を感じることがあるのだ。実の兄妹だけがわかる、絆のようなものかもしれない。フィンで、数十人の帝国兵にむかって斬りこんでいった兄は、死んではいない。間違いなく、この世界のどこかで生きている。
 ただ、なにやら黒い想念のようなものを感じることもあった。それが、兄から発せられるものなのかはわからない。しかし、その黒い想念がマリアの不安を掻き立て、心を乱すのだ。
 兄に会って、再会を喜びたい。それは本心なのだが、会うのがこわい、という気持ちもまたある。
 ゆっくりと、深く息を吸い、吐いていく。不安を心の隅に追いやるべく、マリアは精神を統一した。いまは、自分を高めることを考えるべきだろう。気が満ちるとともに、茫漠とした心も晴れていく。
 汗が引き、気分も落ち着いてきた。再び蒲団に潜り、眼を閉じる。寝息が聞こえた。侍女たちは、よく眠っている。
 かすかに、外で虫の啼く声が聞こえた。
 虫の声に耳を澄ましながら、サラマンドに較べれば、アルテアはまだ暖かいな、とマリアは思った。

   二


 握りしめた拳が、ふるえていた。
 ボーゲンは、執務室でダークナイトと名乗る男とむかい合っていた。
 全身を黒の具足でかため、兜も脱がない。参謀と言っていた。一将軍にすぎない自分よりも、立場はずっと上である。
 百騎を引き連れて、ダークナイトはバフスクの南からアクラ山脈を越え、この工廠までやってきた。
 工廠では、大戦艦を建造中である。現場指揮官である自分の任が解かれ、代わりに参謀であるこの男が、そのまま指揮官として着任する、という皇帝の勅命を持って来たのだ。通常、参謀に指揮権はない。それが、大戦艦建造の指揮を執るというのだ。
 思えば、引き連れてきた百騎も護衛としてではなく、明らかにこの男の麾下きかだった。全員が、武具も馬具も黒で統一されており、隊列を見れば、恐ろしく精強であることもわかった。
 この男は、ただの参謀ではない。皇帝から、相当な軍権を与えられているはずだ。しかし、大戦艦はもう九割がた完成している。あとは細かな調整と、動力炉の試運転ぐらいだ。いまになって、指揮官の交代とは、どういうことなのか。
「もう一度言おう、ボーゲン。おまえの任を解く。速やかに本国に帰還し、まずは陛下に謁見するのだ」
 声音からは、まだ若い印象を受ける。顔は兜に覆われていて、表情を読み取ることはできないが、それが余計にボーゲンを緊張させた。若さに似合わない、強い気を放っている。ボーゲンは、掌にじっとりと汗をかいていた。
「納得がいきませぬ。大戦艦は、完成間近なのですぞ」
 絞り出すような声で、ボーゲンは言った。
「兵たちに対する乱暴な振る舞いや、軍費の使いこみ。言い訳は許さんぞ。こういう時だからこそ、軍規の引き締めが重要なのだ。そして、一旦おまえは本国に戻ったのち、新たな任務に就くことになる」
 もはやなにを言っても無駄だろう、とボーゲンは思った。軍費の私用での使いこみや、その日の気分で兵を苛めていたというのは、紛れもない事実なのだ。
 ただの軍監ならばおどすところだが、そうもいかない。参謀という肩書きはともかく、この男は、剣に関してもかなりの手練れである。抜き合わせてみなくてもわかるほどの、強烈な剣気を放っているのだ。そしてその剣気は、これ以上反論しようものならば斬る、という雰囲気を漂わせてもいた。
「わかりました。して、新たな任務とは?」
 ボーゲンが言うと、ダークナイトの気がやわらいだように感じた。
 威圧感を受けるのは、身長のせいもある。長身のダークナイトとは、頭二つ分の身長差があった。昔から、短躯であることに劣等感を抱いてきた。見下ろされて話すこと自体、気分のいいものではない。立場の違いが、さらにその劣等感を強めもする。それでもボーゲンは、なるべく感情を表に出さぬようつとめた。
「セミテの山塞がおとされ、ミスリル鉱山を奪われたことは知っているな。どうも叛乱軍には、主力以外にも、独立行動をとる小部隊が存在するようなのだ。それを見つけ出し、始末せよ」
「なるほど、狩りのようなものですな」
「侮るな。叛乱軍の参謀には、白の賢者といわれた稀代の魔導師、ミンウがいる。叛乱軍の中では、最も注意すべき人物だ」
「暗殺は、試みたのですか?」
「何度か刺客を送りこんだが、全員殺されている。叛乱軍には、諜報に優れた闇の部隊もいるようだ。情報力そのものも、こちらより上だと思う」
「同感です。要所から要所への、鏡を用いての光の反射や、手旗による信号。通信の手段は変わりませんが、張りめぐらされている情報網が、われらとは格段に違います」
「そこで、元はカシュオーンの将軍であったおまえの経験が生きるのだ、ボーゲン。まずは本国へ戻り、情報部を中心とした後方の強化に当たれ。陛下は、バフスクでのおまえの行いについて、特に咎めるつもりはないそうだ」
「わかりました。速やかに本国へ帰還し、まずは陛下に謁見したいと思います」
 皇帝からの叱責を受けないと聞いて、内心ほっとしながらボーゲンは言った。ほっとする自分が、腹立たしくもある。しかし、こんなところで終わってはいられないのだ。力でのしあがる。そう思ったからこそ、カシュオーンからパラメキアへ寝返ったのだ。そういった考えを表情には出さず、ボーゲンは拝礼し、退出した。
 部屋を出ると、部下のひとりに出動の命令を下した。短く返事をし、部下が外へ駈けて行く。
 廊下を歩きながら、ダークナイトのことを考えた。若造が。歩きながら呟いた。いつか軍内で昇りつめた時には、閑職に追いやってやる。いや、あの男がいては出世もままならない。どこかで、あの男を始末する。考えながら、額に残る脂汗を拭った。
 外に出ると、毒蛇の紋章をあしらった旗が見えた。ボーゲンの将軍旗だ。兵舎の前には、三百名の麾下が整列している。カシュオーンにいたころから付き従ってきた部下たちだ。整列したまま、部下たちは身じろぎひとつしない。精兵だった。同数で闘っても、ダークナイトの麾下に負けない自信はある。それだけ、調練や実戦で鍛えあげていた。
 ボーゲンの調練では、死者が出ることも一再ではなかった。調練で死ぬ者は、実戦でも真っ先に死ぬ。ただ死ぬだけならばいいが、ひとりの失敗が、部隊の全滅を招くこともあるのだ。
 兵たちには、一切の甘えを認めなかった。その代わり、戦に勝利した時は一時間だけ略奪を許した。金品を奪い、女を犯す。勝利の悦びを与えることにより、ボーゲンの麾下は強さを増していくのだ。
 軍規をめぐって、カシュオーンの王太子スコットと、激しく対立したこともある。それだけが原因ではないが、ボーゲンはスコットのことを憎んでいた。
 武芸や軍略に通じ、背も高く、整った顔立ちの王太子に対し、短躯で醜い容姿のボーゲンは、強い劣等感を抱いていた。フィンの王女、ヒルダとの婚約には羨望も感じた。しかし、決して軍略では負けていない、という思いもあった。
 パラメキアから打診があったのは、カシュオーンで闘っている時のことだった。密約を交わし、機を見計らい続けた。
 内応の機は、フィン城での攻防の際にやってきた。ひそかに城門を開け、帝国軍を招き入れたのだ。フィンを中心とした反パラメキアの連合軍は、あっさり敗走した。スコットの屍体は見つかっていないが、落ち延びたとは思えない。どさくさに紛れてヒルダを攫おうとも思ったが、そちらは失敗に終わった。それでも、スコットのすべてを打ち砕いたという気はする。
 帝国の軍内でも、それなりの力を得た。民は戦費を捻出するための重税に苦しんでいるが、そんなのは自分の知ったことではない。欲しいのは権力だ。権力があれば、すべてを意のままに操ることができる。そのためにも、いずれはダークナイトを排除しなければならない。
「これより、パラメキア本国へむかう。乗馬」
 命令を下すと、全員が素速く騎乗した。

 伝令として残した二騎が合流してきたのは、三日後のことだった。ボーゲンの軍は、バフスク南東の草原を駈けていた。
「アクラ山中で、埋伏しながら進む軍勢を発見しました。叛乱軍、およそ千二百。工廠にむかうと思われます」
 報告を聞きながら、ボーゲンは右頬を撫でた。ボーゲンの顔には、こめかみから頬にかけて、大きな痣がある。幼少のころ、父親から熱湯を浴びせかけられた時にできた、火傷の痕だった。いまでも、時々疼くことがある。そして、この傷が疼くたびに、過去を思い出すのだ。
 大した仕事もせず、酒に酔っては母や自分に暴力を振るう、最低の父だった。母は男を作り、家を出て行った。
 母が出て行ってからは、父の暴力はさらに過激さを増した。来る日も来る日も、ボーゲンは父の気が済むまで殴られ、蹴られ続けた。
 十三歳の時に、父を殺して、家に火をつけた。住んでいた町を離れ、強盗などをして生き延びた。
 十六歳でカシュオーン軍に入り、兵となった。素行を咎められることもあったが、働きを認められ、二十七歳で将校となり、三十五歳で将軍になった。それから、十年が経っている。
「いかがいたしましょう、将軍?」
 部下の言葉に、ボーゲンは思考を切り替えた。
 叛乱軍千二百は、大戦艦の破壊が目的だろう。大戦艦が完成すれば、世界じゅうの都市を焦土と化すことができるのだ。
 工廠の守備兵は四百。ダークナイトの麾下を合わせても、五百。バフスクには五千の兵が駐屯しているが、増援が間に合うかどうか、ぎりぎりのところだ。
 ダークナイトの粘りにもよるが、自分ならば間に合い、叛乱軍を蹴散らすこともたやすいはずだ。
 しかし、ここはダークナイトの手並みを見てやろう、という気分にボーゲンはなった。仮に大戦艦が破壊されたとしても、任を解かれた自分に責任はない。そして、労せずしてダークナイトを始末することもできるかもしれない。考えながら、ボーゲンは自分が笑みを浮かべていることに気がついた。「放っておけ。われらは、陛下の勅命を最優先する。しかし、今後の情勢だけは報告せよ。伝令をさらに増やせ」
「はっ」
 短く返事をして、二騎が後方へ駈けていく。部下は、余計な口を利かない。ボーゲンの命令だけを、忠実に実行するのだ。そして、戦になれば驚くほどの戦果をあげる。
 ボーゲンは、再び右頬の痣に手を触れた。疼きはもう消えている。爛れた皮膚はいやな手触りだ。鏡を見れば、自分でも醜いと思う。
 顔の痣を見て、怯える女も多かった。そんな女を責め抜くのは、この上ない快楽だった。鞭で打ち、あるいは首を絞めながら、交合する。交合をくり返すうちに死んでしまう女もいたが、その辺の遊女が死んだくらいでは、問題にもならなかった。
 ボーゲンは、色の白い女が好きだった。白い肌に、平手や鞭で打った痕が赤く浮かぶのが、ボーゲンの情欲をそそるのだ。赤く腫れあがった肌に、精を放つ。その気になれば、ひと晩に七、八回は交合することもできる。しかし、大抵の女は朝になると気を失っているか、死んでいるかのどちらかだった。
 フィンの王女、ヒルダを取り逃がしたのは惜しかった。いつか、あの女を犯してみせる。象牙細工のような肌理きめの細かい白い肌に、鞭をくれてみたい。腫れあがった部分を指でなぞり、舌を這わす。そして後ろから貫き、傷の浮かんだ白い背中を見ながら果てるのだ。
 風が出てきた。季節はずれの、生ぬるい風だ。頬から手を離し、ボーゲンは両手で手綱を握った。
 邪魔者はすべて消す。叛乱軍の鼠ごとき、わが精兵の敵ではない。
 口の端に笑みを浮かべると、顔の痣が、別の生き物のように蠢いた。     

   三


 ジェイムズは、丘の上に騎馬二百とともにいた。大戦艦破壊の密命を受け、千二百の兵を率いて、ひそかにアクラ山脈を越えてきたのだ。
 下の盆地では、歩兵一千が工廠の守備兵と交戦中である。守備兵は四百といったところだが、工廠の前には馬止めの柵が幾重にも配置され、騎馬による急襲は無理だった。歩兵を前に出し、じわじわと攻めあげることにした。弓矢による攻撃を受け、少しずつ兵力を減らされてはいるが、柵を二枚剥がし、三枚目の柵に取りついたところだ。季節に似合わぬ生ぬるい風を感じながら、ジェイムズは工廠の方を見た。
 こんな山中で造船というのも奇妙な話だが、大戦艦は空を航行する、飛空船である。施設に覆われていてその全貌はわからないが、船渠せんきょから覗く外観は、巨大な鉄の鯨を思わせるものがあった。完成も、もう間近だろう。
 大戦艦が完成すれば、その圧倒的な火力で、世界じゅうの都市が焦土と化すといわれている。その前に、なんとしても大戦艦を破壊しなければならない。
 パラメキア帝国は、火薬を使った新兵器の開発に力を入れていた。火薬に使う天然の硝石は、パラメキア付近でのみ採掘される。人工的に硝石を作り出すこともできるが、相当な手間をかけても、わずかな量しか作ることはできない。
 兵器の近代化という点では、フィンはパラメキアに大きく後れを取っていた。しかし、火砲など、実戦では城攻めくらいでしか役に立たない。戦は剣と槍、そして馬で闘うものだ、という思いもある。
 フィン軍の主力は騎馬だった。騎馬で敵を揉みあげ、大規模に展開した歩兵で、野戦を決める。
 これまでにジェイムズは、フィン軍の騎馬隊長として幾多の戦闘に参加し、挙げた首級も、数え切れなかった。将軍として万余の軍を率いたこともあったが、数百単位の騎馬隊を率いることの方がむいていると思い、配置換えの希望を出し、認められた。
 なによりも、馬が好きだった。馬と心を通わせ、一心同体となって原野を駈けるのが愉しいのだ。十五のころから馬に乗り続け、もう三十年になる。妻帯もしていない。女を抱きたくなれば、娼妓を買って済ませた。
 自分にとって、馬は最高の友である。そして、フィン軍の騎馬隊を率いることに、誇りを持っていた。しかし、帝国軍の将兵からは、誇りというものが感じられなかった。
 人の世から、戦がなくなることはないだろう。だからこそ、軍人は誇りをなくしてはならない。軍人が誇りを失えば、ただの人殺しではないか。
 現在、帝国軍は兵站の問題を抱えてはいるが、それでも圧倒的に優位である。そして、大戦艦が完成すれば、無差別な殺戮で都市を制圧し、帝国は世界を手中に収めるだろう。しかし、そんな大量破壊を目的とした兵器開発に、なんの意味があるのだ。技術の進歩というものは、戦のためにあるのではない。かつて同僚であったシドなら、間違いなくそう言うだろう。
 科学に夢を見出し、シドはフィン軍から離れていった。非難する者も多かったが、ジェイムズは黙って見送った。いま思えば、男の夢を追いかけ、騎士団長の地位を捨てたシドが、羨ましかったのかもしれない。
 ジェイムズにとって、科学はよくわからないものだった。軍人以外の生き方を知らない。自分にできるのは、馬上で剣を振るい続けることだけだ。そう思い定めている。
 戦況に意識を移した。
 三枚目の柵が、剥がれかけていた。守備兵は横隊で矢を射かけ、柵のむこうからは、槍で突いて抵抗してくる。こちらは楯を持った兵を前面に出し、槍を持った兵が敵を打ち払う。その間に、別の兵が柵を倒していく。
 押している。あと二枚剥がせば、騎馬による突撃で敵兵を蹂躙し、一気に闘いを決められる。そして大量の爆薬を利用し、工廠ごと大戦艦を破壊すれば、今回の作戦は完了だ。その後はポフトからサラマンドにかけて兵站線を整え、力を蓄える。時間はかかるが、まったく対抗できないわけではない。味方の士気の高さを思えば、それも可能に思えた。
 三枚目の柵を破った。
 よし、と呟いたその時、馬蹄の響きが聞こえた。
 兵舎の裏から、武具も馬具も黒一色で統一された、百騎ほどの騎馬隊が現れた。土煙をあげ、縦列で駈けてくるさまを見ただけで、精強だということがわかる。まるで、一頭の巨大な黒いけもののようではないか。思わず、全身が総毛立った。
「槍を前に出してかたまれ。弓を遣って、射落とせ」
 ジェイムズが叫ぶと、喇叭らっぱが吹き鳴らされ、兵が陣形を変えていった。騎馬隊はそのまま待機した。あの黒い百騎が、一千近い歩兵に対しどう出るのか、見てみたいという気になったからだ。
 黒い騎馬隊にむけて、一斉に矢が射かけられた。しかし、そのほとんどが叩き落され、落馬する者はわずかだった。ひとりひとりが、精鋭なのだ。
 歩兵との距離が、みるみる縮まっていく。ただ、すでに槍を持った兵が前面に出て、騎馬の突撃を防ぐ恰好になっている。凌ぎきれる、と思ったが、百騎の速度は落ちない。このまま、突き出された槍にむかっていくのか。ジェイムズは息を呑んだ。
 ぶつかる寸前で、縦列が二つに割れた。左半分が、槍の手前で馬を棹立ちにさせ、槍を防いだ。そこへ、右半分が横から突っこむ。すぐに左側が反転し、突撃をかける。突撃したと思ったその時には、もう片方はすでに反転している。動きにまったく無駄がない。交互に振り降ろされる、二本の鎌のようだ。左右から突撃を受け、味方が次々と刈り取られていく。
「クリフ、ラーズ、五十ずつ率いて、側面を衝け。絞りあげたところに、俺が正面から百で突っこむ」
 ようやく、ジェイムズは指示を出した。二人の副官が、五十ずつの騎馬を率いて、丘を駈け降りていく。ジェイムズも馬腹を蹴って駈け出した。その後ろを、百騎が続く。
 丘の下を見た。たった百騎を相手に、味方は完全に浮き足立っていた。判断を誤ったか、と思ったところでもう遅い。あれほどの騎馬隊がパラメキアにいるとは、夢にも思わなかった。まるで一頭のけものを思わせる、統率の取れた黒い騎馬隊。しかし、それがどうした。三十年にわたり、あらゆる戦場を駈け続けてきた。五百の騎馬で、万を超える敵陣を断ち割ったこともある。そこらの騎馬隊とは、くぐり抜けてきた地獄の数が違うのだ。
「全力で駈けよ。われらの誇りと力、帝国軍に見せつけるのだ」
 剣を中天に掲げながら、叫んだ。後ろから鯨波げいはがあがり、ジェイムズを先頭に、百騎が楔形になっていく。剣を前に振り降ろし、肚の底から雄叫びをあげた。ジェイムズもまた、原野を駈けるただ一頭のけものになった。
 黒い騎馬隊が、後方へ退がった。退がりながら、ひとつにまとまっていく。数はほとんど減っていない。
 反転して、黒い騎馬隊がむかってきた。正面からやり合おうというのか。こめかみを、ひとすじの汗が伝う。それでも、ジェイムズの顔には笑みが浮かんでいた。
 左右から、副官の隊が突っこんだ。少しして、ジェイムズの隊も正面からぶつかった。駈け抜けながら二人を斬り倒したが、背中には冷や汗をかいていた。逆落としの勢いがついていなければ、ひと揉みにされていたかもしれない。数はこちらの半分ではあるが、それほどの強烈な闘気を、あの黒い騎馬隊は放っている。
 合流してくる副官の隊を見て、ジェイムズは自分の眼を疑った。副官は二人とも討ち死にしているうえに、兵の数も半分になっていた。
 ジェイムズが率いている隊も、数は減らされていた。総員で、百四十といったところだ。たった一度のぶつかり合いで、六十が討ち取られたことになる。黒い騎馬隊は、まだ九十以上は残っているように見える。
 再び反転して、黒い騎馬隊がむかってきた。ジェイムズも、隊をひとつにまとめ、黒い騎馬隊にむかって駈けた。
 先頭に、黒い馬に跨った男が見えた。あれが指揮官だ、という確信があった。左手に剣を持っているが、その剣身までもが黒い。おこがましい。吐き捨てるように、ジェイムズは言った。
 正面からぶつかった。黒い剣士と斬り結ぶ。黒い剣の刃の部分は、鈍い銀色だった。ミスリルだ。ジェイムズの剣も、ミスリルでできている。かつて国王ロベールから下賜されたもので、柄には野ばらの彫刻が施されている。
 二合だけ打ち合って、駈け抜けた。駈けながら、刃こぼれの生じた剣を見た。恐るべき手練れだ。打ち合いながら、肌に粟が立った。気を抜けば、たちまち首と胴が離れることになるだろう。大きく息をつき、ジェイムズは掌で、土埃にまみれた顔を拭った。
 駈けながら隊をまとめた。味方は、百ほどに減らされていた。黒い騎馬隊が、流れるような動きで反転し、こちらへむかってくる。数は、ぶつかる前とさほど変わらないようだ。先頭には、やはりあの黒い剣士がいる。突撃の態勢を整え、ジェイムズも駈け出した。
「フィン軍騎馬隊長、ジェイムズ」
 名乗りをあげての一騎討ちなど、時代遅れだということはわかっている。それでも、名乗らずにはいられなかった。そして、名乗ったあとで、思わずフィン軍と言ったことに気がついた。叛乱軍とは、野ばらの旗のもとに集った、帝国に対抗する勢力の総称なのだ。俺自身は、フィン軍の騎馬隊長のままだ。そう思い定めている。
 馬をぶつけ、脚を止めて黒い剣士と打ち合った。顔は兜に覆われていてわからないが、まだ若いように思える。若いが、手練れだ。これほどの剣の遣い手は、カシュオーン王太子スコット以外では、はじめてだった。
 猛攻を凌ぎながら、打ち返す。こちらの攻撃もまた、すべて捌かれた。打ち合っているうちに、少しずつ馬の位置が入れ替わっていた。左側を取られるかたちになり、右利きのジェイムズには不利な体勢となった。次第に、押されはじめた。
 腕に違和を感じた。手綱の手応えがなくなり、上体がふらついた。見ると、左の手首から先がなくなっていた。前のめりになりながら、斬りかかっていく。弾かれた。来る。直感があったが、見えなかった。
 胸のあたりに衝撃があった。黒い剣を視界に捉えた時、その刃は胸に刺さっていた。呻きながらそのまま後ろに倒れ、滑るように馬から落ちた。後頭部を地面に打ちつけ、ジェイムズの意識は途切れた。

 眼を開けると、青空が拡がっていた。
 まだ生きている。仰むけの状態で、気を失っていたのだ。右手は、剣を握ったままだった。
 呼吸をすると、胸に痛みが走った。傷は鎖骨の下あたりで、心臓をはずれていた。眼にも留まらぬ速さでくり出される、左の片手突きだった。胸当てを貫通するほどの威力もある。間違いなく、黒い剣士は心臓を狙っていただろう。手首を斬り落とされ、不安定な体勢になっていたことが、偶然にも命を繋いだのだ。
 手首の状態を見た。出血はそれほどでもないと思ったが、籠手をはずすと、傷口から血が溢れてきた。痛みに耐えながら、服の一部を破り傷口に巻きつけた。さらにその上から紐できつく縛り、応急処置をした。
 立ちあがると、眩暈がした。大量の血が失われているのだ。両脚を踏ん張ってこらえた。
 どれほどの時が経ったのかはわからないが、味方は壊滅状態だった。喇叭が鳴らされ、敗走している味方に、黒い騎馬隊が追い討ちをかけている。完全な、敗北だ。
「隊長。生きておられましたか」
 声にふりむくと、騎乗した部下たちがいた。五名だ。声をかけてきた部下は、馬を一頭曳いている。
「おお、わが隊はまだ残っていたか」
 手首を失った左腕を振りながら、ジェイムズは歯を見せて笑った。
「隊長を入れて、六名でございますが」
「やられたな、完膚なきまでに。ところで、その馬は俺が乗っていいんだな?」
「勿論ですとも。われらは、誇りあるフィン王国軍の騎馬隊。あなたは、その隊長です」
 五人の部下の顔を、順番に見た。眼が合って頷く。それぞれに傷を負ってはいるが、眼は死んでいない。まだ、闘える。数は関係ない。最後まで、軍人の誇りを貫くだけだ。
 躰を馬に預けるようにして、ジェイムズは騎乗した。鞍に腰を降ろすと、左腕に手綱を何度か巻きつけ固定した。これで、なんとか馬を操れる。
「旗はあるか」
「ここに」
 部下のひとりが差し出した野ばらの旗は、血と泥で汚れ、端の方が破れていた。
「俺の背中に、括りつけろ」
 落ちていた縄で、部下がジェイムズの躰に旗を括りつけていく。それが終わると、ジェイムズはゆっくりと馬を出した。部下たちがあとに続く。並脚から速脚、駈け脚。徐々に速度を上げていった。背中に差した旗の重さで、重心は安定している。
「戦のない世の中が、いつか来るのだろうか」
 青く拡がる空を見ながら、呟いた。六騎は、ジェイムズを先頭に楔形で駈けている。
「われらは、戦しか知りません」
「それもそうだな。戦しか知らないから、こうやって闘い続けるのか」
 ジェイムズの言葉に、全員が声をあげて笑った。悲壮感というものはない。澄みわたる秋の空のように、気分は晴れ晴れとしていた。
 これから先の世は、ヒルダやゴードン、そしてフリオニールたちのような若者が創っていけばいい。大戦艦が完成し、帝国の大攻勢がはじまればそれもままならないだろうが、どのみち自分は、戦の中でしか生きられない身だ。そしてこのジェイムズの戦場には、大戦艦なんてものは不要だ。死ぬのならば、剣で斬られ、あるいは槍で突かれて死にたい。思いながら、剣の柄を握り直した。
 前方に、二百ほどの敵が横隊で展開していた。脇をすり抜ける。目指すは、黒い騎馬隊だ。左腕に巻きつけた手綱を操りながら、雨のように降りそそぐ矢を、剣で打ち払っていった。
 横隊を迂回すると、ジェイムズは後ろをふり返った。
 生き残った部下は、二人だった。眼が合って、二人が頷く。二人とも、笑っていた。それでいい。男は、軍人は、どんな時でも泣いたり喚いたりしないものだ。
 黒い騎馬隊がこちらに気づき、反転してきた。いまだ九十近くは残っている。
「全軍でむかってくるとは、相手もわかっているな」
「敵ながら、心憎いほどの気高さと、強さを持っている、と私は思います」
「最高の相手と、めぐり逢いましたな。大戦艦の砲撃にやられるより、よっぽどいい」
「ああ。われらにふさわしい、最高の相手だ」
 土煙をあげて、黒い騎馬隊が縦列でむかってくる。前方に眼を凝らした。先頭には、指揮官の黒い剣士がいた。剣だけでなく、馬術も指揮も並はずれたものを持っている。これほどの強敵と出会えるのは、軍人にとってむしろ幸福なのかもしれない。
「駈けよう。誇りとともに、地の果てまでも」
 さらに速度を上げた。部下も必死についてくる。背中で、野ばらの旗が風に靡いているのがわかった。
 接近した。敵の表情がわかる距離だ。
 眼の前で、突然黒い騎馬隊が左右に拡がった。さながら、巨大な黒いけものが、大きく口を開けたようなかたちだ。両翼から、三騎を飲みこもうとしてくる。
 剣を構えた。躰が熱い。血が燃えている。
 雄叫びをあげ、ジェイムズは黒いけものの口の中へ飛びこんだ。    

   四


 草原で、フリオニールは馬を駈けさせていた。
 アルテアの西。目的地などはなく、ただひたすら駈けているだけだ。心の中を、冷たい風が吹き抜けていく。
 ジェイムズが戦死し、千二百の兵も全滅した、という知らせが届いたのは、今朝のことだった。知らせを聞いた時、心に穴を穿たれたような気がした。そして気づいた時には馬に乗り、町の外へ駈けていた。
 ジェイムズの任務は、バフスクで建造が進められている、大戦艦の破壊だった。軍内のごく一部の者しか知らない極秘の作戦で、すべてはミンウの指示によるものだった。アルテアに戻ってからのミンウが慌ただしくしていたのは、そのためだったのだ。
 ミンウを恨むつもりはない。叛乱軍が勝つためには、薄氷を踏むような闘いは避けられないのだ。そして、戦では命が失われるものだ。誰であれ、人は死ぬ。それでも、ジェイムズの死は信じたくなかった。
 ガテアの近くで、帝国軍の斥候と闘っているところを助けられた。あの時ジェイムズが来なければ、自分はもうこの世にいなかったのかもしれない。アルテアまでの道中では、色々なことを話し、馬術も教えて貰った。厳しくもやさしく、男として接してくれた。いつかともに駈け、野戦料理を食べる約束だった。しかし、それももう叶わない。
 視界に入るすべてのものが、色褪せて見えた。もっと、もっと速く駈けろ。声にならない叫びをあげながら、フリオニールはさらに馬腹を蹴った。
 躰が宙に浮いた。
 馬に振り落とされたのだ。背中から地面に落ちた。草の上ではあったが、それでも全身に激痛が走った。痛みをこらえる。視界の端で、馬が遠くへ駈けていくのを捉えた。
 草原に身を投げ出したまま、顔を正面に戻した。眼の前には、高く澄んだ秋の空が拡がっている。自分は生きているのだ、と実感した。生きている自分には、なすべきことが残っている。頭ではわかっている。
 風がそよぎ、草が頬を撫でていく。眼を閉じ、しばし草原に躰を預けた。
 眼醒めた。
 遠くで、空が揺れている。飛び起きて、フリオニールは東の空を見た。
 黒い巨大ななにかが、アルテアの上空に浮いていた。ここからでは細かいところまでわからないが、船のように見える。大戦艦。直感でわかった。ついに完成したのだ。そして、帝国の総攻撃がはじまった。
 低く重い爆発音とともに、大戦艦から煙が巻きあがった。砲撃だ。町から黒煙があがる。さらに、小さな黒い塊のようなものがいくつも投下され、地上で爆発した。あれだけの攻撃を受け続けたら、アルテアのような小さな町は、すぐに廃墟になってしまうだろう。
 後ろに気配を感じた。馬だ。眠っている間に、戻ってきたのだ。爆発音のせいか、怯えているようだ。近づいて首を撫でると、嬉しそうに顔を上下させた。
「ごめんな。もう大丈夫だ。帰ろう、アルテアに」
 言って、騎乗した。軽く馬腹を締めただけで、馬は走り出した。
 空が赤かった。町から火の手があがっているのだ。ここからだと、原野が燃えているようにも見える。アルテアに戻ったところで、大戦艦を相手には闘えない。それでも、負傷者の救助など、やるべきことはたくさんあるはずだ。そして、俺には仲間がいる。仲間が斃れても、闘い続ける。最初にそう決めたのだ。自棄になって町を飛び出してきた自分が、ひどく情けなく思えた。
 このまま駈け続けて、あと一時間くらいはかかるだろうか。マリア、ガイ、ゴードン、みんな無事でいてくれ。思いが伝わったのか、馬は懸命に駈けている。
 不意に、大戦艦の攻撃が熄んだ。
 動き出し、こちらにむかってくる。アルテアは、もう破壊し尽くされたのだろうか。不安が伝わったのか、一瞬、馬の動きが止まった。
 近づいてくるにつれ、大戦艦の全貌がはっきり見えてきた。城砦のようにそびえる艦橋。両舷に並ぶいくつもの砲門。あちこちで回転する羽根は、推進装置だろう。浮力は、ミンウの言っていた魔石というもので得ているに違いない。
 それでも、船が飛んでいるという光景は、信じがたいものがあった。これほどの巨大な船は、ポフトにもなかった。帝国軍の象徴ともいうべき、禍々しさを放っている。
 頭上に差しかかった。馬が驚き、棹立ちになる。
 巻きあがる風に耐えながら、大戦艦を見あげた。心なしか、上下にふらついているようにも見える。
 北西の方向へ去っていくのを見届けると、フリオニールは再び馬を出した。
 アルテアに到着した。
 それは町というよりも、もはや瓦礫の山に近かった。
 司令部の方へむかう。半壊してはいるが、まだ建物は残っていた。白装束の男。ミンウだ。兵たちに、なにか指示を出している。駈け寄って、声をかけた。
「ミンウ殿、俺は」
「話はあとにしましょう、フリオニール。まずはゴードン様たちと合流して、生存者の救助に当たってください」
「わかりました。いまは、できることをやります」
 返事をして、フリオニールは駈け出した。
 ゴードンやガイと協力して、夕方まで救助に当たった。家屋の被害は甚大だったが、死傷者は思っていたよりも少なかった。ミンウの指示で地下壕がいくつも作られていて、そこに退避したためらしい。こういった事態を、ミンウは予測していたのだ。
 夜、重立った者が宿営地に召集された。宿営地には負傷者も集められ、医師たちが治療に当たっていた。マリアも、そこで手伝いをしていたらしい。フリオニールたちは、指定された幕舎の中へ入った。
 軍議は、ヒルダの挨拶からはじまった。
「お集まりいただき、ありがとうございます。大戦艦の攻撃で、大勢の民が傷つきました。父も気力が萎え、病状が悪化しました。もう、長くはないと思います。それでも、わたしたちは降伏しません。勝つために、作戦を立てていきます。では、はじめましょう」
 続いて、ミンウが状況を説明した。
「予想よりも早く、大戦艦が完成しました。敵もさるもので、われらは一切の情報を察知できませんでした」
「むこうも、こちらの情報網を切りにかかってきやがった。俺の部下も、何名か殺された」
 ポールが、くやしそうに言った。セミテの時よりも髭がのび、眼はぎらついている。ポール率いる蝙蝠は、自分たちの知らないところで暗闘をくり広げているのだ。
「しかし、見たところまだ動力系の制御が完全ではないようで、攻撃も早めに切りあげられました。これは、ジェイムズ殿の軍がバフスクを襲撃したことにより、完成を焦ったからだと思われます」
「ジェイムズの死は、無駄ではなかったということか。おかげで命拾いしたのかもしれんな」
 ミンウにも、それに相槌を打ったスティーヴの言葉にも、どこか腹が立った。しかし、あくまでミンウは、勝つための策を考えているだけだ。ひとつの戦ではなく、叛乱軍の闘いすべてを見据えている。そしてスティーヴの言う通り、大戦艦が完全な状態であれば、いまごろ全員が死んでいたのかもしれない。
「しかし、われらは今後どうやって、あの大戦艦に対抗したらよいのでしょうか?」
「シド殿と書簡のやり取りをして、完成した時のことも話し合いました。もはや外部からの破壊は不可能でしょう。大戦艦は、内部から破壊します」
 フリオニールの質問に、ミンウが答えた。内部からの破壊。爆薬でも仕掛けるというのだろうか。次の言葉を待った。
「内部からといっても、あれだけ巨大な戦艦を破壊するには、大量の爆薬が必要です。以前、飛空船の動力について話しましたね、フリオニール?」
「はい、触媒に魔石を使うと」
「その通りです。飛空船は魔石の力によって浮上しますが、制御がとても難しく、些細なことでその均衡は崩れ、事故を起こします」
 話が見えてきた。一同は、二人のやり取りに注目している。このまま、フリオニールはミンウとの話を続けることにした。
「なるほど。内部に潜入し、魔石を動力炉にほうりこむのですね。動力炉さえ破壊すれば、もう大戦艦は航行できません。しかし、希少なはずの魔石を入手できるのでしょうか。それに、潜入だって難しいと思いますが」
「潜入は任せとけ。そのために、俺がいる。とりあえずは魔石だが、当てはあるんだろうな、ミンウ殿?」
「ポール殿ならば、カシュオーン城にある秘宝、『太陽の炎』をご存知でしょう」
「駆け出しのころ、盗みに入って失敗したことがある。いや、こんな話をゴードン様の前でするべきではないのだが、あれは魔石だったのか。俺はてっきり、巨大な紅玉かと思っていた」
「あれは紅玉ではなく、もとは天から降ってきた、星の石なのです。いまから四百年ほど昔、カシュオーンの地に、人間の頭部ほどの石が、天より降ってきました。衝突の勢いはすさまじいものがあり、衝突した場所を中心に巨大な穴が開き、やがてそこは湖になりました。そうですね、ゴードン様?」
 思わぬところで、ポールの過去の話になった。少しおかしかったが、すぐにゴードンの方へ視線を移した。一度咳払いをして、ゴードンは話し出した。
「ミンウ殿の言われた通りだ。そしてその地に私の先祖が国を興し、湖を埋め、城を建てた。湖の底から拾いあげられた星の石は、太陽の炎と名づけられた。炎のように赤く、熱を帯びているからなのだが、秘めた魔力を有効に利用することはできず、宝物庫に収められたのだ」
「その太陽の炎を使って、大戦艦を破壊するのだな?」
 スティーヴがミンウに訊ねた。
「はい。しかし、カシュオーンの宝物庫は、落城の際に魔法による封印を施されています。そして封印を解くには、『女神の鐘』という、魔法の鐘の音色が必要なのです」
「なんだかややこしくなってきたな。それで、その女神の鐘ってのは、どこにあるんだ?」
 ポールが、髭を擦りながら言った。
「サラマンドの北、ムースニー山脈を越えた先には、雪原が拡がっています。その雪原の果てに洞窟があり、そこに女神の鐘は隠されています」
「遠いな。シドの飛空船を飛ばすわけにはいかないのか?」
「シド殿の飛空船は、武装をしていません。もし大戦艦と遭遇したら、と考えると不用意な真似はできませんし、ポフトの状況もまだわかりません。ポール殿と蝙蝠には、大戦艦について探っていただきたいと思っていますし、ゴードン様には兵を指揮して、防備をかためていただきたい、と考えているのですが」
「となると、答えはひとつだな。フリオニール、おまえたちの任務だ。そういうことだろう、ミンウ殿?」
「はい。お願いします、フリオニール。マリアとガイの三人でサラマンドへむかい、再びヨーゼフ殿の協力を得てください。私はアルテアに残り、陛下や町の人々の治療をしながら、今後の策を練りたいと思います」
 ミンウがじっと見つめてくる。いまは、悲しみに暮れている場合ではない。ミンウの眼が、そう言っている。
「軍議が終わったのち、仕度します」
 ミンウの眼を見ながら、フリオニールは答えた。
 その後、もう少し具体的なことを話して、散会した。司令部の建物は使えないので、再び兵の幕舎を使うことになった。
 後ろから、ゴードンが追いかけてきた。
「フリオニール。ミンウ殿の気遣いを、無駄にしてはいけない。いまは、私たちにできることを全力でやろう」
「わかっているさ、ゴードン。それにほんとうの意味で、ジェイムズ殿はまだ死んでいない。俺たちの心の中で、きっと生きている」
「そうだな。私たちが忘れないかぎり、ジェイムズ殿は生き続ける」
 お互いの眼を見ながら、頷いて別れた。幕舎に着くと、旅仕度を整え、就寝した。
 翌朝、フリオニールたちはこの町に住む老鍛冶、トブールのもとを訪ねた。
 セミテより持ち帰ったミスリルで、武具を作るよう註文していたのだ。急な出立ではあるが、とりあえず仕上がったものだけでも受け取ろうと思った。
「フリオニールか。なるほど、もう次の任務か」
 トブールは七十を過ぎているが、がっしりした躰つきで、特に腕の筋肉はすさまじいものがあった。表情に、少し疲れが見える。トブールだけではない。すべての人々が、きのうの大戦艦の攻撃で疲れ切っていた。
「帝国の大戦艦が、完成してしまいました。アルテアも大変かと思いますが、なにがあっても、叛乱軍は闘い続けます」
「わしらだって、帝国の支配は望んじゃいないさ。できることは、なんでもする。註文の武具だって、もうできているぞ」
「まさか。註文して、まだ十日ほどです」
「親方は、もう三日も寝ていないんだ。きのうも、爆撃の真っただ中ひとり工房に残り、手を休めなかった」
 弟子のひとりが言った。三日も寝ていないというが、とてもそんなふうには見えない。眼が合うと、太いごつごつした手で、白い顎鬚あごひげを撫でながら笑った。
「工房を捨てて逃げる鍛冶屋があるか。それよりも、できあがった品を早く持ってこい」
 張りのある大きな声で、トブールが弟子たちに命じた。
 弟子たちが、次々と武具を持ってきた。
 ミスリルをふんだんに用いた具足は、それぞれの体躯にぴったり合っていて、動きやすかった。
 マリアの遣う弓は、木材に薄いミスリルの板を張り合わせたものだ。三十本ほどある矢の先端には、ミスリル製の鏃が付いている。
 ガイは二丁の大斧だ。軽いミスリル製とはいえ、普通の者では、一丁振り回すのも至難の業だろう。それを、ガイは片手で一丁ずつ遣うつもりだ。
 最後に運ばれてきたのは、フリオニールが註文した剣だった。
 通常の剣よりも、刃も柄も握りひとつ分長くしてある。馬上では扱いづらいが、乱戦でものをいうはずだ。握って感触を確かめる。ミスリル製なのでそれほど重くはない。鞘を払い、やや厚みのある刃を見た。評判の鍛冶だけあり、仕上げも完璧だった。装飾の類いは一切ないが、素朴な力強さを感じる。
「見事です、トブール殿。ミンウ殿の紹介で腕がいいとは聞いていましたが、これはほんとうに素晴らしい」
「ありがとうよ。具足は弟子たちに任せたが、得物はわしひとりで仕上げた」
 言うと同時に、トブールが膝から崩れ落ちた。慌てて弟子たちが躰を支え、起こした。
「トブール殿」
「なに、少し疲れただけだ、心配するな。六十年、わしは鎚を振り続けた。おまえたちを見ていると、羨ましいとも思う。行け、フリオニール。代金は要らん。わしの代わりに、その剣で闘ってこい」
「はい。力のかぎり、闘ってきます」
 言うと、トブールは大きく頷いた。馬に乗り、フリオニールたちは工房をあとにした。
 司令部の前を通った。半壊した建物は、復旧作業が進められている。屋上には、野ばらの旗が掲げられていた。一瞬だけ立ち止まって、風に靡く旗を見あげた。
 町を出ると、馬を駈けさせた。ジェイムズに教わった通り、躰の力を抜き、正しい姿勢を心がけた。
 さらに速度を上げた。風が全身を打つ。陽が落ちるまでに、ビリセント湖に着きたい。
 もう、風を冷たいとは思わなかった。

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