「親への手紙」を書き終えて

「やることノート」で時間を有効利用

今日は仕事でした。私は統合失調症ですが、週に3回、介護施設で、介護補助の仕事をしています。障害をオープンにした就労です。職場が家から近くて、しかも朝がゆっくり目のスタートなのです。だから仕事が始まるまでの朝時間も、Clubhouseのゼロ秒思考のメモ書きルームに入ったり、英語の勉強をしたり、朝ご飯を頑張って作ったりと、自分の心と身体が喜ぶことに時間を使えています。

頭の中にあることをA4用紙に1分間で書き出すという、ゼロ秒思考のメモ書きで、考えがまとまるようになり、悩みも随分軽減されました。

でも、やろうと思っていることや、やらなければいけないことが多すぎて、キャパオーバーというか、
「あー。今日もあれができなかったわ」
という悩みを抱えていました。

で、
時間管理の専門家で7つの仕事を掛け持ちするスパーサラリーマンで、私も入っている石川塾の塾長の石川和男先生の著書を購入して、石川和男先生が考案された、「やることノート」をつけ始めました。

これがすごくいいのです。キャパオーバーからくるフラストレーションとストレスから解放されました。

ゼロ秒思考のメモ書きもお金がかかりませんが、「やることノート」も、大学ノートと、3色ボールペンが必要なだけ。お金がかかりません。

やり方はいたってシンプル。
「やることをノートに全て書き出し、終わった順に、赤ペンで丸を付ける。終わらなかったタスクには青ペンで丸を付ける」
というものです。

タスクを細分化する方法なども石川先生は提唱されています。詳しいことは、「残業ゼロのノート術」という石川先生の著書を参考にしてください。

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ともかく、私はこの「やることノート」のおかげで、以前よりずっと多くのタスクがこなせるようになり、頭の中もぐちゃぐちゃにならなくなりました。おすすめです。


「親への手紙」

話は変わります。

人の顔色を見過ぎてしまう私。人からの評価が気になってしまう私。人に喜んでもらおうと頑張りすぎてしまう私。承認欲求が強すぎる私。そんな自分に疲れてしまう事がよくあります。

長女病の私はいろいろなことを引き受けてしまいがちなのですが、それも「人に嫌われたくない」という気持ちからくるものです。

「私自身が生きづらさから解放されて、良い方向へと変わっていくためにどうすればいいか?」、ゼロ秒思考のメモ書きの提唱者の赤羽雄二さんが、「親への手紙」を書くことを勧めてくださいました。

親への感謝といったきれいごとを書いた手紙ではなく、親に言われた言葉や、されたことで自分がどんなに傷ついたか。どんなに悲しい思いをしたか。そんな親への恨みつらみというか、自分自身の親への「毒」の感情を手紙にして書くのです。怒り、悲しみ、恨みといった感情を偽らずに、カッコつけずに書き出すのです。

その手紙は、親に読んでもらわなくてもよいのです。親に理解してもらうためにではなく、自分自身が再生するために、自分自身を浄化するために、そう
「自分自身が生まれ変わり、生きやすくなるために書くのだ」
と、赤羽さんはおっしゃいました。
「お父さん、お母さん、一人につき3000字くらいは書いて下さいね。それくらい書かないと本音を書ききれませんから」と赤羽さん。

3000字!けっこうなボリュームです。でも、「自分を変えたい!生きやすくなりたい!」と思って、先週の土曜日から親への手紙を書き始めて、今朝書き終えました。


「親への手紙」を書き終えて

「親への手紙」を書いて感じたこと、それは幼い頃の私が、よく頑張っていたなあ、よく我慢してこれたなと、自分自身への労いの想いでした。良く乗り越えてこれたなと、我ながら思うのです。

亡くなった私の父は、会社を経営していて、商才がある人だったのですが、女好き。そして無類の酒好き。優しい時もあったけれど、自分の意にそわないことを私がすると、時に暴力を振るわれました。父が怖かったです。でも、優しい時の父は大好きでした。

そんな父にあてた手紙の一文です。

「いつも仕事ばかりで、もっと私や弟たちと遊んでほしかった。子供の時、人形じゃなくて、ラジコンが欲しかったのに買ってくれなかった。人形はいらないって言ったのに、無理やり人形を買い与えられて、すごく嫌だった。『女らしくしろ!』といつも言われて苦しかった。『お前はお前のままでいい』と、私という人間を肯定してほしかった。話を聞いて欲しかった。」


私には二人の母がいます。生母と私が14歳の時に父と再婚した継母です。

生母は、私が10歳の時に。父の会社の従業員だった男性と不倫して、それがきっかけで、両親は離婚しました。そんな生母にあてた手紙の一文です、

「岡山の子供時代は、私にとっては、本当に幸せな記憶だったのに。平和で幸せな子供時代だったのに。毎日夕暮れまで自然の中で友達と遊んだりしたのは、本当に楽しかったのに。それがお母さんの浮気のせいで終わってしまった。

そして、大好きなおじいちゃんやおばあちゃんと別れなければいけなかったのは本当に悲しいことだった。お母さんのせいで、私の平和な子供時代が終わってしまったのだ。『どうしてくれるの?』。私は無邪気な子供のままでいたかったのに」

本当にメチャメチャな生母ですが、私と弟を産んでくれたことへの感謝の思いがあるのです。


私が14歳の時に父と再婚した継母。私の6歳下、当時8歳の男の子を連れての再婚でした。そんな継母にあてた手紙の一文です。

「とにかくお金にシビア。強かった。強すぎた。そして、行動がすごく速かった。速すぎた。それに私はずいぶんと振り回された。もっと私の話を聞いて欲しかった。私の想いを聞いて欲しかった」

去年81歳で他界した継母は、私たち家族の要といってもいい存在でした。強い人で激しい人で、亡くなってしまうなんて、想像もしていませんでした。

正直、複雑な感情が継母にはあります。辛い思いもしました。でも亡くなる前に病室で、私宛の手紙を震える字で書いてくれていました。そんな継母が手紙を書いてくれた事に対して書いた手紙の一文です。

「亡くなる前に、私宛の手紙を書いてくれた。『愛しの葉月ちゃんへ』と冒頭に書かれていた。震える手で書いてくれた文字が並んでいた。『自分を大切に生きて』というメッセージが心に染みた。お母さんと深く繋がれた気がしたよ。『ありがとう!』」

継母に対してだけでなく、父にも、私と弟を捨てて、男性と生きることを選んだ生母にでさえも、感謝の思いがあるのです。

父、生母、継母。誰一人欠けても、今の私は存在しません。そしてみんな不器用ではありましたが、私を愛してくれました。そのことに感謝したいのです。

「親への手紙」を書き終えて…まだ自分に何か変化が起こったとは感じられません。でも、手紙を書くことによって、自分自身の内面と深く向き合うことができました。それが私を変えてくれると信じています。

最後まで読んで下さって、ありがとうございました。


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