ギブするとギブが返ってくる

「言葉にすれば『悩み』は消える 言語化の魔力」樺沢紫苑先生著


フランチェスカさんとの楽しい時間

昨日は仕事の後、ドイツ人のお友だちのフランチェスカさんと京セラ美術館に行ってきました。フランチェスカさんの旦那さんは日本人の建築家です。8年くらいだったかな?日本に住んでおられるので、日本語が堪能です。フランチェスカさんは女優で、アーティストでもあるので、アートが大好き。だから、よく一緒に美術館に行きます。私の障害者手帳があるので、二人無料で美術館に入れるからです。

昨日は、アンディ・ウォーホール展とボテロ展に行ってきました。どちらも素晴らしかったです。

ウォーホール展は、作品と、ウォーホール自身がとてもカッコ良かったです。ウォーホールが京都と日本にインスパイアされていたことを初めて知りました。ウォーホールについて学びたくて、美術館で売っていたウォーホールの特集の雑誌を買いました。読むのが楽しみです。

ボテロ展も良かったです。ボテロはコロンビア出身のアーティストで、ふっくらとデフォルメされた作風が特徴的です。南米出身らしく色遣いがきれいで、作品も面白かったです。

展覧会を見終わった後で、フランチェスカさんとスタバでお茶しました。これがまた楽しかった!アートのこと、最近読んだ本のこと、最近あった楽しいこと、最近読んだ本のこと、仕事の事、お互いの家族の事、来年チャレンジしたいこと、夢etc、色々な事を話しました。知的好奇心が刺激されました。そして、幸福物質のオキシトシンが出まくりました。

フランチェスカさん、楽しい時間をありがとう!


今日も「言葉にすれば『悩み』は消える 言語化の魔力」からの学びをまとめたいです。この本をまとめるのは、今日で最後です。


悩みが消える究極の方法① あきらめる

人に相談しても、どうにもならない。そんなときは、あきらめればいいのです。私たちは、「最後まであきらめるな」「あきらめたら終わりだ」と教えられて育ってきました。

あきらめるは、もともとは仏教の用語で、「明らかに見る」からきています。「できること」「できないこと」を明らかに見て、手放す。「執着」「こだわり」を手放すということです。

あきらめることで、心が自由になるのです。「明らかに見る」は、先入観や執着を取り除いて、見ること。「ニュートラルに見る」ことを突き詰めると、「あきらめる」という境地に到達するでしょう。

あきらめて、次に進む言葉
「しょうがない」
「まあいいか」
「そういうこともある」


悩みが消える究極の方法② やめる、手放す

学校教育でも会社でも「途中であきらめるな!最後まで頑張れ!」と私たちは教えられてきました。日本人は撤退をよしとしない傾向があります。でも、「どうにもならないこと」を「あきらめるな! 無理してがんばれ!」と無理して続けるとどうなるでしょうか?心を病んだりしてしまいます、自殺にまで追い込まれる人もいます。

「やめる」のではなく、撤退する。手放す。再戦に備えて準備をするのです。今、負けても、次に勝てばいいのです。


悩みが消える究極の方法③ 親切、感謝、他者貢献

神経症、不眠症で悩む患者が、心理学者のアドラーに訊ねました。
「どうすればこの苦しみから抜け出すことができるでしょうか?」
アドラーは答えました。

「ほかの人を喜ばせることです。『自分に何ができるだろうか?どうすればほかの人に喜んでもらえるだろうか』と考え、それを行動にうつすことです。そうすれば、悲しい思いや不眠はなくなり、すべてが解決するでしょう」

他者を信頼し、他者に貢献することで、自分の居場所が得られる。「他者貢献」はアドラー心理学における、究極の悩み解決方法なのです。

自分から「ギブ(与える)」すると、「ギブ」が返ってくる。

ボランティア活動や金銭的な寄付だけが、他者貢献ではありません。人の役に立つこと、相手が「助かった」「嬉しい」「ありがとう」と思うことをすればいいのです。

親切、感謝、他者貢献。これらが普通にできるようになると、悩みから解放され、ポジティブな感情に包まれ、幸せな気持ちで生きられるのです。。


『悩み』のない人なんていない

樺沢紫苑先生は、
「自分には悩みなんてない。あるのは To Doだけだ」と話しておられました。でも、ほとんどの人は何かしら、悩みを抱えて生きています。
「どうして自分だけがこんなに苦しまなければいけないのだろう?」と思っている人も多いと思います。

「悩み」「苦しみ」その渦中にいる時は、とても辛いし、出口が見えない気さえします。でも、必ず出口はあるのです。光の差す出口はあるのです。

かつての私も、自分自身が、まるで出口のない、真っ暗なトンネルの中を歩いているような不安と、心細さと、苦しみを抱えていました。

統合失調症を発症して、仕事も、家庭もなくしました。離婚して息子たちに会えない淋しさと自分の将来に絶望して、オーバードラッグによる自殺未遂もしました。本当にどん底を味わいました。

でも、今、私は生きていてよかったと思っています。素晴らしい人間関係にも恵まれています。仕事でも、「暮島さんがいてくれて良かった」と言ってもらっています。

博多にいる長男は、結婚して、愛するる人のためにいっしょうけんめい働いて頑張っています。忙しいみたいで、なかなか連絡が取れないのですが、彼が幸せならいいなと思っています。

京都で、僧侶になる修行をしている次男は、私のブログを読んでくれていて、「応援しているよ」とメッセージを送ってくれました。彼も修行を頑張っています。

息子たちと出逢えたということに私は感謝しています。そして、私の周りにいる人たちにも感謝しています。私のブログを読んで下さっている方にもとても感謝しています。

樺沢先生のおっしゃる通り、孤独=孤毒だと思います。人には誰かの支えが必要です。不安、悩み、苦しみを抱えている人に寄り添えるようなブログを発信していけたらと思っています。

そのために、本や映画、そして人からも、たくさんの事を学んでいきたいと思っています。私自身の経験をシェアすることが誰かの役に立つなら、アドラーの言う他者貢献になるのなら、それはとても幸せなことです。

今日も良い一日になりますように!

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

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