愛を教えてくれた人(統合失調症の私のNPO法人設立奮闘記Vol7)

「発達障害で『ぐちゃぐちゃな私』が最高に輝く方法」 中村郁さん著

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長男が生まれた日の事

3月15日は、長男の31回目の誕生日でした。LINEと電話で、「おめでとう」のメッセージを伝えました。長男はすごく喜んでくれました。

彼を産んだあの日から、もう31年も経つのだと思うと、なんだか感慨深いものがあります。

31年前の、3月14日の朝おしるしがあって、元夫の運転で、車で1時間の病院へ。元夫はそのままお寺に戻りました。次の日が檀家さんのお葬式だったのです。

病院に行く前に、実家の継母に、「産まれそうだから、これから病院に行くから」と電話を入れました。

陣痛の痛みに、たった一人で耐えていた私。23歳の時です。

当時住んでいた神戸から、継母が新幹線に飛び乗って、病院に駆けつけてくれました。「頑張りよ」と背中と腰をさすってくれました。

夕方4時過ぎに分娩台へ。でも微弱陣痛で、なかなか子宮口が開きません。お医者さんが「いま赤ちゃん寝てますね」と、何度も。「寝ないで、起きてよ。早く生まれてきてよ」と思いました。微弱陣痛といっても、痛みはすごいのです。

その間継母は、寒い病院の廊下で、ずっと待ってくれていました。

出産まであまりにも時間がかかるので、待ちくたびれた継母が、お医者さんを連れてきてくれて、お医者さんがお腹を押してくれて、やっと長男が生まれたのが次の朝の10時半のこと。3600グラムを超えた大きな赤ちゃんでした。

継母は大泣き。私も涙が出ました。感動の涙でした。

夕方には、お葬式を終えた元夫と、姑が病院に駆けつけてくれました。

元夫の目にも涙が。姑は「葉月さん、大手柄じゃな」と。初めて姑に褒めてもらえました。


子供の守り神 三宅八幡宮

私に愛を教えてくれた長男

長男が生まれてからの日々はとても忙しくなりました。その忙しさは、喜びと感動と幸せに満ちたものでした。

ありがたいことに私は母乳がたくさん出ました。美味しそうに母乳を飲んでくれる長男。その様子を目を細めてみている元夫。

私は授乳が楽しくて、嬉しくて、寝ている長男を、「早く起きないかな?」と見ていました。

それからもすくすくと育ってくれた長男。

初めて寝返りを打った日のこと。
初めてハイハイをした日のこと。
初めて歩いた日のこと。
初めて言葉を話した日のこと。

そのすべての日のことを今でもはっきりと覚えています。

ちなみに、長男が初めて話した言葉は、「モー」。向かいのお宅がかっていた牛の啼き声でした(笑)。

私が一番感動した言葉は、「かあか」。どこかで一人で練習したのか、得意満面の顔で私のところに来て、「かあか」(お母さん)と呼んでくれたのです。私は、思わず長男を抱きしめて頬ずりしました。

誰が抱いても泣き止まない長男が、私が抱いたら泣き止んでくれる。そのことは、私に大きな自信を与えてくれました。自己受容感と自己肯定感を与えてくれました。

「私はここに存在していいのだ」と思うことができました。

そう、長男は「愛」を私に教えてくれました。愛すること、そして愛されることをです。そのことに深く感謝しています。


なにかになろうとしていた私

長男が2歳の時に次男も生まれました。次男の時もかなりの難産でした。

次男の存在に焼きもちをやいてか、次男の授乳の時に、長男は私のところに来て、私の脚や肩を嚙んでいました。

可愛い二人の息子たち。
優しい夫。
子供の時に両親が離婚して、持つことができなかった温かな家庭を私は持つことができました。本当に幸せでした。

その幸せで、その幸せだけで充分だったはずなのです。充分だったはずなのに、私は満たされない思いを抱いて児童英会話教室を開きました。26歳の時です。

私はなにかになろうとしていたのです。このままじゃいけない、と焦りを感じていました。

その事には姑との関係が大きく関わっていました。なかなか私を認めてくれない姑。きついこともずいぶん言われました。

「自分の居場所が欲しい」
そう思って、次男が生まれてすぐに、児童英会話教室を自宅で開いたのです。

すごくありがたいことに、たくさんの生徒さんが来てくださいました。とてもやりがいのある日々でした。元夫は私を支えて応援してくれました。

でもその教室を続けていくために、私は睡眠時間を削り、なにより息子たちと過ごす時間を削らなければなりませんでした。

その後、私は睡眠不足と過労とそして実家の悩み事からくるストレスから、統合失調症を発病してしまいました。34歳の時です。

なぜ、なにかになろうとしたのだろう?
なぜ、いまそこにある幸せに目を向けることができなかったのだろう?
いったい私はなにを追い求めていたのだろう?

といまでは思います。でもその時の私にはわかりませんでした。


人の痛みに心を寄せられる人達

いま、私は「心の安全基地づくり」の活動をしています。ありがたいことに応援してくれる仲間にも出逢って頑張っています。

5月には、「発達障害で『ぐちゃぐちゃな私』が最高に輝く方法」の著者の中村郁さんの講演会とシンガーソングライターの阿部ひろ江さんのライブのイベントを企画しています。

なぜお二人のイベントをしたいのか?
それはお二人が、才能あふれる素適な方だからということもあります。
それに加えて、お二人が、人の痛みに心を寄せることができる方達だからということが大きいのです。

郁さんもひろ江さんも、傷を負った経験があります。「私を分かってほしい」と思い、悩まれたことがあります。その傷ついた過去からくる優しさが、お二人にはあるのです。

私自身も「私を分かってほしい」という思いをずっと持っていました。自己受容することもできなかったのです。

あなたはあなたのままでいいんだよ。
あなたはあなたのままでじゅうぶん輝いているんだよ。
だから自信を持って生きていこうよ。

というメッセージをきっとお二人は届けてくださるはずです。

本当は、このお二人のイベントに、いま人生の困難に直面している長男に来て欲しいです。

長男だけでなく、いま生きづらさを抱えている人に、是非来ていただきたいです。


素敵なイベントになると思います😊

今日の京都は快晴。鴨川を歩こうと思っています。
夕方は大好きな友達のカフェ、LAUNDRY CAFE でに本後レッスンです。今日も私らしく一日を過ごせればいいと思います。

そう、なにかになろうとするのではなく、私は私のままで、私らしく。

最後まで読んで下さって、ありがとうございました。



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