統合失調症でも楽しく生きられるVol4

あいつはいつかのあなたかもしれない

私の好きな歌手に中村中さんがいます。歌詞がとてもいいのです。そんな中村中さんの歌に、「あいつはいつかのあなたもしれない」という曲があります。

「道路で寝ているあの酔っぱらいを
汚いモノを見るように観てたけど
どこか似ている顔した そこのおまえは
あいつを笑ってしまえるのか」

私たちが、見下したり、蔑んだりしている人たち。そんな人たちと自分が重ならないか?他人事ですませられるのか?と中村中さんは歌っています。

この歌に私は、ハッとさせられました。私も人を見下したり、蔑んだりしたことがあるからです。そして、見下したり蔑んだりした人と自分が重なることがあったからです。


精神障害者への差別・偏見・無理解

私は統合失調症です。18年前、34歳の時に発病しました。大好きだった児童英会話講師の仕事も辞めざるを得なくなり、離婚もして、家庭も失いました。元夫のところに残してきた息子たちに会えない淋しさから、オーバードラッグにより自殺未遂もしました。本当にどん底でした。

今は、私は、自分が統合失調症であるということを人に話すことができます。でも、ずいぶん長い間、自己開示できずにいました。病気に対する、差別・偏見・無理解が怖かったっからです。

精神疾患を抱えた妻の介護と仕事の両立に悩み続けた自身の日々を綴った、朝日新聞の記者の永田豊隆さんは、著書の「妻はサバイバー」の中で、こんなことを書いておられます。

「身体障害者にとっての障壁が例えば段差だとすると、精神障害にとっての障壁とは何だろう。
 それは社会の偏見であり、差別感情だと私は思う。段差と違って目に見えないが、強固だ」

「社会の無理解が当事者や家族に希望を失わせるのだ」

精神障害者に対する差別・偏見・無理解は、残念ながら確かにあると思います。それが怖くて、私達、精神疾患の当事者や家族は、病気を隠そうとしてしまうのです。隠そうとするから、わかってもらえない。わかってもらえないから、隠そうとする。悪循環です。

この悪循環を断ち切るためには、精神疾患の当事者や家族が、勇気を出して、声をあげることが大切なのではないでしょうか?


あなたかもしれない

「自分は、精神疾患には無関係だ」と思っている人もいるでしょう。でも、精神疾患は、誰が、いつなるかはわからない身近な病気です。けっして特別な病気ではないのです。

そして、あなたが愛する家族や身近な人が罹患することだってあり得るのです。そんな人に手を差し伸べられるのは、あなたかもしれないのです。

中村中さんの「あいつはいつかのあなたかもしれない」という歌の中に、こんな歌詞があります。

「あいつはいつかのわたしかもしれない
 あいつはいつかのおまえかもしれない
 あなたの助けを今も待っている
 あいつはいつかのあなたかも

 あいつはいつかのわたしかもしれない
 あいつはいつかのおまえかもしれない
 たった今 道を踏み外しそうなあいつを
 止めてやれるのはあなたかもしれない」

あなたの助けを待っている人がいるのです。支えを必要としている人がいるのです。「自分には関係のないこと」とシャットダウンするのはやめにしませんか?

苦しんでいる人を助けられるのは、あなたかもしれないのです。自分自身が苦しむことだってあるのです。

それでもまだ、「自分には関係のないこと」と言い切れますか?それより、手を差し伸べてみませんか?

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?