統合失調症の私が伝えたい5つの事Vol35

46 パート・茂との出逢い

私はパチンコをやめて、週に4日仕事に行った。仕事のない時は、宝ヶ池をウォーキングするようになった。節子の手伝いもして、煙草もやめた。順調だった。
 仕事は覚えるのに時間がかかったが、どうにかできていた。だが、私の仕事が遅いのをベテランのパートの人が気に入らなかった。彼女は、店長に文句を言った。だんだんと仕事に行きたくなくなってきた。それでも私は、頑張って、仕事に行った。
 そんなある日、宝ヶ池のウォ―キングからの帰り道、私は無性に煙草が吸いたくなった。多分、仕事のストレスからだった。ふと、私より20歳くらいの作業服を着た男性が、煙草を吸っているのが目に入った。私は思わず、その男性に、
「すみません、煙草を一本もらえませんか?」
と、声をかけた。その男性は煙草を一本くれた。そして、
「家、どこや?近くまで送って行ってあげるわ」
と、彼の車を指さした。どうしようかと思ったが、私は、素直にその男性の車に乗った。
太田茂、とその男性は名乗った。家の近くのコンビニで停まってもらうと、私は助手席から降りようとしたら、
「携帯の番号を教えてくれへんか?」
と、茂は言った。私は、ちょっと躊躇ったが、教えた。 
「また、会おうや」
と、別れ際に笑顔を向けて、茂は言った。
 次の日は仕事だった。相変わらず、品出しに時間がかかる私は、ベテランのパートの女性や、店長に注意された。落ち込んでいた私は、気分転換がしたくなった。そして、茂に電話をかけた。茂は、パート先の近くまで車で迎えに来てくれた。この間の作業服姿とは違い、スーツ姿だった。
「飯食ってないんやろう?」
と聞き、私が頷くと、北山のロイヤルホストに連れて行ってくれた。
そこで私たちは、色々なことを話した。私は、離婚の事、子供たちと会えていないことなどを話した。茂も自分の事を話した。北海道から出てきて、京都の建設会社に就職したこと。今はその仕事を退職して、パートで週3日、小さな工務店で働いていること。知的障害者だった奥さんが、癌でなくなったこと、今は八瀬のワンルームマンションで、一人で暮らしていることなどを話してくれた。少しは気が紛れた。また会う約束をして、私は、茂に家の近くまで送ってもらった。
 それからは、パートやクリニックに行かない日は、茂に会った。茂は、ご飯やお茶をご馳走してくれたり、ドライブに連れて行ってくれた。二人で鞍馬温泉にも行った。
歳も違うし、好意を持っているわけではなかったが、家で節子と二人でいるよりは、茂といる方が楽しかった。出かけてばかりの私に、節子はとても不機嫌になった。
 そんなある日、いつものようにドライブに行った時、茂は車を人通りの少ない道に停めて、私にキスをしてきた。そんな気がまるでない私は、
「やめて! 家に帰る!」
と、私は声を荒げた。茂は詫びて、いつもの節子の家の近くのコンビニまで送ってくれた。
 私が茂と二人で車の中にいると、車の窓を誰かがノックした。見ると恭二だった。
「葉月、お前、ここで何しとるねん?この人誰や?」
気まずさで、私はうつむいてしまった。私は、茂の車を降りて、恭二の車で、節子の家へと帰った。
「葉月が、どこの馬の骨かわからん男の車に乗っとったぞ!」
節子の顔を見るなり、恭二は言った。
「男の人の車にやて!」
節子は、怒った。
「ふしだらな!もう出て行き!」
節子は、さらに怒って言った。中学校を卒業してすぐ公務員になった節子は、一度も結婚していない。それどころか、男性と付き合ったこともなかった。私の軽率な行動が我慢できなかったのだ。
「出て行き!」
節子は、声を荒げた。
  出て行けるものなら、出て行きたかった。でも住むところもないし、茂のところに行くのも嫌だった。私は押し黙り、そして、
「ごめんなさい」
と謝った。
「今度、その男に会ったら、本当に出て行ってもらうからな」
と。節子は言った。私は、節子と恭二に、もう茂とは会わないということを約束した。そして、茂に電話して、
「もう会えないから」
と、いうことを伝えた。
「どういうことや?あんたに一体、あんたにいくら金を遣ったと、思っとるねん!」
と、電話口で、茂は怒鳴った。家を知られているので、少し怖かった。二日後、茂から郵便が届いた。中には、「請求書」と書かれた伝票が入っていた。金額は20万円だった。
ただでさえ、仕事の覚えが悪くて、時間がかかるのに、プライベートがそんな風に、ガタついていては、仕事ができるはずがない。私はミスを連発してしまった、当然注意された。注意されるのが、鬱陶しくて、私は、仕事を無断欠勤してしまった。無断欠勤した私は、翌日、私の働くスーパーの近くに住む、中学・高校時代の先輩の冴子に会った。冴子は、
「職場に、謝りに行こう。ついて行ってあげるから」
と、言ってくれた。そして、職場に同行してくれ、謝ってくれた。でも、店長は、
「申し訳ないけど、うちでは雇えない」
と言った。また無職になってしまった。


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