統合失調症の私が伝えたい5つの事Vol56

74統合失調症患者を家族に持つAさん

私のカウンセラーでもあり、大切な友人でもある妙さんを通じて、私は、統合失調症の患者を家族に持つ、Aさんと知り合った。そんなAさんに、統合失調症の患者の家族としての想いを聞いた。

Q.家族が、統合失調症と気づいたのはいつか?何か困った事はあったか?
 
 小さい頃は、父と姉が、統合失調症患者であるということは全く知らなかった。自分自身が大学で、福祉を学び、精神保健福祉士の勉強を始めた時に、
「あれ?もしかして、お父さんと、お姉ちゃんは、統合失調症なのじゃないかな?」
と思った。
 困ったことというのでは、小さい頃に、親せきから偏見のある言葉を言われたり、態度を取られたりして、辛い思いをしたことがあった。

Q.ほかに何か、困ったことはあったか?

父が、病識がなくて、薬を飲まなくなってしまうことがよくあった。そんな時、父は暴れたので、大変だったし、困った。

Q.家族として、どう支えたか ?
 
母が中心に支えていた。私は、大学生くらいにいなってから、父や姉の通院に付き添ったりした。

Q.社会に望むことはあるか?

統合失調症は、誰でもがなり得る病気で、特別な病気ではないのだという認識をまず持って欲しい。統合失調症が、特別な病気でも、怖い病気でもないのだという考えが、もっと広まれば、統合失調症を取り巻く社会が、変わっていくと思う。

Q.自分は、統合失調症患者にどう関わっていきたいか?

 病気があるからと言って、特別視せずに、普通に接していきたい。

Q.最後に何か伝えたいことはあるか?

繰り返しになるが、統合失調症は、特別な病気じゃないということを伝えたい。メディアなどが、いたずらに統合失調症への偏見を煽っている今の状態が変わっていけばいいと思う。

 統合失調症の患者を家族に持つ人もみな、葛藤と苦悩を抱えている。その葛藤と苦悩を話せる場を見つけるのは、とても難しい。社会の無理解による、新たな苦悩もある。家族として、統合失調症に関わってきた立場のAさんの貴重な意見を聞くことができた。Aさんに感謝したい。

75 統合失調症の息子を持つ由美子さん

次に、統合失調症の30代の息子を持つ、由美子さんの話を紹介したい。由美子さんは
「らしく」を紹介して下さったり、妙さんを紹介して下さったりと、私を色々と支えてくれた人だ。
 
由美子さんと知り合ったきっかけは、彼女の長男の学君が、「こころの健康増進センターに通っていたことだった。最初は学君と私が友達になったのだが、いつからか、由美子さんとも仲良くさせてもらっている。私の大切な友達の一人だ。

Q,どんな症状が出たのか?

学は、「大学を中退して、公務員試験を受ける」と、睡眠時間も削って、猛勉強していた。ある日、突然意味の分からないことをぶつぶつ言ったり、攻撃的な内容の幻聴が聞こたりすると言い始めた。それで、様子がおかしいと思った。

Q,どう対処したか?
 
まさか、統合失調症を発症しているとは思わずに、カウンセリングに連れて行った。幻聴などが苦しかったのか、学本人が、「精神科に行きたい」と訴えたために、ウエノ診療所に連れて行った。そこで、統合失調症を発症していることを告げられた

Q,統合失調症という診断名を聞いて、どう思ったか?

娘も、次男も、不登校になったりして苦労していたが、長男の学は、何も問題がなかったので、すごくショックだった。統合失調については、当時はよく知らなかったが、自分の息子が、精神疾患になったということが、ショックだった。

Q,その後の経緯を簡単に教えてもらえないか?
 
ウエノ診療所に通院していたのだが、ある日の早朝に学が、自殺しようとして、二階から飛び降りた。救急に電話して、救急でも入院できて、精神科もある第一日赤病院を教えてもらった。ただ、救急車を呼ぶのには、抵抗があった。
検査すると、脊髄が折れていた。入院して、治療することになった。統合失調症も、併せて治療した。2か月ほど入院して治療して、退院した。
「命があってよかった」としみじみと思った。

その後も、第一日赤に通院していたのだが、ウエノ診療所に通院するようになった。そして、「こころの健康増進センター」にも、通うようになった。
 
安定してきたと思っていたのだが、薬を飲むのを嫌がるようになった。私や夫に、攻撃的なことを言うようになり、態度をとるようになった。ウエノ診療所に相談して、洛南病院に入院させることになった。洛南病院の閉鎖病棟に、入院した。
 
入院して、わりと早く落ち着きを取り戻した。入院期間は、2か月弱だったと思うが、退院して、自宅に戻った。
 落ち着いたと思っていたのだが、しばらくして、私に攻撃的なことを言うようになった。
「出て行け!」
と、言い、私の服を持って、玄関に引きずり出そうとした。また、夫の首を絞めようとした。私も、夫も、命の危険を感じて、
(とりあえず、自分たちの身を守らなくては)
と、思った。

学が警察に行き、警察から連絡があった。入院の準備をして、警察に行き、警察から洛南病院に連れて行った。パトカーが、私たちの車の後ろを走ってくれた。こうして、洛南病院に再び入院した。閉鎖病棟だった。
 
担当医が、
「前回は、退院が早すぎたのかもしれません。今回は慎重にいきましょう」
と、医師は言い、学は、閉鎖病棟に二か月くらいいて、開放病棟に一か月くらいいて、退院した。
 
退院するためには、自宅に戻る、外泊を重ねなければいけないのだが、夫が、学が帰ってくることをとても怖がった。それで、ウエノ診療所のスタッフさんに相談して、ウエノ診療所のショートステイを外泊時に利用させてもらった。
 
将来一人暮らしをして、自立して暮らしていくためにということで、退院後は、ウエノ診療所のグループホームに入居した。

Q,今の息子さんの状態は?

グループホームで慣らしてから、マンションを借りて、一人暮らしをしている。障害者年金と生活保護を受給している。状態は安定していて、作業所にも通っている。
 「薬をきちんと飲む」
と言ってくれているので、ほっとしている。

Q,統合失調症患者を家族に持つ者として、知りたいことは?

 
ウエノ診療所が開いてくれる家族会や、勉強会などで、色々と学ぶことができた。もっと学ぶ場についてなどの情報あればいいと思う。統合失調症に対しての家族の理解が、とても大切だと思うからだ。特に、患者が一人暮らしをすることをサポートする情報などが、知りたいと思う。
 
Q,今後どう関わっていきたいか?
 
統合失調症患者だからといって、特別に扱うのではなく。「ダメなものはダメ」「おかしいものは、おかしい」と、きちんと言いたいし、普通に接したい。また、家族会や、勉強会に参加して、統合失調症に対する理解を深めたい。

Q,精神医療に望むものは?

オープンダイアローグによる治療が、もっと広まればいいと思う。薬に頼らなくても、治療できる人が増えていってほしいと思う。

Q,社会に望むものは?

統合失調症に対する理解を皆が深めて欲しい。統合失調症=犯罪を引き起こす人という偏見があるので何とかしたい。

Q,他に何か言いたいことがあるか?

家族の人に言いたいのだが、一人で抱え込まずに、相談できるところなどをどんどん利用してほしい。抱え込むのは、絶対によくない。
私自身が、カウンセリングを受けたりして、「自分自身の育て直し」をしている。また、自分のために使う時間も大切にしてほしい。私の場合、花を育てることや、時々、コンサートに行ったり、お芝居を見に行ったりすることなどである。
 そして、私は、60代になってから、訪問ヘルパーとして働き始めて、社会と関わるようになった。そんな私の姿から、何かを得たり、感じてもらえたりすれば、とても嬉しい。
 
私の知る学君は、とても温厚で、このようなことがあったのが、信じられなかった。由美子さんが言っているように、相談できるところや頼れるところは、どんどん利用するべきだと思う。そのための情報などを病院や自治体が、もっと発信してほしいと思う。
 そして、由美子さんが言うように、自分自身の時間も大切にすることが、とても大切だと思う。
 
深く、そして真剣に、統合失調症患者である息子に関わってきたからこその、貴重な話を由美子さんから聞くことができた。心から感謝したい。

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