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血がつながっていないけど、兄妹と認定している子がいる(相互)。

家族とは?

これ、こういうこと言って、実は……という話はよくある話なんだけど、私の場合、マジで「妹」と思っている子がいる。しかも、互いにだ。向こうは「兄」と思ってくれている。性的なものは、微塵も感じていない。しかも、連絡先が分からなくなってしまっている子さえいる。つまり、複数だということだ。

でも、考えてみて欲しい。そもそも、家族というものだって、夫婦だって、血は繋がっていない。それでいて、戸籍というものがあり、「夫婦」となることで、家族となる。なんだかなあ、とホントは思っている。家族って、そういうものじゃないだろうと思うのだ。心とこころがつながっていれば、それはもう家族だろうと、私は高校生の頃からずっと思っている。

でも、それは、逆説的に言えば、実際に血がつながっている家族と、心がつながっている感じがしないということに由来する。

私には兄がいる。あと、実家には父がひとりで生活している。母は、十数年前、もうとうの昔にガンで亡くなっている。兄は東京、父は実家の静岡にいる。戸籍とかで考えれば、兄も結婚していて、義理のお姉さんもいるわけだが、良く知らない。実際に、びっくりするくらい、知らないのだ。

彼女は、昔、兄と同じ会社で働いていた人で、今は経堂でエステサロンを経営していると聞いている。それくらいだ。あと、一度だけ、2時間くらいだろうか、実家でたまたま会って食事をしながら話したことがあるくらいだ。連絡先も知らない。実際に、街ですれ違ったとしても、絶対に気が付かない自信がある。お互いに、だ。

しかも、私と兄は、そもそも顔が全く似ていない。生まれてこの方、似ていると言われたのは一度だけだ。「どこが?」とこちらから聞いてしまったほど、似ていないのだ。ここまで似ていないと、本当に兄弟かと思うほどだが、実は、従妹姉妹と、私たち兄弟は、男と女という違いはあれど、非常に似ている(笑)まるで、兄妹を取り違えたのではないかと思えるほどだ。だから、遺伝子自体はちゃんと受け継がれて生まれてきているわけだが、圧倒的に母方の遺伝子が優勢遺伝子として働いていて、父方の遺伝子は影をひそめてしまっている。つまり、兄も私も顔の造りにおいては母方の遺伝子が発現しているわけだが、互いに全く似ても似つかないという不思議な現象が発生しているのだ。

さて、話が大分逸れてしまったが、そのくらい私と兄は遺伝子レベルではちゃんとつながっているのに、びっくりするくらい、似ていない。果てしなく、他人顔なのである。性格的には酷似する部分はあると思うが、顔は、これでもかというくらい似ていないので、義理の姉と会っても、互いに気が付くことは、まずない。でも、戸籍上は家族であるということだ。

これでも家族であるのならば、たとえ遠方に住んでいても、一年に一度会うか会わないかであったとしても、たとえもう今世で二度と会うことはないとしても、「こころがつながっている」のであれば、私はそれは「家族」であると思っているのだ。そういう意味で、東京にひとり、埼玉にひとり、千葉にひとり、広島にひとり、妹がいる。実際にタイムリーに連絡をとったり、SNSでつながったりしているのはひとりだけ。千葉に住むひとりだけだ。

この「妹」の感覚を、以前家内に話してみたことがあるが、全くその感覚はわからないと言われてしまったので、もう二度と話すまいと心に決めている。どうせ話したって、理解してくれるわけがないのだ。家内は家族だけど、妹みたいな感覚でつながっているのではない。彼女は何もかも特別であった。

距離は離れている状態での、肉体的シンクロ現象

これは、まだ彼女(家内)と付き合う前の話だ。私は彼女とは月に一度くらいだったろうか、会ってお酒を飲みながら話をするという仲にはなっていた。私が当時勤めていた会社の同じグループ会社だったこともあり、以前から顔見知りではあったのだが、私が会社を辞める段になって、初めて連絡先を伝え、会うようになった。

それは12月の末の出来事だったらしい。私は当時無職(私は身体を壊して会社を辞めた)で、ひとりアパートの炬燵の中でヌクヌクしていた。寒いなと思いつつ、何をしていたかなど、詳細は覚えていないのだが、手が凍るように冷たく、炬燵の中に手を入れていても、どうしても温まらない。これは何かおかしい!としばらくして気が付いた。そしてこれはまた私の特殊な「感覚」なのだが、このおかしいのは、私の身体ではないという確信があった。

それでは、誰の身体がおかしいのか、誰の手先が氷のように冷たくなってしまっているのか、ということになるが、それは間違いなく「彼女」であるという確信があった。それで、彼女がまだ勤務時間中であるということを知りつつ、彼女の携帯に電話を掛けた。普段、私は常識的な行動をするタイプなので、相手が勤務中だとわかっていて電話をこちらからかけたりはしない。でも、今回は特別だ。彼女の身に何か起こったに違いない。私のこの手の冷たさは異常だ。緊急事態である。慌てていた。

でも、彼女は平然と電話に出て、「どうしたの?」と聞いてくる。こちらは「いやっ、どうしたのじゃない?大丈夫か?」と聞く。話が噛み合わない。それで、かくかくしかじか、手が冷たいんだ、こうなんだと説明をしたら「あぁ、そういうことね」と彼女の方で合点がいったらしい。どういうことかというと、その日、会社の年末の大掃除で、彼女は雑巾がけを担当していたのだが、シンク下にある貯め置き式の湯沸かし器が、その限界値を超えてしまって、お湯の蛇口をひねっても水が温まらず、しばらく待ってもお湯にならなくなるという現象が起きていたらしい。つまり、お湯の蛇口をひねっても、水道管からは真冬の冷水が出てくるばかりの状態になってしまって、仕方なくその冷たい水で雑巾を洗って掃除をしていたので、手が冷たく冷え切ってしまった、というオチであった。

私が彼女のことを「特別」だと感じたのは、これである。このように、時空を越えて誰かと強制的につながってしまう感覚は、普通ではない。今まで他の人とではありえない現象であった。これが、後に彼女と結婚しようと思った出来事のひとつである。

時空を越えてつながっているという感覚

時空を越えているというのは、距離は一切関係ないということであり、逆に、通常のコミュニケーションにおいては、その「声」が届く範囲が、コミュニケーションの適用範囲となる。つまり、声が届く範囲でないと、当たり前のことだが、普通にはコミュニケーションはできない。相手のことを知るなど、通常ではありえない感覚である。

でも、私のような能力を持つ者や、ヒーラー、霊能者などは、時空を越えて第三者と接触を図ることができる、とされている。当然、こういう輩には、「自称」ヒーラーとかいう人が一定数いるのは自明の理で、それはそれで仕方ないと、私は思っている。どこにもその手合いはいるものだ。そういう人たちは、まあ、ありきたりの話しかしない。もしくは、あり得ない話しか、しない、というか、できない。そういうものだ。そもそも能力自体持ち合わせていないのだから、はったりをかますか、ごまかすかの二択しかないのだ。

まあ、ここではそういう人たちを批判したいとかそういうことでもないので、今は話の流れ上、スルーさせていただくが、私のような能力を持っている人もいるということだけは、ご理解いただきたい。その上で、話を進めていきたいと思う。

私は私の能力を人に理解してもらうのに、一番近い概念は、機動戦士ガンダムにおける「ニュータイプ」の概念なので、アニメ上表現されていることで説明したりもするのだが、ガンダムでは、相手をまだ見ていないのに、時には、距離的には数十キロか、数百キロ離れたところにいる人を「知覚」するといった表現がなされている場面がある。正直言って、あれは本当に凄いと思っている。私の感覚では、特定の人を集中して、かつ継続的にその人を感じているのであれば、数十キロくらいは感じることができる。ただし、私自身がその人を「感じていたい場合」のみ、それは可能だ。それも、せいぜい十数キロくらいだ。それ以上は無理だった。

さて、話はずいぶん当初の話からずれてしまったように感じているかもしれないが、要するに、遠く離れた妹のことを「感じている」かと問われれば、答えはNOだということだ。そこまでの能力は、残念ながら、ない。それに、妹なのだから、私的には、元気でいてくれるのであるのなら、なんでもいいと思っている。だから、連絡先がわからなくなってしまったとしても、構わないのだ。さらにいえば、たとえ私の知らないうちに死んでしまったとしても、それはそれで仕方がないと思っている。またあの世で会えればいいのかな、と思えるからだ。ただ、兄なのだから、何かあれば、できる限りのことはしてあげたいと思っている。それだけだ。それに、もし死んだとしたら、「お知らせ」くらいはくれるかな、と思っているから、それで十分だと思っている。

母が亡くなった時のお知らせ

そう、私の母が亡くなった時、そのお知らせを受け取ったのだが、それが実は、母が知らせてくれたのではない。母の妹、つまり叔母である。叔母は、母より数年前に亡くなっていた。その彼女が、私の元へやってきたのだ。母は当時ガンで入院していて、もう先は短い人生であることは、明白であった。その覚悟は当時すでにできていた。母の容態を確認しに実家の方にある病院へ行き、一時的に東京へ戻ってきて、当時の彼女(今の家内)と外で食事をしようということで、居酒屋だったと思うが、店へ入ってすぐ、そのお知らせはやってきた。唐突に、叔母がやってきたのだ。その感覚は、まさに叔母だった。なぜか、母ではなかった。もし、お知らせが来るのだとしたら、母が直接来るものだと思っていたから、それはとても意外だったことを覚えている。

それで、彼女に、「ごめん、どうやら母がなくなったらしい」「連絡が来るかもしれないから、帰る」と言って、店を出ることにした。彼女は私の能力のことを理解してくれているので、特にそれで揉めることもなく、店を後にした。そして、しばらくして(確か、1時間もかからなかったと思う)父から母が亡くなったと、連絡があったのである。

私の能力を言葉にすると?

さて、私のこの能力、言葉にすると、なんと表現したらいいのかと考えていたが、時空を越えた「共感能力」と表現するのが、最も理解してもらいやすいと思っている。ガンダムにおいても、ニュータイプとは「人と人がわかりあえる能力」と定義していて、そのようにアニメの中でも表現されている。

現代において、人と人が分かりあえるということは、とても現実的ではない。むしろ逆で、人と人はそもそもわかりあえないものであると表現した方が、共感してもらいやすいと思っている。まあ、世の中そんなものだから、それはそれで仕方ないと思っている。

ちなみに、ガンダムの世界観の中で兄妹というものが表現されているもののひとつに、ガンダムZZ(ダブルゼータ)がある。ここでは、薬物療法と催眠療法により人為的に創り出した「ニュータイプ」としての強化人間に、主人公ジュドー・アーシタの「妹」であると認識させることにより、より深い結びつきを感じさせ、接触させるという、非人道的手法を用いている。しかし、ニュータイプと強化人間の持つ「共感能力」がその結びつきを更に強化させるが、敵と味方という構図により、最終的に悲劇を生んでしまうという結末を迎えてしまう。

そのくらい、「兄妹」という結びつきは大きいと、私は思っている。性的なものも、戸籍的なものもなければなおさら、ある意味精神的な結びつきのみなので、純粋ともいえる。そこには、壁らしい壁がないということだ。この感覚は、誰かに理解してもらえるとも思っていないので、今まで誰にも話したことはなかった。今回文字にしてみて、やっぱり理解してもらえないよなあと、改めて思う。

さて、数年前に唐突にメールをしてきて、その後少し電話で話をした妹は、今どうしているだろうか?妹たちの中で、彼女のことが一番心配だ。そのときは、旦那の愚痴ばかりだったが、体調を崩してしばらく入院もしていたという。でも、病状に関しては、言いたくないというから、そのときは聞かないでおいたが、今はもう元気になっているだろうか?元気になっていてくれることを、切に願う。

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