好きなものくらい好きに「好き」と言わせてくれ。
好きだ。めちゃくちゃ好きだ。
しかし、恋でもないし、好意ではあるけど、
そういうのじゃない。好きです、かすたどん。
どうもハヂメだす。
最近、ちょこっと考える機会があったので
せっかくなので文字に起こして、考えてみる。
「好き」が言いにくい世の中
「好き」とか「嫌い」とか、
そういった一種の価値観、受け取り方って
当たり前のことだけど、人それぞれだ。
例えば、僕は野菜や果物が得意でない。
でも、逆にそっちの方がむしろ好きで、
逆にお肉なんかがダメな人もいる。
お互いを尊重しあえるならいいのだけど、
どこかで「自分の好き」を押し通したいというわがままが人間にはあると思うので、それが抑えきれない場合は、相手の価値観を否定することにも繋がりかねないと思う。
別に否定や批判しない場合でも、「嫌い!」という人がいっぱい集まると集団心理なのか、「否定」が生まれやすいシチュエーションも出てくるし、逆にこちらとしても「好き」も言えなくなる。
好きとか嫌いとかって、わりと個人単位の原初的な感情だと思うので、(言う言わないは別として)尊重すべき感情だと思うのだ。もちろん社会的にOUTだったり、倫理的にNGなものに関しては、どうしようもない部分は孕んでいるのだけども。
SNS なんかは特に、非対面型のコミュニケーションとその便利なシステムのおかげ(?)で個々人の感情を繋げやすい「場」だ。
一方への「好き」がある場合、やもすれば一方への「嫌い」が存在する可能性があるわけで、SNSのように非対面型なら尚更に殊更に誤解も生まれたり、相手の気持ちを読み取りきれないこともある。
なので「言葉狩り」みたいに、そういうネットやリアルのコミュニケーションがエスカレートしてしまったら、どうにも「好き」が言いにくい世の中になってしまいそうな、そんな気がしている。
人の「好き」にマウンティングするのやめてくれ
それと、もうひとつ。
特に趣味とかにおいて、凄く感じるのだけど
「好き」と言うと、こちらの力量を試してくるように
「〇〇は知ってる?」とか
「これは△△ですよ」とか聞いてきて、
最終的にマウンティングしてくる人がたまにいる。
もちろん善意で教えてくれている人もいるのだけど、
「はい、ニワカ乙~wwww」みたいな思考の方も、世の中にはいらっしゃるようで、僕はそれがあまり得意ではない。
「肯定」だけのコミュニケーションが素晴らしいとも思わないし、ある程度のノイズとなりうる「否定」はあって然るべきだし、悪いことではないとは思うのだけれど、エスカレートしすぎるのも良くないと思う。
間違ったことや見識が狭いことを話したときに、それを正しい方向に優しく導くくらいならいいのだけど、そこでお説教が始まってしまうと、そりゃなんかもう気の毒ってもんだ。「言いたいことも言えないこんな世の中」になってしまう。マジでポイズンだ。
そもそも「好き」を分かち合う
コミュニケーションなんて
共感ありきで幸福前提でいいと思う。
A「〇〇好き!」
B「私も好き!」
A「ほんと!?うれしい~!!」
B「私も嬉しい!!」
こんなんでいいじゃんか。
もちろん、そこから腹の探り合いというか
「好き」の探り合いになるんだろうけど、
理想としてはこんなのがいい。
※最高なパターン
A「〇〇の△△は最高だよね!」
B「そうなの?まだ試してないや」
A「他にも□□もオススメだよ!」
B「そうなんだ、他にオススメある?」
A「私的には●●も好きだったよ!」
B「そうなんだ!試してみるね!」
超健全。
幸せで快適で素敵なコミュニケーション。
上から目線もなく、リスペクトし合えて、
丁寧なコミュニケーションは最高だと思う。
逆に、こういう否定的な
コミュニケーションはあまり望まない。
※アレなパターン
A「〇〇の△△は最高だよね!」
B「そうなの、まだ試してないや」
A「えーまだなの!?もったいない!」
B「ああ・・・勉強不足でごめんなさい」
A「〇〇の△△はマストだよ!」
A「それから□□と●●もオススメ!」
B「そうなんですね!ありがとうございます」
何がダメって、めっちゃ独り善がりだ。
そしてやんわり、「抑えてない」部分の否定を
間接的にではあるけど、されているのだ。
こんなんないわwwwww
って思う人もいるだろうけど、
Twitterとかで特にコアなモノに関しては
こういうやりとりの酷いverを、
めっちゃ見る。なんなんだよと。
もっというと「好き」じゃなくて
「愛」とかいう表現になると、
もうそれはもっと地獄のような手酷い世界が見れる。
つーかさぁ!!!!!!!!
「好き」って言うからには、
全部網羅してなきゃいけないのか?
と、言いたい。原初的な感情だから、ついつい野生を取り戻してる方なのかもしれないが、とにかく人の「好き」にマウンティングするのやめてくれ。
そりゃクソにわかが大口を叩くのを、嫌うのもわかる。僕だって、そういう「新参」・「古参」文化のあるインターネット村でしごかれてきたから、とってもわかる。でも、「好き」とか「愛」は貢献度でも信奉レベルでもなく、感情として受け止めてやって欲しい。そんなにストレスフルにインターネットは楽しむもんじゃないと思う。
というか、昔に比べて、シゴキ不足というか鍛錬が足りてないまま、インターネットに放流された稚魚たちも多くなってきているし、そのへんも変わってきてるイメージがある。まぁこのへんは別な話になるから置いておく。
とにかく。
人の「好き」にマウンティングするのやめてくれ。
「好き」って言えばいいと思う。
とか、そんなことを考えていると
ちょこっと「好き」ということを表現するのに躊躇してしまっている自分がいて、それはなんだか損をしているような気分に陥ったのだ。
ああ、好きって言いたい。
だから今から「好き」なだけ、
好きなものをぶっちゃける。
美味しい(と感じた)ものが「好き」だ。
面白いことが「好き」だ。
寝て過ごす休みも「好き」だ。
ネコが好きだ。
優しくしてくれる人が「好き」だ。
構ってくれる人も「好き」だ。
ウザ絡みするのも「好き」だ。
ヘンテコな生き方も「好き」だ。
その表現が「好き」だ。
その行為が「好き」だ。
煙草の煙に巻かれるのも「好き」だ。
性別関係なく、楽しい方は「好き」だ。
恋愛感情抜きに面白い人も「好き」だ。
笑顔が素敵な人も「好き」だ。
無理してる子も「好き」だ。
可愛い子も「好き」だ。
綺麗な人も「好き」だ。
ああ、これ終わんねぇな。
思った以上に「好き」なものが多かった。
たぶん、よほどなことがない限り、
僕は嫌いにならない人間なんだと思う。
「クソがwwww」とは思うけど、
そういうのも僕は好きだったりする。
だから、マシュマロは投げていく。
かと言って、恋愛感情抜きに
好意を持ってる女性に好き好き言うのは
ちょっとアレなんですけどね。
素直に「好き」って言って
それをどういう形であれ、
受け止めてもらえるような
そういう環境に生きていたい。
だから、「好き」って言えばいいと思うし、
「好き」って言われるような人になりたい。
もちろん、批判ご意見なんかもあるんだけど。
ちゃんと、それは受け止めるつもりだから、
とりあえずいったん、好きなだけ。
「好きなこと」を好きなように。
「好き」と言わせてくれ。
で、あなたの好きなものは何?
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