後悔している事

エホバの教えを信じて、自分自身が痛い目にあっただけなら私はこんなに苦しまない。

子どもにはこれから償いをしていこうとも思う。

しかし、今、謝りたくても謝れない人がいる。その人の事を思うと胸が掻きむしられる。

開拓奉仕を始めてから、研究生を持った。年は二十才上の年配の女性。私の訪問を受ける前に、以前住んでいた場所で教えを聞いたという。

雑誌を定期的に受け取り、愛読していたその人、岡田さん(仮名)は、私との研究に応じてくれた。

数回の研究で純粋に神を信じ、死後の状態についても納得して、集会に参加するようにもなった。

ご主人様の反対を受けながらも、動じる事なく、伝道者にもなる。私は岡田さんの霊的成長に喜びを隠せなかった。

研究生を持つことは、自分の承認欲求が満たされると同時に、信仰の主人にもなるという危険がある。

自分が司会者からされたように、研究生に対しても日常生活に口を出すようになるのだ。

岡田さんは血液の病気を抱えていて、定期的に検査や治療をしていた。

「もう少し長生きしたいなら、方法があると言われました」岡田さんは私にポツリと言う。しかし既に決意していたようで、輸血は受けないと医師に答えたと言った。私は馬鹿みたいにその信仰心を褒めた。馬鹿みたいに。馬鹿だ。

その頃、輸血に関して新たな調整が組織から与えられる。全血はダメだが分画ならいいと。ブログなどの情報で知ったが、統治体の誰かがその分画で命を長らえたという事から、全信者への命令が変わったらしい。

岡田さんにその事を伝えると、不思議がった。ショートケーキは食べてはいけない。けれど、イチゴや生クリームは食べていい。そう言われているようだと。

私は馬鹿なので、岡田さんが疑問に思うことすら意味が分からず、無視した。

後悔している。もっと、親身になって、本当のことを調べて、輸血に関する事を話し合えばよかったと思う。

岡田さんはまだバプテスマを受けていないので、組織からの援助もなく一人で医者に証言したらしい。そして、医者は岡田さんの決定を尊重してくれた。

岡田さんは純粋な方だった。証言する勇気を与えてくれた神に感謝していると、私にある物を取りに来るよう電話してきた。

渡された茶封筒には、帯が付いた札束が入っていた。倹約して貯めたお金を寄付して欲しいという事だった。

私は感謝の念に溢れる岡田さんの信仰心をほめて、そのお金を長老に渡した。

基本寄付は匿名である。しかし、岡田さんから受け取った100万円を誰かに見届けて欲しい自分がいた。私は、岡田さんの思いを組織に知って欲しかった。

「家を継いでくれない子どもに遺産相続させるより、組織のために、組織に寄付できるのは喜び」だという主旨の言葉も添えた。

長老たちは、遺書にその思いを書くことが出来ると、私の知らない所で岡田さんに告げたらしい。

後悔。後悔。私のせいで岡田さんは最期まで苦しんだ。現実問題、信者ではない家族と組織の狭間で苦しみ、苦しみ、苦しみ……亡くなった。

輸血を拒否したことは本人の意思だったかもしれない。けれど、私が研究しなければ、岡田さんはまだ生きていられたのかもしれない。

大事なお金をお孫さんのために使うことができたのかもしれない。

最期に会った日、岡田さんは私に言った。

「姉妹、楽園で会いましょう」と。

私はその時、岡田さんの信仰の言葉に号泣した。

今は後悔の泪と自分を呪う涙と、組織への怒りの涙で枕を濡らす。



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