携行する衣・食・住
アウトドアは、衣・食・住をまとめて持ち歩く遊びなんだという気づき。その記録。
仕事上、キャンプやトレッキングに触れる機会があって、小学生の頃から眠っていた外遊びの気持ちが熱を帯びだした。近所の友達と少ないお小遣いの中からお金を持ち寄って、スーパーでお肉を買う。適当な枝で焚き火をして、直火でお肉を焼く。(今では怒られるし、当時も時々怒られた)
直火焼肉なんて粗野な遊びとアウトドアを一緒くたにしてはそれこそ怒られそうだが、きっとアウトドアを求める人間は、誰しも少年時代の原体験と繋がりがあるのは間違いないだろう。
例に漏れず僕も、その熱量を検索エンジンにそそぎ込んでみたのだ。
『「(キャンプ初心者におすすめのアイテム5選!)」』
みたいな記事を見あさっていた。
「キャンプ 初心者」「キャンプ 最低限」
いろんなワードでGoogle先生に相談していると、いろんな記事で似たようなモノが必要だということがわかる。
テント、寝袋、ランタン、椅子、バーナー、それからリュック……。
さらに何度かアウトドアを経験した知り合いに聞いてみると、寝袋の下にしくマットや、軽量で折り畳める食器、果ては洗剤なんかも教えてくれる。どれも彼らの経験に即した体験談を聞くと必要に思える。
なるほど、お金のかかる趣味なのも頷ける、なんてひとりごちしたものだ。変なところで腑に落ちているが、僕の微熱はいまだに答えにたどりついていない。
そうこうしているうち、アウトドア系イベントのフライヤーを見てハッとした。雑誌風のイラストで描かれたそのチラシには、やっぱりランタンやテント、チェア、リュック、シューズが並んでいる。
ーーーこれってほぼ家なんじゃないか?
背中にちっちゃい家、背負ってんのかい!
考えてもみてほしい。
山に行くんだ!なんて息巻いておいて、背中にちっちゃい家財道具一式を背負って出かけていく。
生活に必要なものなんだからこそ「必要なもの」なんだけど、よく考えたら逆説的すぎる。水も電気もWi-Fiも通った家にいながら、第二の生活空間、擬似的な非日常を求めている。やってることは、スローライフに憧れてどうぶつの森を手に入れるのと似たようなものだ。
電車に乗り、ビルを抜け、オフィスへ吸い込まれる。そんな日常の中では味わえない、非日常な体験を求めて自然へと向かうんだ。『ありのままの状態』である“自然”の中に、日常にはないものを求めている。
かくいう僕も、非日常を求めて自然へと向かっていた。
生活を切り出して、新しい暮らしを手に入れる
僕は自分の分野とか興味関心を、「暮らし」として表している。おしゃれ着を脱いでしまえば、要するにインドアな生活だ。
ここへたどり着くまでの間、メディアでのお仕事やらテーラーさんとのコンテンツ制作やら、職業柄そういう役回りをもらってきたこともある。ただ、僕は元々家が好きなインドア人間なので、職業欄とは別にそのまま「暮らし」を名乗っているのだ。
家を起点として暮らしは成り立つし、暮らしは衣・食・住を核として成り立っている。そう考えると、インドア人間が一足飛びでアウトドアに関心を持つのは不自然なことでもない。自分の気に入った暮らしぶりを切り出して、ロケーションやシチュエーションの中で楽しむ。その人にとって新しい暮らしぶりを体験できるわけだ。
暮らしと外遊びは、「携行する衣・食・住」という形で演繹される。
要は枠にかかわらず、衣・食・住なんて好きにしていいんだ。
肩の荷が降りたところで、お腹が空いてきた。今は築数十年の自宅でパスタを茹でるしかないが、頭の上には雄大な自然が広がっている。ああ、大人になった直火焼肉はどんな姿に成長しているんだろうか。
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ちなみに「キャンプ 初心者」「キャンプ 最低限」の答えは見つかっていない。
都市にありながら安全地帯で生活を送っている僕には、『「(キャンプ初心者におすすめのアイテム5選!)」』から得られる情報から、その良さや必要性がいまいち得られなかった。これが送り手の程度の問題なのか、受け手の必要性の問題なのかは定かではないが、一連の営みの中では鋭く勢いのあるものを受けられなかったんだ。刺さっていない、というやつ。
来月、友人たちと寒空の中で敢行する公園バーベキュー(怒られないやつ)は、そこに何かを投げ込んでくれるかもしれない。
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