見出し画像

何が女性インフルエンサーの登場を困難にしているのか?

若者世代を代表する4人のインフルエンサーが各々、格差問題の解決方法をプレゼンするという内容の番組を視聴した。
この4人のうち、起業家の平原依文のプレゼンを聞いたとき、私は女性がインフルエンサーとして世間に物申すことの困難を目の当たりにした。

平原の主張はYoutubeの概要欄にも書かれているので、それをそのまま引用しよう。

私には夢があって、それは社会にある色んな境界線を溶かしていくことです。そのなかでも最も溶かさなきゃいけない境界線は『学歴の境界線』だと考えています。

正直、今の日本は、学歴を重要視し過ぎだと思います。いい大学を卒業して、いい企業に入社する、それが高収入につながって、それが成功として捉えられる。これが果たして本当に当たり前なのでしょうか。
そのレールに乗れない、または落ちてしまうと、失敗として捉えられ、結果として収入が下がってしまっているというのが今のスタンダードだと思います。

つまり、この学歴社会こそが経済格差の原因であると思います。だからこそ、人を評価する判断基準は学歴ではなく、その人個人が持つ唯一無二の経験。いつからでも、自分の頑張り次第で結果も生み出せて、収入格差がなくなると思います。
そのためにまず、企業が変わる必要があります。企業が学歴を重要視する前に、まずその人個人の経験を重視する社会に変化する必要があります。
ここでもしかしたら「きれいごとを言っているのではないか」みたいなところがあると思いますが、実は企業も動いています。

ユニリーバ・ジャパンは実際に、履歴書から性別や顔写真をなくして、就活に公平性を与えました。これは外資系のユニリーバ・ジャパンだけではなく、日本企業も賛同しています。
「そもそも、これなんであるの?」そんな問いから始まって「それが公平性をなくしてしまっているのではないか」というところで変革を起こしてきました。
これからの企業に必要なのは、学歴ではなく、コロナで私たち一人ひとりが経験したように、誰も予想がつかないことは、たくさんあると思います。ですので、学歴なしで柔軟な思考力、そして生存力を、本当に持っている人材が必要だと思います。

私たち一人ひとりが、誇りを持って語れる人間らしい経験こそが、これからの成長につながる重要なカギであり、そのためにも今の学歴中心の履歴書から経験中心の履歴書に変える必要があると思います。

「きれいごと」であることは本人も認めているが、実は単なるきれいごとよりもさらにタチが悪い。学歴よりも経験を重視するようになれば、社会の不公平さは高まるからだ。
番組内で若新が平原に対して指摘しているように、経験はカネで買えるが、努力はカネで買えないのである。
すでにアメリカでは子女を名門大学に入学させるため、親による過酷な課金競争が行われている。以下はスタンフォードMBAに在学している方のツイートの引用である。

親が子供にいくらカネをかけようが、努力は本人がするしかない。しかし、経験の豊かさは親の経済力に依存する。しかも、子供への投資額に上限は設けられていない。
そのため、もし暗記作業などの泥臭い努力よりも経験を重視する社会になれば、名門大学に子供を入学させるための海外留学や、受験カウンセラー等への課金競争は際限なく激化するだろう。そして、競争が激化すると不正が横行するようになる。実際に、アメリカではこのような競争激化を背景に名門大学の裏口入学が社会問題化しており、Netflixではこの問題をテーマにしたドキュメンタリーも制作されている(『バーシティ・ブルース作戦:裏口入学スキャンダル』)。


若新の指摘に対して平原は、「カネで買える経験とカネで買えない経験がある」と反論し、例として子供の育児経験を挙げているが、これまで述べてきたような親の課金競争による受験の過酷化、そして親の経済格差がそのまま受験の不公平化に直結するといった問題を完全に無視した発言だろう。

単に平原がこういった現実を知らないのであれば話はわかる。しかし、彼女のTwitterの自己紹介欄には「8歳で単身4カ国留学」とあり、むしろ誰よりもこういった現実を知っているのではないか、という疑問が浮かぶ。

そもそも、平原の経営する会社自体が「SDGs教育」を事業としているのである。もしこの会社でSDGs教育を受ければ、「学歴よりも経験で評価する社会」ではとても有利な(=履歴書に書ける)経験になりそうだ。
そういった社会になれば、彼女の会社は繁盛することになる。だとすると、自社に有利な方向に社会を誘導するための宣伝としてこのような提言をしていた可能性がある。つまり、確信犯だったということだ。

しかし、自社の宣伝が確信犯的であったとしても、平原が「きれいごと」にこだわるのは「ベタ」にやっているはずである。彼女の会社が、数ある事業の中でもあえてSDGsという「きれいごと」を事業として選んだのはなぜか。それは、平原自身が「きれいごと」が好きだからではないのか。だとすると、なぜ「きれいごと」が好きなのか。

私はここに、女性、とりわけ「若いくて容姿の良い」女性がインフルエンサーになることの困難があると考えている。

平原依文はメディアでは「美人起業家」として紹介される。たとえ容姿の関係ない仕事であったとしても、女が表舞台に立つための第一関門として容姿が優れているかどうかのセレクションがある。
単に特定の分野の専門家としてメディアに出演するのであれば容姿は関係ない。しかし、インフルエンサーとして世間に物申すなら、女であれば容姿が優れている必要がある。この第一関門は男にはない。ひろゆきもホリエモンも、落合陽一も成田悠輔も、容姿の良し悪しで評価されてはいない。

容姿の良い女性が世間に物申す場合、ひろゆきのように人を小馬鹿にしたり、ホリエモンのようにふてぶてしい態度を取ったりすることは危険である。なぜなら、そのような強い態度をとることによって若い女性の性的価値が毀損されるからだ。男であればひろゆきやホリエモンのような強そうな態度をとることで権威性が付与され、一定数の信者を集めることができるだろう。

若い女性がひろゆきやホリエモンの真似をすればどうなるか。端的にいえばモテなくなるはずだ。そして、一度毀損された性的価値は元には戻らない。女性はなによりもそれを恐れる。そのため、若くて容姿の良い女性は、子供の頃から無意識的に自身の性的価値を毀損する行為を抑制する術を身につけている。

したがって、平原のような若くて容姿の良い女性が「きれいごと」にこだわるのは意識的な選択の結果ではなく、子供の頃からの無意識的な振る舞いが体に染み付いたものである。

性的価値を毀損させずに世間に物申すには「きれいごと」を言うしかない。しかし、「きれいごと」を言ったところで世間からは人生経験の浅い馬鹿だと思われて終わってしまう。
ここに女性インフルエンサーのジレンマがある。性的価値を毀損させずにインフルエンサーとしての地位を確立するのが困難なのである。

 とは言ったものの、成功した女性インフルエンサーは私の知る限りで一人いる。
国際政治学者の三浦瑠麗である。

三浦は恵まれた容姿に加えて頭脳も優秀で、女性が表舞台に立つための条件をクリアしている。
欠点としては、ひろゆきのように他人を小馬鹿にする態度をとることがあるということだ。そのような強い態度を取るのは、おそらく、女だという理由でなにかとナメられてきたからだろう。
だがこれは、女性としては欠点だが論客としては長所である。強い態度は権威性を付与するし、男と対等に渡り合うなら不可欠のものだ。

三浦の強みは、すでに年齢が40歳を越えていて子持ちの既婚者であることだ。未婚の若い女性のように、モテなくなることを心配する必要はない。
若い女性が陥りがちな、物事の表面だけを見て理想論を語るだけの「底の浅い馬鹿な女」という評価に甘んじる必要はない。
物事の本質を語り、世間を批判し、男性の論客に真っ向から対立して論陣を張ることができる。

美貌、頭脳、権威性。この三つが揃った三浦瑠麗は非常に稀有である。
おそらく、メディアが理想とする女性論客、インフルエンサーの条件をすべて備えている、現代では唯一無二の存在であろう。
だから三浦瑠麗はメディアに引っ張りだこなのである。
ゼロ年代の思想・批評分野は東浩紀の一人勝ちだと言われていたが、2020年代現在の日本の女性インフルエンサー/女性論客では三浦瑠麗の一人勝ちであると言えるだろう。

三浦瑠麗の例からわかるのは、女性が論客やインフルエンサーとしての地位を確立するには多くの条件をクリアする必要があり、そのハードルは非常に高いということだ。ほとんどの女性は容姿の段階で脱落するだろう。
三浦の存在はかなり奇跡に近く、もしかしたら百年に一人くらいの人材なのではないかと個人的には思っている。今後も三浦のような女性はそう簡単には登場してこないだろう。

若い女性が今後、論客やインフルエンサーを目指すなら、三浦瑠麗がベンチマークになる。だがこのベンチマークの水準点はあまりにも高すぎる。
それでも私は、若い女性論客、インフルエンサーの登場に期待したい。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?