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平原依文への反発と主人公適性

ここのところ、TwitterのTLで「学歴よりも経験を重視」の話題が頻繁に流れてくるようになった。
「学歴よりも経験を重視」というのは、昨年(2021年)の11月に放送された番「選挙STATION2021」の中で、起業家の平原依文が「若者の格差をなくすために」というテーマでプレゼンしたときの主張である。

平原に対する批判としては主に「学歴よりも経験を重視したら金持ちの家に生まれた人がさらに有利な社会になる」というものだが、この批判は番組内ですでに若新雄純が指摘している。
私も平原の主張に反感を覚えて今年の2月に以下の記事を書いた。

Twitterでの話題に連動してこの記事のView数も上昇していることがわかった。Twitterで話題となる発端になったのはおそらく以下のツイートだろう。

平原は「8歳で単身4カ国留学」という経歴を公表しており、このことから明らかに裕福な家に生まれたいわゆる”実家ゴン太人間”であることがわかる。Twitterでの反発もこの点が中心にあり、「裕福な家に生まれた人間がきれいごとほざくんじゃねぇ」的な怒りと怨念に満ちた書き込みが大量にある。

私も上掲の記事で批判したように、学歴よりも経験を重視する社会になれば社会の不公正さは高まることになるし、ああいうきれいごとを受け入れるわけにはいかないと怒るのはもっともだ。

だが、Twitter民の平原に対する反発の大きさを考えると、単に「学歴よりも経験重視の社会を」という主張の内容に怒りを覚えているわけではないように思う。私自身もそうだ。この主張のみに反感を覚えているわけではない。では、平原の主張に対するこの感情の根源はどこにあるのだろうか。

考えてみた結果、小中学生時代に作文で賞を取る女子に似たような感情を抱いたことがわかった。
小学生や中学生のとき、同級生に作文が得意で毎回賞を取る女子がいなかっただろうか。
私が通っていた小学校では、作文のコンクールがある度に必ず賞を取る同級生の女子がいた。
中学生になると「少年の主張」という作文のコンクールに全生徒が強制参加させられた。ここでもクラス代表や学年代表に選ばれるのは決まって女子だった。
そして、いずれの女子にも共通していたのは"高学力で実家が太そうなお嬢様"だった。中三のときに学年代表に選ばれた女子2人はいずれも地元で一番偏差値が高い高校に進学した。

小中学生の作文で評価されるには文章力が必要となるので高知能の子供が選ばれる傾向にあるのは間違いないだろう。そして知能が高いだけではなく、大人に評価されそうな”品の良い優等生的なテーマ”を選べることも重要だ。そういうテーマを選べる子供はおそらく裕福な家庭に生まれ、優れた文章を書けるほど豊かな文化資本を継承され、両親から温かい愛情を注がれ、素直で大人から愛される性格に育ったのだ。
つまり、小中学校の作文で選ばれる子供というのは”選ばれし子供”なのである。
みんなを代表してスポットライトを浴びる資格であり、集団を代表する適格性である。
いうなれば"主人公適性"があるのである。

そしてTwitterにおける平原依文への反発も、この"主人公適性"を持った者への反発なのではないかと思う。主人公適性のある恵まれた者が綺麗事を吹聴しながら私たちの代表ヅラして、社会を”主人公側”に都合のいいようにデザインしようとしていることへの反発である。

平原の主張に対して反発を覚えるような者は、私も含めて"主人公適格"がない"モブキャラ"である。我々はモブキャラだからこそ主人公を妬むのではないか。例えば以下の皇さん氏のような恵まれない環境に育った人は、この世界の主人公にはなり得ない。

この世界には主人公適性のある人というのが確実に存在していて、例えばフィギュアスケートの羽生結弦とか、将棋の羽生善治、藤井聡太とか、野球の大谷翔平とかがそうだ。テレビに出てみんなから賞賛を浴びる機会がある人はだいたい主人公適性がある人なのだろう。
そして、この世界の99%はモブキャラだ。私もそうだ。スポットライトを浴びる主人公たちをただ眺めている側にしかなれない。

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