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私はあと何回、桜を見るんだろう

 春は苦手です。

 今年も、春が来るなぁという予感が満ちてきた2月の後半ぐらいからずっと、気持ちはブルーな状態でした。

 元々、小さい頃から喘息持ちなので、季節の変わり目になると喘息が起きることも多く、身体的な苦しさが重なってしまうこともあるんだと思います。

 卒業式だ新生活だという文字が踊るテレビや街中の広告を見ると、しんと悲しい気持ちに襲われてしまい、早く通り過ぎてしまえと思う。

 何か決断を迫られているようで、訳もなく胸がざわざわとして落ち着かない。

 そんな風に感じてしまう。
 この季節が苦手です。

 そんな何となく元気の出ない日々を過ごしていたある日、夫がふと「もう二度と会わない友達っているよね」と言い出しました。

 「二度と?」と私が聞き返すと、
 「うん。また会うだろうと思っているけど、俺らは自分から積極的に誘うタイプではないから、たぶんもう一生会うことのない人はいるよね」と続けるのです。

 確かに。
 不覚にも、かなり納得してしまいました。

 夫は普段、そんなことを話したりするタイプではありません。共通の会話と言えば仕事のこととか、子どものことぐらい。

 珍しいことを言うなぁと思いながら、「どうして急にそんなこと言うの?」と聞くと、「もうあと何回親に会うんだろうって考えて、その派生で思った」と。

 夫にそんなことを考えさせるなんて、こんな季節だからだろうかと思いながら、二人で皿洗いをして、しみじみとあとどれくらいの人に出会い、どれくらいの人と別れるのかなんてことを話したのです。

 私たちは今年で40歳。親は70代に手が掛かろうとしている。
 まだまだ元気だけど、私たちは二人とも地元から離れてしまっているので、年に多くて3回帰省したとして、あと百回も会うんだろうか。

 もちろん、これから先何があるか分からないけど、そう考えると人生は、何て短いんだろう。

 友達だって、また今度会おうね~、連絡するね~なんて言って別れたまま、大した連絡を取り合うわけでもないし、それぞれ家族を持ったり、仕事が忙しかったり、日常の中でお互いのことを考えたりすることはほとんどない。SNSで生存確認はできていても、本当にただそれだけになってしまっています。

 春の足音が聞こえてくる中、続く雨の多さにうんざりしながら、三月はどこかそんな憂鬱な気分のまま過ぎていきました。

 そして、四月。

 先週までぽつぽつとしか咲いていなかったはずの桜の並木道は、まるで今日から春本番ですよと言わんばかりに、一気に満開となりました。

 これから仕事というのに、思わず足を止めて、天を仰ぐ。
 青空に揺れる桜はエネルギーに溢れていて、曇った気持ちを吹き飛ばすかのようでした。

 あ。私、桜を見るの好きだ。

 すぐにスマホを構えてしまった自分を俯瞰で見てしまい、そんな単純なことに気付く。

 「私はあと何回、桜を見るんだろう」

 シャッターを押しながら、かつて夫の祖母が、寂しそうに笑いながらそう言ったことを思い出してしまい、切ない気持ちで胸がいっぱいになる。

 そんな弱気なこと言わないでなんて、今の私は言い返せない。
 だって本当にそうだから。

 少し前なら考えもしなかったけど、私だっていつか死ぬ。

 その事実がありありと胸に迫ってくるのは、人生のフェーズが移行しつつあるんだろう。

 一年前とも、三年前とも、今の私は全然違う。

 たぶんそうだと、急に腹落ちして、満開の桜の下、暖かい風の中でようやく長い冬が終わっていくのを感じました。


 春が苦手なのは、終わらないと思っていたものさえ終わっていく感覚が寂しいからなのかもしれません。

 でも何かが終わるということは、何かが始まるということ。まだ目にも見えないレベルで、それはきっと始まっている。

 生き抜かなければ。

 そんな気持ちで、春の始まりに立っています。

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