私のお守り〜吉本ばななさんの言葉〜
小学校一年生の時、作文コンクールでわりと大きな賞をもらった。
それ以来、書くことで何かしら評価を受けるということはたくさんあった。
周りの大人達は、みんな口を揃えて、将来は小説家だと言ってくれた。
私自身も本を読むことが好きだったし、書くことも好きだったので、まっすぐにそれを信じていた。
だけど、成長するにつれ、それは呪いのように私に付きまとうようになった。
「箱ちゃんは、文章の才能があるから」と、日本文学全集や源氏物語をプレゼントされ、読むように勧められた。小学生で太宰治や川端康成が好きになれれば良かったけど、私はそうはなれなかった。正直、ちんぷんかんぷんだった。
少女探偵ものの児童文学や、シャーロック・ホームズを読んでいたら、「いつまでもそんなものを読まないで、ちゃんとした本を読みなさい」と言われた。
文学ってそんなに偉いの?好きなものを読んでいてはダメなの?
小さな私は、読書が嫌になってしまった。
そして、中高生になると、すっかり音楽にハマって、ほとんど読書しなくなった。
だけど、書くことだけは好きだった。
小説家という職業に憧れはずっと持っていたし、自分で詩や小説を書くことだけは続けていた。
同年代の綿谷りささんや、島本理生さんが高校生でデビューした時は、すごい!と感動した。
でも、きっと私には無理。
文学というものを理解できなかった。ちゃんとした本を読んでこなかった。好きという気持ちだけではやっていけない。
その思いがいつも心の底にあった。
そんな私が、初めて自分で小説を買ってみようという気になったのは、大学生になった時だった。
大学の講義の時、ある詩集を朗読していた教授が突然泣き出したことがあった。
思い入れのある本だから、申し訳ない。と言われた時、私は胸を打たれた。
人前で泣き出してしまうほど、心を揺さぶられる文学ってすごい。
そう思った私は、もう一度自分が読みたい、好きだと思える本を見つけてみよう。と思い直した。
その一冊目に買ったのが、吉本ばななさんの「キッチン」だった。
どうして「キッチン」だったのか。
それは、ちょうど読書するのに嫌気が差していた中学一年生の頃、「キッチン」を読んでいた同級生がいたことを思い出したからだった。
たったそれだけのこと。
たったそれだけのことで、手に取った本の中で、私は初めて自分の理解者と出会うことになった。
「キッチン」は、祖母が亡くなり、天涯孤独となった主人公みかげが、拾われるように住むことになった田辺家での同居生活を通して少しずつ立ち上がっていく物語だ。
雄一や元父親のえり子さんの優しさに、みかげの心が少しずつ癒されていく過程を物語の中で追ううちに、私の心がどれだけ冷えて固く閉ざされていたかがよく分かった。
言葉によしよしと心を撫でてもらうような気持ちを味わったのは、この時が初めてだった。
高尚なもの、名作と呼ばれるものを書きたくて書いているんじゃない。自分の中にある信念を届けたい。温かい気持ちを乾いた心に注ぎたい。そんな気持ちで書いている人なんだ。そう理解したとき、とても楽になった。
好きな本を読めばいい。
好きという気持ちだけで、書いていてもいい。
そういう明るい気持ちが、ふわっと浮かんだ。
そこから、吉本ばななさんの本をいくつも読んだ。好きな作品がたくさんできた。江國香織さんも、角田光代さんもその派生で好きになった作家さんだ。
そして事あるごとに読み返しているのが、「キッチン」の文庫版あとがきに書かれている次の文章だ。
どんな感じ方をしてもいい。どんな受け止め方をしてもいい。生きてさえいれば何とかなる。それを生かしておもしろおかしく生きよと言ってくれるこの文章は、もう諳んじれるほど繰り返し読み込んでいて、いつもお守りのように胸の内にしまってある大切な言葉だ。
もしも、あの時、最初に手に取ったのが「キッチン」じゃなかったら、私は今も読書に少しの劣等感を持ったままだったかもしれない。
教授が泣いたりしなかったら、親が児童文学を否定しなかったら、私が小学生で太宰治に感銘を受けていたら、もしかして「キッチン」を愛する自分にはなれなかったのかもしれない。
そう思うと、巡り合わせとは不思議なものだ。
これからも、このお守りを携えて、私は色んなことを書いていきたいと思う。
何かにならなくても、好きだから続けたい。今はそういうピュアな気持ちで向き合っている。
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