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人から見た自分と、自分のありたい自分(『さびしさについて』)

 『さびしさについて』は小説家の滝口悠生さんと写真家の植本一子さんの往復書簡をまとめたもの。心の底にずっとかかえているさびしさや悲しみ、ままならない思いについて綴っている。

一子さんから滝口さんへ「離ればなれになる道」
一子さんについて書いてみたという連絡が友人からあり、確認してほしいというメールがきた。その人にとっての一子さんに対する所感を読んだとき、「こんな風に書いてほしくないな」と思ったけれど、そのまま通したのだった。書かれるってこういうことなのかと身をもって感じたというお話。

人から見た自分は、自分の思う自分、自分のありたい自分とはずいぶん違うと思う。以前、友人と食事をしていたとき、友人は私を「とてもちゃんとしてる」と褒めそやし、「そういうところが好き」「それはお母さんのおかげだよ」と何度も言った。
たしかにちゃんとするよう、幼いころから口を酸っぱくして言われてきた。だから、ちゃんとしてしまう。というか、ちゃんとしているように見えるようにしてしまう。人の気分を害さないように振る舞ってしまう。だけど、それは癖のようなもの。本当はちゃんとしていないのに、ちゃんとしているように振る舞わなければいけないので、とてもストレスがたまる。本当はしたくないことも、周りの目を気にしてしてしまう。だから、そういう自分は好きではないのだ。思うように振る舞いたい。
彼女が好きな私は、私にとっては嫌いな自分であって…
酔うほどに何度も呪文のように唱えられ、せっかくのお酒が苦くなった記憶。


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