またあした

傾き始めた夕日が空を紅く染める。朱色というよりむしろ茜色に近い秋空は、春の陽だまりや夏の木もれ日なんかよりずっと、ワタシに安らぎを与えてくれる。だけど、そんな夜は決まってさみしさも募って、切なくなるんだ。
カレのうちからワタシのおうちまで時間をかけて20分。たったそれだけれど、ワタシにとっては大切なひととき。離れるのが恋しくてあえてまわり道、カレの手を引くようになじみ深い土手の坂道を上る。なんだか風が心地よい。
前を行くワタシと後を歩くカレ、おのずとワタシが主導権を握る。「今日は何もしなかったね」ワタシは言葉に“フマン”を忍ばせて前方へ吐き出した。カレは応える。「うん」
真意が毛ほども伝わっていないような、さばけた返事にワタシは少しイラッとする。「つまんなかったね」今度は“イライラ”を乗せてみる。 「そう?」カレの気持ちが少しだけ見えては隠れた。
「だって家でごろごろしてただけだもん」ワタシはムスッとして呟く。「何もしてないよ」
「うん、楽しかった」カレは思いも寄らない返答をする。「楽しくなかった?」今度はそう尋ね返して。
「つまんなかった!」振り向いてワタシがカレにぶつける返事は、本音とは裏腹。ワタシはふくれて立ち止まる。楽しかったなんて言えるわけがない。
そんなワタシを追い越して、今度はカレが主導権。「そっか」そうつぶやく返事は少し悲しげで、カレの背中を見つめて、ワタシは少し自己嫌悪に陥る。
―ワタシだってほんとは楽しかった。でもこうやって一日が過ぎてくと、なんだか悔いが残らない?日も暮れて、さみしい夜がそろそろ。なにを残すでもなく今日が終わってく。
カレはそしらぬ顔でゆっくりと歩き出す。
―そういうキミの心が読めないところが大嫌い。
そんなこと、口になんて出せないけど、なんだか独り取り残された気分。ワタシはひどく悲しくなって、二人をつなぐ右手を不意に離した。カレの温もりが残るその手のひらから、秋のそよ風がそっと熱を奪っていく。今年初めて、折り返した季節の流れに気づく。冬はもう近い。
途方にくれた顔で頭を搔きながら、カレが振り向いて、、ふと手招きをする。一瞬リズムを崩されたようなワタシをよそ目に、
「おんぶしたげようか」 カレはそう唐突に語りかける。

君が泊まりに来た次の朝は幸せな朝だ。たとえ掛け布団をすべて独占されても、なんだか愛らしくなる、こんな風に。
君は僕より朝に弱い。足どり重く起き出すのは僕が先で、結局一人の朝と同じように、いや始まりは普段よりずっと遅いのだけれど、一人で朝ゴハンの支度をすることになる。
それでもいつもとはまるで違うのだ。オーブンに入れるトーストは1枚多い。淹れたてのブラック1杯は、半量のミルクが注がれて2杯のカフェオレとなる。3つ分の玉子はフライパンで姿を変え、焼きたてのトーストにこんもり添えられた。普段より贅沢な朝ゴハン。わずかな変化だけれど、僕にとっては大きな変化なのだ。
コーヒーの香りに誘われるように、君はベッドから這い出してくる。寝ぐせも、乱れたパジャマの裾さえ気にも留めず、テーブル前の定位置に身を収めて「いただきます」の合図。いつになくしあわせな一日が幕を開けた。

流しに空いた食器が運ばれると、役回りと言わんばかりに君がシンクの前を独占する。変に律義な君のこと、口には出さなくても朝ゴハンの支度を手伝えなかったことを気にしているのだろう、僕は何も言わず譲ることにする。
「今日なにする?」寝ぼけまなこの君はキッチンから僕に問いかける。「なにしよっか」僕はふと考える。「また寝る?」冗談交じりでそう応えると、「やだ」矢継ぎ早に君からの返事。その表情とは似ても似つかないその応えに思わず苦笑してしまう。
「どこか遊びに行こうか」軽い気持ちで提案する僕。「どこ?」そんな僕に君は具体案を望んでいるが、当の僕には君の要望に叶うような候補が一つとして挙がっていないのだった。
考えをめぐらせているうちに、皿洗いを終えた君は不敵な笑みを浮かべてベッドにダイブする。「とりあえず休憩」うっとりとした声でこぼれた、君の間に合わせの代案に、僕も思わず大賛成。
僕らの、朝のような正午前の掛け合いは、なにをするわけでもなくこうやって一段落する。
喧騒が微かに聞こえる。スピーカー越しに響く喚声。どうやらテレビを点けたまま寝入ったらしい、とっさに起き上がりリモコンに手を伸ばす。午後3時。
君も再び睡魔に襲われたらしい、昼寝だとは到底思えない、深い眠りについた君の寝顔を覗き込む。いったい何度読めば飽きるのか、枕元には大好きなマンガの最終巻がある。「過程を知るのがこわい」そう言って物語に身を投じるのを極端に嫌がる君のこと、つまり君にとってこの最終巻は、お楽しみの始まりを意味しているのだ。それでも毎回似たような場面で眠りに落ちる、結局一向に進展しないストーリーを見ているようで何だかいじらしくなる。
わずかに交差させた両窓の端から吹き込むすきま風に、秋の気配を感じる。肌寒くて人恋しい、冬を迎える匂い。寒がりのくせ妙に薄着な君が目を覚ましてしまわないよう、お気に入りのブランケットをこっそり掛けておく。
きっと君は迫るタイムリミットの直前にはっと目を覚まして、そのあと僕をニラんで「なんで起こしてくれなかったの」こう詰め寄るだろう。そして口癖のようにきっとこう続ける。「今日もなにもしなかった」そうやってさみしげな表情を浮かべる君の横顔を見なければならないのは忍びないけれど、僕にとってこんな時間こそこんなに愛しい。
そんな君の寝顔を眺めると、不意に苦しくなる位きつく抱きしめたい気持ちに駆られる。
だけど、起き抜けの機嫌はめっぽう悪い君のこと、できるだけゆらさないよう静かに、そっと頭をなでた。
口下手で足りないところばかりだけど、君が思うよりずっと大事に思ってる。面と向かってなんて伝えられない僕の気持ちがこの手から少しでも伝わればそれでいい。そんな風に思いながら、何度も何度も繰り返し、透き通るその髪をなで続けた。

前触れもなく降ってきたカレの誘いに、ワタシは思わず何度もうなずいてしまった。カレはすぐさま背を向けてしゃがみこむ。なんだか気恥ずかしくってなかなか身を預けられないワタシを尻目に、カレは「早く」とけしかけてくる。
軽々とワタシを背負うカレの背中は思っていたより逞しかった。カレの呼吸のリズムに乗るように、ワタシの視界はいつもと違う高さを保って上下にゆれる。
「あんなに気持ちよさそうに寝てる君を起こすことなんてできないよ」カレが笑いながらそうこぼす。「ごめん」なぜだかワタシもおかしくて、つられてはにかんでしまう。
肩につかまって、ぎゅっと背中で体を丸めると、鼓動とともにカレの体温を感じる。手のひらで感じるそれとは段違いで、全身にぬくもりが広がっていく。
「こっち向いて」口をつぐんで歩くカレにの耳元にそう呟く。振り向いたカレの唇にそっと口づけすると、なんだか情けなくって前をむくことさえできない。「ありがと」カレはかすかにそう発した。
「一緒に歩こ」心臓の高なりを悟られたくなくて、そう言ってカレの隣に並ぶ。カレは腕を振りながら「そろそろ限界だった」と表情を崩す。恥ずかしがりはお互い様。
慣れない風景もたまにはしあわせなんだけれど、やっぱりこの位置がワタシは好き。隣に並んでずっと一緒に歩いてたい。そんな風に思う頃には、我が家まで目と鼻の先、お別れの時間がそこまで来ているのだった。
紅く染められた空も、そろそろ闇に落ちていく。夕日はビルの谷間になりを潜めて、今日の出番はもうおしまい。
門の前で向き合ったワタシたちは、いつものようにお別れをするきっかけを探している。口を開けばその流れでカレが背を向けて帰りそうな気がして、でもこの沈黙の時間ほど悲しいものはない。
「じゃあ気をつけてね」あとは扉を開けるだけのワタシに向かって、カレは見当違いなセリフを投げかける。「それはワタシのセリフだよ」ワタシは呆れて切り返す。「今日も送ってくれてありがと。もう大丈夫だよ」こう続けて送り出そうとするけれど、それでもさみしさに変わりはない。
「うん。じゃあ、またあした」カレはそう言って笑いかけた。「サヨナラ」でも「バイバイ」でもないそのお別れの一言に、私は文字どおり「あした」を感じてうれしくなる。その言葉で今夜も、きっと穏やかな気持ちで眠りにつける。
「またあした」ワタシはオウムのようにそう繰り返し笑って手を振る。名残惜しさを振り切って、ワタシはドアに手をかけた。きっとカレはそんなワタシを見送ってから踵を返すだろう。胸にカレの体温と、「今日も楽しかった」そう素直に伝えられなかった少しばかりの後悔を残して、ワタシはリビングでくつろぐ母に声をかける。

またあした、Every LittleThingのこの曲には夕日と土手とおんぶが似合います。

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