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【蘭英紀行7‐3】ロンドン、あちこち

 さて、ケンブリッジから電車で一時間少々のロンドンには足しげく通った.英国議会、ウエストミンスター寺院、トラファルガー広場、バッキンガム、ケンジントン、ロンドン塔、タワーブリッジ、テートギャラリーなどなど.オックスフォード街での老妻のショッピングにも辛抱強く付き合った.(本記事の最後に「ロンドンの地図と漱石ゆかりの地」マップを掲出)

 地下鉄グリーンパーク駅を出てピカデリー通りを左に折れたところにファラデーで有名な王立研究院(下の写真上およびマップの6)がある.その中にある研究室で仕事をしているファラデー(写真下).90年代中頃ここの所長を務めたピーター・デイが、ファラデーの机や椅子を使っていることや平日はここで寝泊まりしていることなど、少し自慢げに私に話してくれたことを想い出す.

王立研究院と研究室でのファラデー

 

 ところでマックスウェルが電磁気理論を完成させ、ローザがDNA単結晶のX線回折実験を行ったキングス・カレッジはウオータールー橋近くのストランド地区(マップ2)にある.下は1831年ごろの写真だ.(CC BY 4.0, credited ) 

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 若きマクスウエルは王立研究院にファラデーをときどき訪ねたに違いないが、キングスからはチャリング・クロス、トラファルガー広場を通ってゆっくり歩いても1時間とはかからない.

 余談だが、漱石もロンドン滞在中、このカレッジで熊本5高の英語教師の推薦の依頼のため訪問している.

 ロンドンでは留学時の下宿(マップ⑤)も訪ねた。(参照:記事1記事2

 テームズ河の南側クラッパムコモン駅からほどなく、築200年余の建物が両側に続くチェイス通りに出る。少し行くと左の建物の壁面に< NATSUME SOSEKI 1867-1916 Japanese Novelist lived here 1901-1902 >とのプレートが目に入る。(写真、再掲出)この向かいの建物には以前、多くの日本人が訪れた漱石記念館があった。85年にはオックスフォード留学時の徳仁陛下も来館されている。

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 通りには昔懐かしい赤い郵便ポストが立っている。ビクトリア朝のものだ.結核性脊椎カリエスの痛みに呻き悶え「僕ハモーダメニナッテシマッタ」、という子規にすこしでも苦しみを忘れさせてやろうとユーモア溢れる書簡を投函したポストなのであろう.

 また研究実習のため王立科学院を訪れていた池田菊苗に啓発された漱石は、文学を「科学」すべく「文学論」のノート作りに向けて格闘する.それが亢(こう)じてノイローゼ気味になるのだが、心配した五十がらみで独身、太っちょの下宿の主人リール婆さんから「自転車に御乗んなさい」といわれてしまう.

 転倒し乳母車にぶつかりながらも練習に励んだラベンダーヒルへの坂道やクラッパム公園もすぐ近くにある。120年余前の情景がそのままだ.まるで今にも目の前の下宿から漱石が出てきそうな気がした.

 2週間の旅行を終え、4月10日午前、KLM便にて帰国.(完)

参考資料:下の図は蛇行したテームズ河を中心においたロンドンの概略図.中心部にある赤四角が英国議会、ビッグベン、ウエストミンスター寺院である.横方向(東西)がざっと10キロ、東京でいえば都庁(新宿)ー 国技館(両国)くらいか.図には漱石の下宿跡①~⑤も示してある.(近日発刊予定の「独リボッチの漱石ー英国留学と子規・寅彦との交友」(豊田直樹著、ハチヤ書店)の巻末資料より抜粋)

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