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七月一八日、今日の一句

七月一八日 老鶯ろうおう

 とかくして うぐいすやぶに 老いにけり

                      明治四二年(一九〇九)
 
 この句は、俳誌「渋柿」を主宰していた東洋城の俳句選集「新春夏秋冬」に寄せた序文の中に添えられています。自分を老いた鶯になぞら、藪に入って老いてしまった鶯のようだ、と詠んでいます。しかし、季語集によれば、夏に鳴く鶯のことを老鶯といい、繁殖期に入って藪などに巣篭もるようになる鶯のことだそうです。

 前年には「三四郎」、この年は「それから」、翌年は「門」などのいわゆる前期三部作を発表した頃です。「老いにけり」との表現には、前者のような謙遜のニュアンスもあるかもしれませんが、後者のように作家としての「繁殖期」に入った意味合いをも込めたのではないでしょうか。翌年、師(四三歳)は静養先の修善寺で大吐血をして生死を彷徨うことになりますが、これは老いのためではなく、持病の胃潰瘍が悪化したためでしょう。
 
 余談ですが、弟子の東洋城は師について「表面極めて真面目なのに内部ははなはだ温い情が籠る」と云っています。いっぽう師の方は、「東洋城は遠慮のない、いゝ男です。・・・僕と友達の様に話しをする。さうして矢張りもとの先生の様な心持をもってゐる。それがまったく自然で具合がいゝ」(明治三九年八月二八日付け、虚子宛書簡)と評しています。