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「動かない」ではなく、「動く」選択を

こんにちは、はちろーです。

「チーズはどこへ消えた?」という本を読んで思ったことを書きます。

主には、チーズを手に入れるためにいつまでも行動を起こさない自分に向けた文章です。。。w


自分にとっての「チーズ」は何だ

ふと気づけば自分のチーズが見当たらなくなっていた。というか、何を探していたかが分からなくなっていた。

チーズ(=自分が手に入れたい物事)が何かも分からずに、ぽっかりと穴が空いた日々を過ごしている気がした。

まずは、自分が欲しい自分好みのチーズの種類や大きさなどをイメージする。イメージするだけでも食欲がわいて、行動の原動力となる。


手に入れたいのは、即席チーズ or 手間かけたチーズ

チーズ=楽しみと定義したとすると、全く無かったわけではない。映画を見たり、外食したりしてその楽しさを得ていたと思う。

だけどそれが心の底から手に入れたいと思っていたチーズか、と問われると、おそらく黙り込んでしまう。

スマホからタッチするだけで映画が見れたり、美味しい食事が注文できる。確かに便利だとは思うが、それを長い時間かけて楽しみにしていたことというよりは、その時々で見たいもの・食べたいものを押していた。

確かにその時は幸せを感じていた。でもそれは長続きはしなかった。

だから、簡単に見つからなかったり、高価だったり、食べ頃まで時間がかかったり、すぐに手に入らないかもしれないが、自分が心の底から欲しいと思えるチーズを手に入れるまでの道のりと口にした感触は長いこと自分の中に残ると思う。


チーズは生もの、だから早く見つけるために、まず動く

そのチーズはずっとそこにあり続けるわけではない。いや、あるのだが腐ったりして本来の味が劣化してしまうことがある。

「欲しい」と思った時が「探し時」なのだ、「見つけ時」なのだ。行動は早いことに越したことはない。まずは行動を起こそう。

「動かない」という選択肢にはあまり意味がない。「休憩する」という目的があってそこに止まるなら意味があるが、そもそも「動かない」というのはもはや「探さない」ということである。


チーズに足はない、だから自分から近寄る

チーズから自分に向かって歩いてくることなんてないし、誰かがデリバリーしてくれるものでもない。だから、自分からチーズに向かって進むことでしか、自分が欲しているものを見つけることができないのだ。


チーズは同時にいくつも手に入れることはできない

分身できるわけでない。だから一つ一つ手に入れるしかない。あれもこれもと迷っているうちに時間は過ぎてしまう。ならば、もうどちらかに決めて確実にどちらかを手に入れることを考えて行動しよう。でないとどちらも腐ってしまう。


チーズを手に入れたら、次のチーズを追い求め続ける

欲しかったチーズを手に入れてそこで終わることはしない。自分自身も置かれる状況も、次の環境に変わってくるのだ。

環境が変わったら、自分自身も次のチーズを手に入れるために変わる必要がある。手に入れるまでに準備しなければいけないもの、必要な知識、体力など。

そうやって、チーズを追い求め続け、自分を変えていこう。


最後にもう一度、いつまでも行動を起こさない自分へ

欲しいチーズはいくつか、というよりもたくさんあると思う。ならばもう行動するしかない。だから動くのである。

「どれを先に探しに行けばいいかわからない」

ならば優先順位をつけたら良い。それでも順位がつかない場合は、あみだくじでもいいので、まずは何か一つを決めよう。

そして、すぐにでも「動く」「進む」のである。

そうすれば確実に今いる地点よりも、チーズに近づいているのだから。

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