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(愛知県)「尾張と三河は仲が悪い」はどこまで本当か

愛知県には名古屋という日本有数の大都市が存在することから、愛知県=名古屋と認識されることも多いです。

一方で、同じ愛知県でも西部の尾張地方と、東部の三河地方では溝が深いとも言われています。

特に三河地方では「俺たち三河を名古屋なんかと一緒にしてくれるな😠」と考えている県民も少なくありません。

愛知県民にとって「名古屋」とは、名古屋市だけを指すことが多いのです。


尾張と三河の歴史的摩擦

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尾張と三河の因縁は、江戸時代まで遡ります。

尾張国と三河国は律令制度の下では別々の地方でした。それだけでなく、名古屋を首府とする尾張藩は、今の尾張地方に加えて美濃地方(現在の岐阜県南部)を統治していましたが、三河地方にはその支配が及んでいなかったのです。

つまり、江戸時代では尾張と美濃が同じグループで、三河は別地方だったのです。

では三河地方はどういう状況だったかというと、吉田藩、岡崎藩、西尾藩、刈谷藩、拳母藩、田原藩などの小藩が乱立していました。

こうした歴史もあって、三河地方という狭い地域の中でも、西三河・東三河に分割され、さらに同じ西三河でも豊田市と岡崎市と西尾市ではそれぞれ溝があったりと非常にメンドクサイ地方なのです。


現代では区別できない?

もちろん交通やメディアの発達した現代では、もはや尾張と三河の文化的差異は無くなっていると言ってよいです。

いくら尾張弁・三河弁では辞書的な言葉が違うからといって、では実際彼らが使っている言葉だけで「お前は尾張人😉」「お前は三河人😤」と判別できるかっていうと、それは不可能ですし、愛知県民同士の日常会話でもそんな話は通常ありません。

八丁味噌は岡崎市発祥ですが名古屋市にも普及していますし、台湾ラーメンは名古屋市発祥ですが三河地方の人々も普通に食べています。誰もいちいち気にしてはいません。

愛知県はそもそも他県出身者も多いですし、2色の絵の具が混じるように、それぞれの文化も混ざり合い、そして薄まってます。


さらに言うなら、交通の発達と共に、東京や大阪と同様、名古屋も大都市圏が広く拡大しており、そこには尾張地方だけでなく三河地方、さらには岐阜県や三重県の大部分も含まれています。

名古屋市への通勤・通学客の多さから言えば、三河地方の主要都市とされてきた岡崎市も今やすでに名古屋市の衛星都市であり、名古屋圏に含まれています(豊橋市でさえ広義の名古屋圏に含まれる)。


三河は全国からもっと注目されたい

それでも、やはり街のアイデンティティは名古屋と三河地方の都市では異なります。冒頭で書いたように「三河を名古屋なんかと一緒にするな😠」という意識は根強くあります。

名古屋市は大都市なので、ビジネスでも若者文化でも観光でもメディアから注目される地域です。一方、三河地方は一般的に「田舎」と見られ、全国的に注目される地域ではありません。しかし、トヨタグループのお膝元である三河地方も政治・経済への影響力はかなり強いです(昔のトヨタは西三河モンロー主義と呼ばれるほど閉鎖的な企業体質でありましたが)。

「田舎」と言っても、それは名古屋市と比較しての話であって、三河地方にも人口235万人が居住しており、全国トップクラスの財政力を持つ産業都市を数多く抱えています。

「三河は凄いんだぞ!全国からもっと注目されるべきだ😤」という意識が、尾張(特に名古屋市)への対抗心へと繋がっているのです。


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