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【からくりサーカス】3巻で脱落した4年前の私へ【本編~閉幕感想文】

もったないぞ。心から。

からくりサーカスを読みました。タイトルでも言っていますが、私は4年前の1月に一度からくりサーカスを読み始め、3巻でリタイアしています。だって……鳴海兄ちゃんがあんなことに……。

今思うとアレは街をぶらついていたらサーカスのチラシを拾ったぐらいの出来事で、私はあのチラシを捨てる選択をしたわけです。

もったいない。つくづく。

というわけでこの記事では、あの日の私に「さっさとチラシを拾え!!!!」と怒鳴りつける気持ちで感想を書きます。サーカス編最終幕までは以下にまとめていますので、今回は本編から最終回までの話をしていきましょう。

https://note.com/hachimitsuko/n/n657c2f98a9d2

1.本編~天使と悪魔のシャトルランやめろ

私は黒賀村が好きです。

人形繰りの特訓やフェイスレスとのゲームは過酷なものでしたが、それを上回る素敵な出会いがありました。
たとえば平馬というタメのマブのダチ、阿紫花三姉妹との温かな交流、フルーチェ、洞窟に棲んでるなんかでけぇ魚、鳴がね固定厄介過激オタク才賀勝……どれも勝にとってすばらしい思い出になりました。

個人的なお気に入りはれんげ姉編です。れんげ姉のヒロイン力もさることながら「この小学生、本気で年上を落とそうとしていない?」と言わんばかりのイケメンアクションをくり返す勝がたまりません。攻略対象・才賀勝のADVか?「いい春だねぇ」とかいうイベントCG。

サーカス編最終幕を読みきって「これから勝は小学生らしい青春も仲町サーカスも捨てて戦うのか……」と予想していた私にとって、勝がこんな当たり前の日常を過ごしてくれたのは、嬉しい誤算でした。

もしかしてサハラを唯一生き残ったしろがね(19)を何もいらないだってもう何も持てないあまりにもこの空っぽが大きすぎるからしやがった藤田和日郎先生は天使なのではなかろうか!?

奪うためにまず与えるんじゃないよ。

黒賀村にゾナハ病は、しろがねたちが鳴海に未来を託して散っていったのに実は茶番だった流れとやり口が同じなんだよ。これからくり編最終幕で読んだところだ!

黒賀村が好きになればなるほど、勝の過ごす日常が尊ければ尊いほど、その衝撃が胸に深く刺さる「ぜひ」のシーンは忘れられそうもありません。

今思うと、からくりサーカス本編は機械仕掛けの神編への強烈なフックとして機能したと思います。「よくもやってくれたな!」という強い感情が、そのままクライマックスへと流れこんでいく強いモチベーションになりました。黒賀村編がなければ、後に続く機械仕掛けの神編に夢中になることもなかったかもしれません。

幸せと絶望の落差を利用して観客をクライマックスへと強烈に惹きこんだ藤田和日郎先生に惜しみない拍手を送るとともに、やはりどうしても言わせてほしい。悪魔じゃねぇかよ。

2.機械仕掛けの神編①~キャラに手抜きがない

https://twitter.com/sukideha_nai/status/1611735052161028096


「からくりサーカスは風呂敷を広げに広げて綺麗にたたんだ作品である」
からくりサーカスファンからよく聞く言葉ですが、機械仕掛けの神編に入ってその意味を理解しました。この漫画、キャラに対して手抜きがない。全員活かそうとする。

一から敵対自動人形を用意して仲町サーカスの見せ場を作ったり、勝と鳴海の共演に欠かせないキーマンとしてシャロン・モンフォール先生が再登場したり。シャロン・モンフォール先生はしろがねになりたての鳴海から血をもらって生還した女教師です。8巻でほんの数話出たキャラが43巻で主人公を導く超重要キャラになることあります?

そうしてクローズアップされたキャラの中には舞台から退場した人もとても少なくありません。とくに404話でギイが想ったあるセリフが印象に残っています。エレオノールの幸せのためにすべてを捧げた男は、自分の人生をこう語りました。

「だから僕はあの時、この世という舞台での、自分の役を知ったのさ」

『からくりサーカス』404話

この言葉は、からくりサーカスで退場したキャラ全員にもあてはまる気がします。

他人を守って死んだ人もいるし、やりたいことを見つけて死んだ人もいるし、悲願を見届けて死んだ人形もいる。全員が違う役割を持って生まれたのがからくりサーカスの人々で、彼らがやりきるために一切の妥協なく見せ場を与えられたのかなと思います。

なので機械仕掛けの神編での退場ラッシュは「みんな違ってみんな良かった!!!!」が本音なのですが、どうしても語りたいキャラがいるのでそいつだけざっくり語らせてください。

からくりサーカスあざとい男ランキング不動のNo.1、阿紫花英良です。

もう一生かけても使いきれないだろう報酬を受け取っておいて、以前請け負った10円の依頼のために死地に飛びこむ。これを私は「あざとい」と呼びます。

「お代はいかほどいただけるんで……?」の決まり文句で金にがめつい冷徹なヤクザ者をアピールしておきながら、本心では金ではなく自分の納得いくことを追い求めている。これを私は「超あざとい」と呼びます。

からくり屋敷で勝の強い意思に絆された末に死んだ自分の終わりを「カンタンに……ガキに撃ち殺されちまうんだもんよ……」と自嘲する。これを私はもういいや。

自分の本性を金で覆い隠そうとして、実はちっとも隠せていなかった阿紫花。依頼人の鳴海ですら覚えていないだろう10円のためにひとり荒野でくたばるシーンはその象徴です。

あの日に勝と出会っていなければ、あっただけの命が震えていなければ、阿紫花はもっと長生きできていたのでしょうか。
でもこの人、生まれ変わってもまた勝みたいな誰かに撃ち殺されそうなんですよね。また「お代はいかほどいただけるんで……?」なんて言いながら。そういうところがあざといっつってんだよ。

3.機械仕掛けの神編②~弟を助けるのが兄

自分の役割をやりきったキャラなら、フェイスレスこと白金は外せません。本人は自分を観客と自虐していましたが、読者から見れば物語の始まりと終わりを悪役としてキッチリ演じきった男です。

宇宙ステーションで勝との共同作業を経た白金は自分の間違いを受けいれ、宇宙ごと抱きしめて眠りにつきました。ここまで血みどろの戦いが続いたからくりサーカスのラストバトルがあんなかたちとは、初見でとても驚いた記憶があります。

特に印象的なのが、崩壊する宇宙ステーションで白金がつぶやくように漏らしたこのセリフです。

「弟を助けるのが、兄だもんなァ」

『からくりサーカス』最終話

からくりサーカスの物語を極端に圧縮するならば「兄弟喧嘩」といえるしょう。最初はフランシーヌだけに執着しているように見えた白金ですが、永い人生の終わりには兄・白銀への想いを吐露します。

「銀…兄さん…」
「僕が、まちがっていたよ」

『からくりサーカス』最終話

白金に間違いを認めさせたのは勝です。しかし、そもそも勝が白金を戦う決意を抱いたのは才賀正二がいたからです。そして正二が白兄弟の因縁に関わるようになったのは、他でもない白銀と出会ったからですよね。
その白銀は生命の水に溶けてしろがねを生みだし、エレオノールや鳴海といった後世の人々がしろがねとして物語に関わるようになりました。

白銀の想いは白金のように実体を持たずとも200年の間ずっと息づいていて、最後のバトンを受け取ったのが勝だったのだと思います。白金を止めたのは、まぎれもなく白銀の意志なのです。

直前に漏らした「弟を助けるのが、兄だもんなァ」は「さまよい続ける自分を兄さんが止めてくれた」と気づいた言葉ではないでしょうか。

200年も間違いを受けいれられなかった弟、200年も意志を紡ぎつづけて弟を追いかけた兄。最後の舞台は宇宙ステーション。本っっっ当にスケールの大きい兄弟喧嘩でした。

4.機械仕掛けの神編③~急所に入ったえんとつそうじ

最後に私がからくりサーカスで一番好き、というより「こじらせた」話をします。

「序盤に出た何気ないキーワードが最終盤で最重要ワードになる」展開は全人類の大好物ですが、からくりサーカス418話はその極致だと思います。

鳴海と背中合わせの再会を果たした勝は、自分が代わりに宇宙に行くと鳴海に語ります。その際に勝は自分の正体を隠すためかつて仲町サーカスで演じた "えんとつそうじ"を名乗ります。

あの劇は、

・えんとつそうじの男の子がお姫様に一目惚れする
・前からお姫様に求婚していたヘビ魔王が現れ、お姫様をさらう
・戦いの果てにヘビ魔王が「誰も私の本当の心を知る者はいない」と語る
・ヘビ魔王の心の美しさを認めたお姫様が彼を受けいれる
・えんとつそうじは2人の幸せを祈りながら旅に出る

こんなお話でした。

どう見ても勝がえんとつそうじだし責任感で本当の心を見ぬフリしている鳴海がヘビ魔王だしお姫様は1000%エレオノールです本当にありがとうございます!!!!あわてて7巻読み返しましたよ。43巻の3人と完全に一致してた。なにそれこわい。あと白金は「お姫様をさらってしまったえんとつそうじ」になるの?なにそれこわい。

このエピソードは勝が自分からえんとつそうじを名乗るのがなにより気高くて、とても辛いと思います。

だって彼は小学生ですよ?どんな過酷な運命を背負っていても、素顔は黒賀村で見せたあの幸せそうな笑顔のはずですよ。まだまだワガママを言っていいはずの小学生男子が「鳴海兄ちゃんとエレオノールが幸せになれるなら!」と我慢してしまう。しまえる。それが才賀勝なんですね。

プロローグの頃は泣き虫で臆病でとうとう覚悟を決めたと思ったら鳴海兄ちゃんを失い……と右往左往していたあの小学生が、ここまでの主人公になるとは。
他人の幸せのために自分はここではないどこかへ旅立つヒーローは好きですか?好きだけどおまえも幸せになってほしい。ガチで幸せになりなさいよ。鳴海とエレオノールを幸せにしておいて自分は路傍で野垂れ死にとか許さねぇからな。

ところで舞台版のからくりサーカスでは「閉幕後にキャストの輪から外れたクマの着ぐるみが頭を外すと満面の笑みの勝がいた」という演出があるらしいですね。なにそれ見たい。

最後に

さて、からくりサーカスの感想は以上になります。計3本、文字数にして1万字越の感想文を書かせていただきました。それだけ夢中になれる作品だから鳴海兄ちゃんがふっとんだぐらいで諦めずさっさと読め、何度でも4年前の自分に伝えたいです。

それでは今回はこのへんで。縁がありましたらまた別の藤田和日郎作品か、あるいはまったく違う作品への感想文でお会いしましょう。

ではまた。

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