【からくりサーカス】このマンガ全然笑えないんだけど【からくり編感想文】
Q.悪魔はいると思いますか?
A.からくりサーカスで見た。
というわけで、からくりサーカスを読んでいます。『さんでーうぇぶり』での無料キャンペーンで読み始めて、この記事を書く前日にからくり編最終幕を読み終えました。
しろがねの犬の導きにより、ついに仇敵「真夜中のサーカス」の本拠地にたどり着いた加藤鳴海、そしてしろがねたち。何百年と続いたしろがねと自動人形との最終決戦が開幕し、そのフレーズに恥じない盛りあがりを見せます。
https://twitter.com/sukideha_nai/status/1605831723534557184
あまりの盛りあがりっぷりに興奮しっぱなしだった筆者は、からくり編最終幕が全体の1/3程度であると知っていながら、
「からくりサーカスはここで終わるんだ」
「すべてに決着をつけた鳴海が日本に帰国してふらりと立ち寄った仲町サーカスで勝としろがねと再会して記憶を取り戻すんだ」
「ギイはなんだったんだよ」
などと確信しながら読み進めました。
進めたんですよ。
フランシーヌ人形の玉座まで。
マジでキレそう。
※以下『からくりサーカス』のネタバレ込みでお届けします。
しろがね達の話
「こんなぽっと出がわらわら登場とか大丈夫かよ」
最終幕の序盤はこう思っていた記憶があります。自動人形との最終決戦をにらんだしろがねは、世界中に散らばる同志を全招集。それまではギイとルシール(一応ジョージ)ぐらいしかいなかったかネームドしろがねが急に増えました。
ダール、ティンババティ、ドミトリィ、トーア、フェイスレス、馬麗娜(マァリィナ)、ファティマ、ロッケンフィールド……一気にキャラクターが増えて名前を覚えるのもままならない。本当にこれ全員さばけるんでしょうね、しかも絶対フランシーヌ壊すbotで個性ないし鳴海を持ちあげるためのかませになるんじゃないですか、いやぁ名前覚えられる自信ないなぁ~
THE・杞憂。
最初は有象無象にしか見えなかった新参しろがねたちは、わずかな尺の中で驚くほど活き活きと動きだし「私が覚えてないだけで共闘編とかあったかもしれん…」と思わされました。
とりあえずダールと鳴海は口喧嘩しているところを通りすがりの子どもに2人そろって怖がられるシーンがありましたけど読者諸兄は覚えてますかね?
杞憂を杞憂と感じるようになったのは、たぶんフェイスレス司令の衝撃的な散りざまを見てからです。後期高齢者が異様に強い『からくりサーカス』においても最高にカッコイイ老人キャラではないでしょうか。
しろがね-Oの司令官として飄々としていたフェイスレスは、絶体絶命のピンチに陥った鳴海を助けるべく、自分の命を犠牲にして敵の攻撃を止めました。
そして死に際に自身の過去をまじえた語らいを鳴海とおこない、トレードマークのサングラスを着けようとして事切れます。老人が着けられなかったサングラスをかけてあげる鳴海がいい。優しい人です。
このフェイスレスを皮切りに、しろがねたちにある変化が現れるようになります。至上目的が「フランシーヌ人形の討伐」から「加藤鳴海の生存」に変わっていったのです。
象徴的なのが第186話「共鳴」のラストで、しろがねが一斉に鳴海を守るシーン。人形を壊すだけの人形であろうとしたしろがねたちが、あくまで人間として戦いつづける鳴海に心を動かされた名シーンですね。
その後、しろがねたちは瀕死の鳴海を救うべく行動し、散っていきます。その姿は、しろがねではなく人間的でした。はるか昔に他人が押しつけた呪いではなく、彼ら個人が抱いた願いのために燃え尽きていったのです。
これについては、しろがね全体の勝利ではなく個人的な復讐のために赤い血を流したルシールにも同じことが言えます。からくり編最終幕は、他人の人生のツケを背負わされた人たちが人間に戻り、満足して死ぬ話でもあったのかもしれません。
しろがね決死の奮闘もあり、多くの犠牲の果てに鳴海は"最古の4人"をも乗り越え、ゾナハ病の元凶であるフランシーヌ人形にたどり着きます。
多くのしろがね、いや人間の想いを背負った鳴海!
"最古の4人"も撃破し、もう邪魔する人形もいない!
勝った!からくりサーカス完!勝!しろがね!仲町サーカス!公演の準備しておけよ!
キレそう。(二回目)
鳴海と自動人形の話
「しろがねたちは無駄死にです」
こう言われた気すらしましたね、このセリフが目に入った時。真実を知った鳴海も「オレたちは……なんのために戦ったんだよ……」と呆然とし、それでも偽物のフランシーヌ人形の首を飛ばします。
その後も悲劇は止まりません。鳴海を守るために身を呈したファティマが愛しい人の目の前で塵となり、来週子どもの学芸会があると嬉しそうに語っていたロッケンフィールドは鳴海とミンシアを助けてレーザーの一斉射撃を受けました。
よりにもよってファティマとロッケンフィールドなんですよね。鳴海が無力感でどうにかなりそうなタイミングで「自分を守るためにぼろぼろになったファティマ」と「鳴海が『笑ってほしい』と願う子どもを待たせているロッケンフィールド」の死を見届けさせられたわけです。19歳やぞ。酒も飲めないんやぞ。
そしてすべてを失った鳴海が夜の砂漠で声もなく慟哭し、長かったからくり編最終幕は一時閉幕を迎えます。
たくさんのものをくれた人に一切報いることもできず、ただ生き残ってしまった男の嘆きが表情だけでありありと伝わってきました。
ところで同じような境遇にあったキャラがプロローグにいるんですよ。加藤鳴海を喪った才賀勝っていうんですけど。
これは私の想像なんですけど、死んだしろがねたちは「あのフランシーヌ人形が偽物だった」と知っても、そんなに絶望しなかったのではないでしょうか。
ロッケンフィールドも死に際に語っていますし、他のしろがねもそうだったと思えてなりません。他人の呪いに背を向けて、本当に助けたい男を助けられた。彼らにとってはそれでいいはずです。鳴海がそう思うかは別として。だから19歳だぞこの男。未成年で全身サイボーグやぞ。
さて、フランシーヌ人形が偽物だったことで道化となったのは鳴海やしろがねたちだけではありません。自動人形もです。
本物のフランシーヌ人形は、偽物にこんなお願いをしています。
フランシーヌ人形からすれば永い間自分に仕えてくれた人形たちへのせめてもの手向けなのでしょうが、自動人形にとってはこんなに惨めな話ありません。
だって、自動人形はフランシーヌ人形を笑わせるために造られたわけです。その相手に気を遣われたんですよ。
「よくやってくれたね、どうもありがとう」
「お前たちでは笑えなかっけど、よくがんばってくれたね」
と思われていたなんて、それに気づかず90年も偽物に仕えていたなんて、それこそ笑い話じゃないですか?
ゾナハ病をまき散らす不倶戴天の仇だったはずの"真夜中のサーカス"が、いっそ哀れに思えるとは予想だにしませんでした。
しろがねも自動人形も下手くそな道化として踊らされた。似た者同士が潰しあっただけ。
道中ではあんなに血沸き肉躍るドラマがくり広げられたのに、最後に残ったのはどうしようもない虚無感。
このマンガ、マジで笑えない。
笑うべき時はいつ来るの?鳴海兄ちゃん……。
そしてサーカス編最終幕へ
からくり編がこんな終わり方したのにサーカス編をまともな気持ちで読めるわけねーだろ!!!!!!!!!!!!!!!
俺は勝としろがねにはあのまま仲町サーカスで家族になっていって平和のままいつかすべてを終えた鳴海と再会してほしいんだよ!!!!!!!!
勝としろがねをそっとしろ藤田和日郎!!!!!!!
Q.悪魔はいると思いますか?
A.もうやだこのマンガ
ではまた。
※アイキャッチ画像は『さんでーうぇぶり』からくりサーカス作品ページより引用
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