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「おれはストーン・フリー(動詞)を見るためにジョジョを追いかけたわけじゃあないんだぜ」ジョジョ6部感想覚書

ジョジョ6部を漫画で読みました。アニメの続き楽しみですね。

引用元:『ジョジョの奇妙な冒険 公式ポータルサイト』(https://jojo-portal.com/about/so/)

「ジョジョの奇妙な冒険は第6部で一区切りだからそこまでよろしく」

第4部を読み終えた頃、そんな話を聞いた記憶があります。当時はそこまで気に留めなかったのですが、第11話からの連話「面会人」を読み終えたころにふと思いだし、ある確信に至りました。

「つまり、第6部とは長い長いジョースターの血統に区切りがつく物語ではなかろうか?」

「アニメのOPも『運命手なずけるまで……』とか言ってるし」

「そうだよ第5部で運命を象徴するスタンドが『ローリング・ストーンズ』で、徐倫のスタンドが『ストーン・フリー』!」

「間違いない!」

「第6部は空条徐倫がジョースターの運命から自由になる物語だ!!!!」(バァーーーーン)

と、そうアタリをつけて読み進め、エンポリオの自己紹介にたどり着きました。

※鍵垢によりスクショ

私は正しかった。

今回は2人のキャラを通して、あの結末の必然性について考えてみましょう。
よろしくお願いします。

空条徐倫~ファントム・ブラッド再び~

「第6部で誰がいちばん好きか?」

そう聞かれれば、私は空条徐倫と答えます。

承太郎の娘であると読者に納得させてくるずば抜けた戦闘センスと気高さ。父親を助けたい『覚悟』であらゆる恐怖や痛みを無効化する強靭な精神力は、いつも私を圧倒させてくれました。

そしてなにより私が惹かれるのは、そんなメンタル島津家空条徐倫も刑務所に入る前はごく普通の少女であったという事実です。
ロクでもないボーイフレンドに引っかかったり、母親を心配したり、父親にモヤモヤした気持ちを抱いたりと、等身大な悩みを抱える19歳の少女が第1話の空条徐倫でした。

そんな彼女が承太郎の退場をきっかけに目覚め、130年続く宿命を背負うジョースターへと成っていくのがカッコイイ。そして切ない。いわば、運命が彼女を普通でいさせなかったわけです。
第2部で大人たちが懸命に戦いから遠ざけようとしたジョセフが、それでも戦闘潮流に呑みこまれたのと似ていますね。

しかし、徐倫はストーン・フリーに目覚めます。先ほどお伝えしたように、私はこのスタンドを「徐倫が運命から自由になる」象徴と捉えました。

第6部が終わるころにはジョースターの運命に決着をつけて、徐倫は6人目のジョジョではなくひとりの空条徐倫として生きていく。
これを「ストーン・フリーする(動詞)」といいます。覚えて帰ってくださいね。

そんな予想がありましたし、ジョジョの物語は一部を除いてハッピーエンドで終わってきたので、第6部は安心して読めました。

ああでも普通の女性に戻れるだろうかでも殺人鬼が言い寄ってるし大丈夫かな大丈夫だろエルメェスとかいう親友もいるし承太郎ともこれから19年をやり直してくれればうれしいなわっはっは。

はい。

正直なところ、エンポリオの自己紹介まで「徐倫はプッチに殺されていた」なんてちっとも気づかなかったんですよね。こちとら徐倫はストーン・フリーすると思いこんでますから。

糸の能力を拡大解釈して「エンポリオと結んだ『縁』は決して切れないッッッ!」ぐらいするだろうな第6部のスタンドはやけに理論がすげえしなぐらいに考えてました。めちゃくちゃに惨殺されているが?

空条徐倫は死んだ。そうふまえてからあの海のシーンを読み返すと、多くの発見があります。
とくに衝撃だったのは、徐倫の最期が1部ラストシーンのオマージュだった点です。

さらにいえば、エンポリオの自己紹介も1部を踏襲しているのではないでしょうか。長い長いジョジョの物語は、

「君はディオ・ブランドーだね?」
「そういう君はジョナサン・ジョースター」

『ジョジョの奇妙な冒険』第1話より

空こぼれ落ちたふたつの星同士の自己紹介から始まりました。そして、徐倫から正義の心を継承したエンポリオの自己紹介で第6部が幕を閉じる。
こう考えると、第1話のナレーションも違って見えてきます。

この物語はメキシコから発掘された謎の『石仮面』にまつわる2人の少年の数奇な運命を追う冒険譚である!

『ジョジョの奇妙な冒険』第1話より

因縁の始まりである石仮面からして『石』です。石仮面と運命のふたりから始まった因縁はストーン・フリーによって終わりを告げた、ともいえるのではないでしょうか。

最後のジョジョが最初のジョジョと同じ決断を下し、世界を救う。最終章が第1章に還ってくる王道中の王道が、そこにありました。空条徐倫はストーン・フリーをやりきったのです。悲しむ話ではないのです。

彼女とよく似た他人には幸せを掴んでほしいと願います。

プッチ神父~ジョジョ誤読マン~

1番好きなのが徐倫として2番目の好きがだれかというと、プッチ神父です。

徐倫と遭遇したディスク争奪戦ではヤドクガエルの雨の中で素数を数えてズボンの心配するおもしれー男だとばかり思っていましたが、そこはラスボス。それだけでは終わりませんでした。

最終局面でメイド・イン・ヘブンを得たプッチ。彼は時を加速させる能力で世界を一巡させ、全人類を一巡後の世界へと導きました。
唯一、一巡前の世界を覚えているエンポリオに対して、プッチは自身の目的である『天国』の正体を語ります。

「(人類は)『加速した時』の旅で自分がいつ事故にあい、いつ病気になり、いつ寿命が尽きるのか?」
「すでに体験してここに来た」

『ジョジョの奇妙な冒険 第6部』第157話(括弧内筆者)

定まった運命は絶対に覆らない。第5部で示唆されたこの法則は宇宙が一巡しても変わらず、世界は同じ出来事をひたすらループするとのこと。

ならば、一巡前の世界ですべてを体験した人類は未来を無意識に把握している――それがプッチの主張であり、彼がめざした幸福そのものです。

「独りではなく全員が未来を『覚悟』できるからだッ!」
「『覚悟をした者』は『幸福』であるッ!」

『ジョジョの奇妙な冒険 第6部』第157話

極めつけはこのセリフ。

「『覚悟』は『絶望』を吹き飛ばすからだッ!」

『ジョジョの奇妙な冒険 第6部』第157話

驚きました。『ジョジョの奇妙な冒険』をここまで誤読する奴が出てきていいのか?

覚悟の強さは6部のみならず『ジョジョの奇妙な冒険』を通して何度も言及されてきました。ジョルノの「暗闇の荒野に道を切り開くことだ」はとくに有名なセリフでしょう。

歴代ジョジョは絶望的な状況でも覚悟を胸に立ち向かい、勝利してきました。結果だけいえば、たしかに覚悟こそが絶望を吹き飛ばしたといえるかもしれません。

でも彼らは、幸福になりたくて覚悟していたわけではないはず。徐倫がエンポリオの生還と引き換えにプッチに挑んだように、時には自身の幸福を犠牲に悪と対決してきたのがジョジョです。
プッチ神父の理論は、これまでジョジョが積みあげてきた物語に対する明確なアンチテーゼに他なりません。

一事が万事。そもそも第6部とは、『ジョジョの奇妙な冒険』でポジティブに語られてきた要素の負の面を意図的に抉りだしていたように思えます。

たとえば、プッチとウェザーの過去はその象徴です。彼らをめぐる運命はひたすらに陰湿で救いがなく、だれが悪いかといえば「運命がクソ」としかいえない話でした。

運命の過酷さを描きながらも抗う人々の輝きを見せてきたジョジョの物語における、闇の部分とでもいえばいいのでしょうか。むしろ「運命と向き合うこの物語は、こんなに嫌な話にもなりうるのだ」をひたすら隠してきた荒木先生がすごい。

プッチが天国を求めたのも、残酷な運命に対して「あらかじめ知っていれば」という深い絶望があったのかもしれません。語られてはいませんが。

歴代ジョジョと同じ言葉を使いながらも真逆の信念を述べ、世界を覆う絶対のルールによって人生を歪められたプッチ神父。
ジョースターの運命を断ち切る第6部において、あまりにも説得力のがあるラスボスだと思います。

そして、そんな男を討ったのがウェザー・リポートを宿すエンポリオだったのがまた良い。良いのです。

DIOの意志を継いで天国にたどり着き、ジョースターの因縁を滅ぼしたプッチは、しかし自分に絡みつく運命には盲目でした。
ウェザーの記憶を奪ってディスクを残すきっかけを作ったのも、エンポリオの母親を殺したのも、ほかならぬプッチ自身の意志です。

運命の不条理から逃げるべく天国を求めた男が、結局運命に追いつかれて滅びる。あまりにも美しく哀しい因果応報に、私は強く惹かれます。

でも素数を数えて気持ちが落ち着くってどういうことなの?

必然のストーン・フリー(動詞)

始まりの物語をなぞった主人公と、物語を根底から否定するラスボス。
ここまでの話をまとめると、第6部はこんな構図をとっているといえます。長編のラストを担うにふさわしいですね。

そして、あまりに長く続いた因縁を終わらせるのは容易ではありません。
それこそ世界を一周させたり、まったく違う別世界にしてしまったり。それぐらいのスケールでなければ終末を迎えられなくなっていたのが、ジョースターの運命だったといわれれば、頷くしかないでしょう。

ならば、やはり空条徐倫の終わりを悲しむ必要はありません。彼女はやりきったのです。
くり返しになりますが、彼女によく似たアイリンなる少女が幸せになることを祈って、この感想文を締めたいと、


締めたいと……



こんなストーン・フリーが見たかったわけじゃあねえんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

やめだやめだやれ物語の構造だのやれ再話だのやれアンチテーゼだの御託を並べて「空条徐倫の終わりは仕方なかった」だなんて理由つけるのはやめだよ!!!!!!!!!!!!!

俺は空条徐倫に日常に還ってほしかったんだよ!!!!!!!!!!!

エルメェスとショッピングに出かけてほしかったしF・Fとキャッチボールしてほしかったしウェザーやアナスイと男友達になってほしかった!!!!!!!

承太郎とはじめて父の日を過ごしてほしかった!!!!!!!!!!!!!

エンポリオを泣かせないでほしかった!!!!!!!!!!

アイリンみたいに髪を伸ばした姿を見て安心したかった!!!!!!!!!!!!

運命から自由になるってそういうつもりで言ったわけじゃあねえんだよ。


ねえんだよ………………………俺は………………………


最後に

この結末に至る必然性に納得せざるをえないのに、どうしても納得できない本音がある。理性と感情がぶつかり合うまま、静かに幕を引いた。

喪失感が尋常じゃない。

これが第6部に対していちばん言いたかった私の感想です。お付き合いいただきありがとうございました。だれか私を第6部からストーン・フリーしてください。

ここまで心を乱されたのは、第1部で奇妙な友情を見届けて以来かもしれません。そんなところまで第1部をオマージュしなくていいんだよ。

さて、こうしてジョースターの血統の物語は幕を閉じたわけですが、ここで疑問がひとつ。

引用元:『ジョジョの奇妙な冒険 公式ポータルサイト』(https://jojo-portal.com/about/sbr/)

7部なにやるの?

この感想文を書いている時点で、筆者は第7部を第1話だけ読んでいます。アブドゥルだのDioだのツェペリだのやりたい放題極まるし、趣旨が大陸横断ホースレースなのもぶっとんでいますね。

世界観の説明を求めるのは野暮でしょう。ですが、6人のジョジョが繋げた新天地にふさわしい物語であればいいなと願います。

今回はこのへんで。
ではまた。

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