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「おれはジョジョが観たかったのであって宗教に入りたかったわけじゃあないんだぜ」ジョジョ一部感想覚書

ジョジョ一部をアニメで観ました。

突然ですがみなさん、宗教勧誘された経験ありますか?
私はありませんが、ああいう手合いには気をつけた方がいいですよ。彼らは誰かに声をかける時、最初はそういう素振りをまったく見せません。

まずは他愛ない話題から会話のペースを作り、こちらが話を聞く態度を見せたら一気に「アナタハ神ヲ信ジマスカ」と畳みかけてきます。こちらはすでに相手の話に耳を傾けている状態なので、意外と受け入れちゃうんですね。そしてコロッと落ちてよくわからない集会とかに連れていかれるんです。こわいですね。


なんの話かって?


さむね

出典:Amazon.co.jp(https://www.amazon.co.jp/dp/B00GKTEFJW/)


私にとっての『ジョジョの奇妙な冒険第一部-ファントムブラッド-』はいきなり『奇妙な友情教』を脳天に叩きつけてきたとんでもねえ作品だって話だよ!


 ジョジョ第一部のここが宗教①最終話で急に友情が襲ってくる


ジョジョ一部といえば、約40年も続く壮大なジョジョシリーズの記念すべき第一作目。御曹司ジョナサン・ジョースターと貧民街の少年ディオの闘争を描き、後世に続く長い因縁の始まりとなった物語です。

また、いわゆるネットミームが豊富な作品でもあります。「おまえは今まで食ったパンの数を覚えているのか?」「明日って今さ!」などなど、ジョジョを知らない人でも聞き覚えのある名言とともに、吸血鬼と戦う冒険ファンタジーが展開していきます。

私もあふれ出すネットミームに笑いながら、またジョナサンの激闘に手に汗握りました。話の主軸はなんといってもジョナサンとディオの因縁です。

ジョナサンは少年時代にディオの企みで恋人と愛犬を失い、青年になってからは父親と屋敷をディオに奪われました。一方、ディオは「ジョースター家を奪ってだれにも負けない男になる」という野望をジョナサンに阻止され、吸血鬼になってなお阻まれます。

自分のすべてを奪った者と、自分の野望を邪魔する者。互いが互いを憎しみあい、殺しあう宿敵であるジョナサンとディオ。非常にわかりやすいヒーローとヴィランの戦いがそこにはありました。

「ああ、王道っていいなぁ」

そんな、とても穏やかな気持ちで楽しめたジョジョ一部でした。


ええ。


8話で死んだはずのディオがジョナサンと再会する最終話まではな。


最終話において、ジョナサンはエリナとの新婚旅行に向かう船の中で、首だけの姿になったディオと対峙します。

「貴様の体を奪う」
恐ろしい目的を告げながらも、ディオは穏やかにジョナサンに語りはじめるのです。

「ジョジョ。あれほど侮っていたおまえをいま、尊敬している」
「勇気を、おまえの魂を、パワーを……尊敬している。それに気づいた」


自分の野望を食いとめたジョナサンに最大限の敬意を表し、あまつさえ部下に「ジョジョへの侮辱は許さん」とまで告げるディオ。

そしてディオの言葉を呑みこみ、最後には「僕たちはふたりでひとりだったのかもしれない」と理解するジョナサン。

 

そういうことなんで最終話で急にやるの????

闘う宿命にあるヒーローとヴィランが通じあう。それはわかります。だがこの作品、ジョジョ一部ファントムブラッドはそれをよりにもよって最終話に全部詰めこんでやってくるのです。全9話もあるんだからもっと情報と感情の配分考えて?

たしかにジョナサンからディオに向けての複雑な感情ついてなら、兆候がありました。たとえば第8話でディオを倒し、ジョナサンが泣いたとき。スピードワゴンはその理由を「彼(ジョナサン)の青春は、ディオとの青春でもあったから」と説明します。

ですが、それにしたってディオからの気持ちも同じだなんて晴天の霹靂じゃあないですか。さらに強烈なのが、このふたりはそんな友情を自覚してなお、殺しあうしかない点です。

人間と吸血鬼である以前に、ジョナサンは正義の人で、ディオは生まれついての悪。ふたりの意見は常にぶつかりあい、傷つけあう形でしか本音でのコミュニケーションをとってこれませんでした。

7年間も同じ屋敷で兄弟として生きてきたのに、本音でぶつかりあえたのは殺しあう時だけなんです。互いを痛めつけて、踏みつけて、ズタズタに引き裂いてようやく通じあえる。それがジョナサン・ジョースターとディオ・ブランドーを繋ぐ奇妙な友情です。

単純なヒーローVSヴィランのエピソードを1~8話までやっといていきなり男同士のひと言で言い表せない絆を最終話に入れないでくれ!!処理できない!!!ここまで観ちまったんだぞ!!!信仰したくなる!!!


ジョジョの奇妙な冒険第一部-ファントムブラッド-!!!!


視聴者への報・連・相はしっかりやってください!!!!!


ジョジョ一部のここが宗教②宗教画かな?


これに関しては実物を見てもらった方が早いですね。

宗教画

出典:荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険 第1部』第44話15-16頁(https://shonenjumpplus.com/episode/3269632237245274051)

このシーンはアニメでは満足できず原作最終巻を紙と電子両方で買ったのですが、正解でした。静止画だからこその迫力と熱を感じますね。

燃え盛る船内で吸血鬼の生首を抱え息をひきとる青年。これが宗教画でなければなんだというのでしょう?

ジョナサンがなすべきことをなして死亡するこの衝撃のシーン。私が宗教画だと例えるのは、情景そのものが美しいのはもちろん、ジョナサンのこの時の心境も大きくかかわっています。

最期の時にジョナサンは、ディオを憎んでいませんでした。彼は自分のすべてを奪い、ついには自分を殺した吸血鬼を抱きながら「奇妙な友情すら感じるよ」と清々しい顔で想います。死を受け入れたのです。

第1話でディオとはじめて出会った時、ジョナサンは「ディオと早く友達にならなくちゃ」と願っていましたよね。とても歪なかたちではあるものの、ふたりは確かに友情で通じあいました。
ジョナサン本人が語るように、とても奇妙ではあるものの、最初の願いが叶ったのかな、と私は思います。

死の間際にかつての憎しみを忘れ、友情を想いながら穏やかに死んでいく。そんな聖人のようなジョナサンの死体を描いたシーンに、私は宗教画のような美しさを感じたのです。

いやホントこのシーン知らなかったんだけどなんで奇妙な友情含めここだけ広まってないんですか?初見トラップかなにか?

ジョジョ一部のここが宗教③3部のディオis何?


『ジョジョの奇妙な冒険』は、とても有名なシリーズです。私もいままでジョジョを通らず生きてきたとはいえ、とりあえず3部のラスボスがディオなのは知っています。
ジョナサンの子孫である承太郎さんと死闘をくり広げ、時を止めるスタンド『ザ・ワールド』でポルナレフを驚かせたりロードローラーを投げたりするのも知っています。

勝手ながら、私はこう言いたい。

「なにを蘇っているんだディオ。」
と。

なぜ、蘇ってしまったのか。彼の運命はあの時ジョナサンと交わったんじゃないのか?
最終話でディオは「運命を操作する神がいるとしたら、俺たちほど計算された関係はない」と言いました。そしてジョナサンは「ふたりの運命はひとつになった」と、死んでいきました。

しかし、実際にディオは死んでいなかったわけですよね。だって3部で出るんだから。私にとって未だ見ぬ3部のディオは、ジョナサンと運命を別ったディオに見えるのです。

あの美しく奇妙な運命の結末を踏みにじるようなディオの生存は、第一部を見終わってから私の頭から離れません。おのれディオ!おのれ3部!いったいなにがどうしてそうなったのか!?あの状況から生き延びるなんてそんなんアリなのか!?だとしたらボディはやっぱりそういうことなの!!??

あるいはオープニングテーマ『ジョジョ~その血の運命』のフレーズ「幕が開いたようだ終わりなき物語」の通り、ジョナサン・ジョースターとディオ・ブランドーの運命はふたりが死んだだけでは終わらせてくれないのでしょうか?

わからない……なにもわからない……3部が早く観たい……

でもとりあえず3部にたどり着いてディオが登場したら「なに生きてんだこの邪神!悪魔!育ちの差だね!」ぐらい言ってやりたいですね。この人でなしがよ。

最後に~それにつけても作風の幅よ


知っている方もいらっしゃるかもしれませんが、私はジョジョ四部を観てから今回のジョジョ一部に入りました。

そのため、ジョジョ一部を完走した際には、四部との作風の差に驚きました。
ジョジョ四部は杜王町を舞台にした、日常と非日常が入りまじる伝奇でした。
一方、ジョジョ一部は王道の冒険ファンタジーでありながら、本質はとあるふたりの青年をめぐる友情の物語だったように思います。

まったく違うジャンル同士ですが、どちらもとても面白かったのがまずひとつ。さらにすごいと感じたのが、まったく違う物語でありながら、根底に流れるテーマがブレていない点です。

ジョナサンの師・ツェペリ男爵は波紋の極意として「人間賛歌は勇気の賛歌!人間のすばらしさは勇気のすばらしさ!」との言葉をジョナサンに送りました。恐怖を知り、そして支配してしまう勇気が大事だと語ります。

この極意は、杜王町で運命にひとりで立ち向かった小学生にも通ずるのではないでしょうか。

今回はジョジョ一部の話なので詳細は伏せますが、あの小学生のおこないは間違いなく勇気の産物であり、人間の可能性と誇りを高らかに謳う偉業だったと思わずにはいられません。

テイストを変えながらも一本の芯が通っているからこそ、違う主人公の違う物語が『ジョジョの奇妙な冒険』としてまとめられる。
それを何十年も続けているこの作品はつくづくとんでもないと、あらためて思い知りました。

ジョジョ2部ではどんな勇気に出会えるのでしょうか。今度は男と男の奇妙な関係性を描く時はもっと早めに教えてくれると助かります。
頼むぞ、ジョジョ2部。

それでは今回はこのへんで。ではまた。


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