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INTJの道徳

道具としての道徳。
道徳は大事であるか?と問われれば誰だって、大事だと答える。しかし道徳が何のためにあるのかと問われれば答えるのは難しくなる。

人の気持ちを理解するためとか、他人を傷つけないためといった答えが返ってくるかもしれない。確かにそうだとも言える。だが「何のために?」と問われれば、もっと具体的なメリットや効果を明言して回答したいというのが私の性分だ。

道徳は何のためにあるか?それは「秩序を守るため」だと思っている。だからさっき例に出した「人の気持ちを理解するため」というのも、もはや道徳に含まれる。そう考えている。

「秩序を守るため」と言われて、ピンとこないかも知れないが、「秩序を守るための道徳」は身の回りに溢れている。

例えば「人を殺してはいけない」というのも道徳だ。この道徳は法律の維持、犯罪の防止、もとより人間が円滑に社会生活を維持するための秩序を守ってくれている。

単に法律というルールがあったからといって、最初から人が守れるか?と問われると、私はそうではないと思う。まず守るべきルールがあり、そこに感情的なアプローチを加えることで秩序が維持される。

どんなスポーツにもルールがあるが、スポーツマンシップというように、ルールを守れる人を評価して、守れない人を評価しないというラベリングがある。

道徳とはつまり、ルールを守らせるための道具と言える。それによって社会の統制がとられ、秩序が維持される。


死刑制度に正当性はあるか?
少し話は逸れるかもしれないが、死刑制度の正当性についても書いておこうと思う。はっきり言って死刑制度に正当性は無いと思う。社会の秩序を維持するために都合よく排除されているというのが真実だと思う。それも仕方がないことでもあるかもしれないが。

この問題について考えるとき、考えなければならいのは責任だ。罪もない人の命が奪われて、その責任を取るために、死を持って償うというものだ。

ここで考えておきたいのは、犯罪者に本当に責任があるか?ということだ。誰かが犯罪を犯す理由は、悪人で、なおかつ悪意があったから、だとして、その人を悪人として裁くというのが一般的な意見だと思う。

だが、犯罪者が悪意を持った理由、或いは悪人になった理由を考えると、急に答えを出すのが難しくなる。

理由を考えてみる。遺伝的理由、生育環境、生活環境などが挙げられる。

犯罪者に限らず、誰かを責める場合は人格や思想など、その人の内的な要素を責める場合が多い。だが人間の内なる要素を作るのは全て外的要因だ。性格や考え方を自分自身で完全にコントロールすることはできない。

誰かが自分の行いを省みて、性格や考えを改めたとしても、それはその時点で、自分の行いを省みるだけの経験や、遺伝的素養があったからに過ぎない。

詰まるところ、彼らもまた運が悪いだけである。


道徳を軽蔑するか?
これまで書いたことをまとめれば、道徳は要するに社会を束ねるための道具でしかない。と言える。小学校で学んだほど、崇高なものでも無いと思っているし、創造物だとも思っている。

だが、別に道徳を馬鹿にしているわけでは無い。他ならぬ秩序の維持に役立っているからだ。

それは秩序を維持したい側、時の統治者の恣意的な理由で作られただけなのかもしれない。

だが、それだけでは道徳による秩序は成立しない。悲しませたく無いとか、誰かに優しくしたいというような憐れみの心を持っていなければ成立しない。憐れみの心は人間の本能だと思う。

私は社会の秩序のため、また本能に従うため、
道徳を大切にしたいと考えている。

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