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最強の価値観とは?INTJ


ーどんな価値観を持って生きればいい?
どんな価値観が最も優れているのか?どんな価値観を持って生きれば良い?そう人生に悩み始めたのは、私が高校三年生の頃でした。
なぜ高校生の頃に、そんなことに悩み始めたかということですが、大好きだった部活動が上手くいかなくなったことが原因でした。
部活動は陸上部の長距離をやっていました。長距離をやっていると、「なんであんなしんどいことするの?」とか「Mなの?」とか言われますが、魅力は沢山あります。
調子が良いときの、疾走感や爽快感。もちろん走りきった後の達成感も凄まじいものがあります。そして何より”努力が実りやすい”ということが私に取っての最大の理由でした。

ー私の価値観を疑い始める
その頃まで、私の中で優れた生き方の定義というのは「沢山努力して、難しいことをやり遂げる」というものでした。明確に考えたことはありませんでしたが、それを無自覚のうちに信じ込めている自分が居ました。
だからこそ、陸上競技においても努力をすることは苦ではなかったですし、惜しむことなく努力しました。苦労はしながらも着実に成果がついていまいた。
しかし、高校二年生の夏あたりから、徐々に雲行きが怪しくなります。努力してもほとんど成果に結びつかないのです。練習ではタイムは良くなるものの、試合の結果に全く結びつかないのです。
それでも、諦めることはありませんでした。「人生こんなに甘いもんじゃない。今こそ踏ん張りどころだ。」と、より一層練習に励みました。
残念なことに、どれだけ頑張っても結果に結びつくことはありませんでした。そして、高校三年生のインターハイ、地区予選で敗退。
インターハイ後も長距離には駅伝があります。だから地区予選で敗れても練習を続けなければなりません。私は再び練習をする気にはなりませんでした。
"努力して、難しいことをやり遂げる”という人生のよりどころとしてきた私の価値観に疑いを持ち始めたのです。

ー生き方を見失う
拠り所としていた価値観が壊れてから、最も優れた価値観とは一体何なのか?また最良の人生とはどんなものか?自問自答するようになりました。夢を追い続ける人生が良いのか?世のため人のため、社会貢献する人生が良いのか?はたまた一般家庭を築いて、ささやかな幸せを大切にする人生が良いのか?いろいろと頭の中で問答を繰り返しました。そして最終的に答えが出ないことに気がつきました。

価値観には優劣をつけるための基準がありません。故にいくら自分自身の価値観や生き方が優れていると主張しても、証明することができません。価値観や生き方はどこまでいっても主観であり、客観ではありません。どんな価値観が優れているかという問い自体、お門違いだったのです。

意味があったとすれば、価値観に優劣をつけることはできないということが分かったということです。

つまり、価値観に優劣をつけることはできない、だったら好きなように生きればいい。そう考えるようになりました。

先生がいれば、親がいれば、彼らが持っている既成の価値観をいやでも押し付けられます。それは彼らが生きていく中で、社会に順応するために身につけたものでしょう。確かにその教えは、社会で暮らしていくためには必要だと思います。しかし同時に私たちを強力に縛り付ける鎖でもあります。こうであらねばならないと、私たちが自由に生きることを押さえつけているのです。

私の場合、高校生のときに拠り所にしていた価値観が壊れて、新しい価値観が生まれました。この過程は紛れもなく私を縛る鎖が一つ外れた瞬間でした。


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